ブラッド・フリーデル
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名前 | ||||||
本名 |
ブラッドリー・ハワード・フリーデル Bradley Howard Friedel | |||||
愛称 | Brad | |||||
ラテン文字 | Brad FRIEDEL | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||||
生年月日 | 1971年5月18日(53歳) | |||||
出身地 | レイクウッド | |||||
身長 | 193cm | |||||
体重 | 91kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1990-1992 | UCLAブルーインズ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1994-1995 | USSF | 0 | (0) | |||
1994 | → ニューカッスル (loan) | 0 | (0) | |||
1995 | → ブレンビー (loan) | 0 | (0) | |||
1995-1996 | ガラタサライ | 30 | (0) | |||
1996-1997 | コロンバス・クルー | 38 | (0) | |||
1997-2000 | リヴァプール | 25 | (0) | |||
2000-2008 | ブラックバーン | 287 | (1) | |||
2008-2011 | アストン・ヴィラ | 114 | (0) | |||
2011-2015 | トッテナム | 50 | (0) | |||
通算 | 554 | (1) | ||||
代表歴2 | ||||||
1992-2005 | アメリカ合衆国 | 82 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2016-2017 | アメリカ合衆国 U-19 | |||||
2017-2019 | ニューイングランド・レボリューション | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2013年11月13日現在。 2. 2008年9月28日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ブラッド・フリーデル(Bradley Friedel, 1971年5月18日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州レイクウッド出身の元サッカー選手。元アメリカ代表。現役時代のポジションはゴールキーパー。
経歴
[編集]UCLA卒業後の1994年、デンマークのブレンビーIFと契約しプロとなるが、ここに彼の居場所は無く翌年トルコのガラタサライへ放出され、1996年は母国アメリカへ戻りプレーした。
1997年にはプレミアリーグの名門・リヴァプールFCに移籍したものの、ここでもデイヴィッド・ジェームスとサンデル・ヴェステルフェルトの控えとしての日々が続き出場機会には恵まれなかった。
2000年11月3日、チャンピオンシップ(2部)のブラックバーン・ローヴァーズFCに移籍。移籍後は正GKとして活躍し、チームのプレミアリーグ昇格に貢献した。昇格後は、カーリング・カップ優勝(2000-01シーズン)やUEFAカップ決勝トーナメント進出(2006-07シーズン)などに貢献した。
2008年7月26日、契約満了とポール・ロビンソン加入に伴いアストン・ヴィラへ移籍。移籍後も引き続き、正GKとして活躍した。2011年5月22日の古巣リヴァプール戦でプレミアリーグ通算400試合出場を達成した。
2011年6月3日、トッテナム・ホットスパーFCに移籍[1]。移籍後は不安定なプレーを見せていたゴメスから定位置を奪った。2012年4月21日のQPR戦で300試合連続出場を達成した。
2012-13シーズン途中からは、新加入したフランス代表GKウーゴ・ロリスに正GKの座を奪われたが、出場した試合では安定感のあるパフォーマンスを見せた[2]。
2014年6月9日、43歳ながらも契約を1年間延長し、同時に母国アメリカ担当のクラブ・アンバサダーに就任した[3]。
2015年5月14日、現役引退を表明した[4]。
代表
[編集]2002 FIFAワールドカップでアメリカ代表の正GKを務めベスト8進出に貢献。同年代のライバルケーシー・ケラーの故障のために回ってきた大役であった。
韓国戦で李乙容のPKを止め、次のポーランド戦でもマチェイ・ジュラフスキのPKを防いだ。ワールドカップ一大会で2度PKをセービングしたのは1974年大会のヤン・トマシェフスキ以来で、2試合連続でPKをセービングしたのはワールドカップ史上初である(PK戦を除く)。通算2度PKをセービングしているのも他にイケル・カシージャスとヴォイチェフ・シュチェスニーのみ(PK戦を除く)。
2005年2月7日に代表を引退し、その後はクラブでのプレーに専念していた。
その他
[編集]- ブラックバーン時代の2004年8月14日に行われた2004-05シーズン開幕節のウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン戦に出場して以降、連続出場を続けていた。2008年11月29日のフラムFC戦で167試合連続出場とし、デイヴィッド・ジェームズの記録を塗り替えてプレミアリーグ新記録を樹立した。2012年9月29日のマンチェスター・ユナイテッド戦で310試合連続出場としたが、続く10月7日の古巣アストン・ヴィラ戦では新加入のウーゴ・ロリスが起用されたため記録は途切れた。
エピソード
[編集]- プレミアリーグ通算1ゴール。2004年2月21日のチャールトン・アスレティックFC戦で後半終了間際に同点ゴールを決めた(しかし、その直後に決勝点を許し結局2-3で敗戦)。
- 妻はバルバドス出身[5]。
個人成績
[編集]クラブ | シーズン | リーグ | カップ | リーグカップ | 国際大会 | その他 | 合計 | ||||||
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出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
ブレンビー | 1994-95 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | — | 0 | 0 | ||||
ガラタサライ | 1995-96 | 30 | 0 | 7 | 0 | 37 | 0 | ||||||
コロンバス・クルー | 1996 | 9 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 12 | 0 | ||||
1997 | 29 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 33 | 0 | |||||
通算 | 38 | 0 | 0 | 0 | — | 7 | 0 | 45 | 0 | ||||
リヴァプール | 1997-98 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | — | 11 | 0 | ||
1998-99 | 12 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 16 | 0 | |||
1999-00 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | — | 4 | 0 | ||||
通算 | 25 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | — | 31 | 0 | ||
ブラックバーン・ローヴァーズ | 2000-01 | 28 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | — | — | 34 | 0 | ||
2001-02 | 36 | 0 | 3 | 0 | 6 | 0 | 45 | 0 | |||||
2002-03 | 37 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | 47 | 0 | |||
2003-04 | 36 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 40 | 1 | |||
2004-05 | 38 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | — | 45 | 0 | ||||
2005-06 | 38 | 0 | 2 | 0 | 6 | 0 | 46 | 0 | |||||
2006-07 | 38 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 | 53 | 0 | |||
2007-08 | 38 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 | 47 | 0 | |||
通算 | 290 | 1 | 29 | 0 | 20 | 0 | 19 | 0 | — | 358 | 1 | ||
アストン・ヴィラ | 2008-09 | 38 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | — | 46 | 0 | |
2009-10 | 38 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 42 | 0 | |||
2010-11 | 38 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 43 | 0 | |||
通算 | 114 | 0 | 9 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 | — | 131 | 0 | ||
トッテナム・ホットスパー | 2011-12 | 38 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | 38 | 0 | |
2012–13 | 11 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | 20 | 0 | |||
2013–14 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 6 | 0 | 9 | 0 | |||
通算 | 50 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 13 | 0 | — | 67 | 0 | ||
総通算 | 547 | 1 | 47 | 0 | 29 | 0 | 39 | 0 | 7 | 0 | 669 | 1 |
代表歴
[編集]初出場
[編集]出場大会
[編集]- 1992年 バルセロナオリンピック・サッカー (グループリーグ敗退)
- 1994年 1994 FIFAワールドカップ(ベスト16)
- 1998年 1998 FIFAワールドカップ(グループリーグ敗退)
- 2000年 シドニーオリンピック・サッカー(4位)
- 2002年 2002 FIFAワールドカップ(ベスト8)
監督成績
[編集]- 2018年10月29日現在
クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | |||||||
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試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 勝率 | |||
ニューイングランド・レボリューション | 2017年11月19日 | 34 | 10 | 13 | 11 | 49 | 55 | −6 | 29.41 | |
合計 | 34 | 10 | 13 | 11 | 49 | 55 | −6 | 29.41 |
タイトル
[編集]選手時代
[編集]- ガラタサライSK
- テュルキエ・クパス:1回(1995-96)
- ブラックバーン・ローヴァーズFC
- EFLカップ:1回(2001-02)
- 個人
- ヘルマントロフィー:1回(1992)
- MLS年間最優秀GK:1回(1997)
- USサッカーアスリートオブザイヤー:1回(2002)
- アラン・ハーダーカートロフィー:1回(2002)
- プレミアリーグPFA年間ベストイレブン:1回(2002-03)
脚注
[編集]- ^ フリーデル トッテナム移籍決定Goal.com 2011年6月4日
- ^ “43歳のGKフリーデルがトッテナムと契約延長、アンバサダーにも就任”. サッカーキング (2014年6月10日). 2014年7月12日閲覧。
- ^ 『フリーデル 契約延長&アンバサダーに就任』(プレスリリース)スパーズ・ジャパン、2014年6月10日 。2014年7月12日閲覧。
- ^ まもなく44歳、元アメリカ代表フリーデルが引退を表明Goal 2015年5月15日
- ^ フリーデル、人種差別問題でUEFAの対応に不満ゲキサカ13/3/16 19:30
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ブラッド・フリーデル – FIFA主催大会成績
- アメリカ合衆国のサッカー選手
- サッカーアメリカ合衆国代表選手
- ブレンビーIFの選手
- ガラタサライの選手
- コロンバス・クルーの選手
- リヴァプールFCの選手
- ブラックバーン・ローヴァーズFCの選手
- アストン・ヴィラFCの選手
- トッテナム・ホットスパーFCの選手
- アメリカ合衆国のパンアメリカン競技大会金メダリスト
- オリンピックサッカーアメリカ合衆国代表選手
- 1992年バルセロナオリンピックサッカー出場選手
- 2000年シドニーオリンピックサッカー出場選手
- コパ・アメリカ1993出場選手
- コパ・アメリカ1995出場選手
- 1993 CONCACAFゴールドカップ出場選手
- 1996 CONCACAFゴールドカップ出場選手
- 1998 CONCACAFゴールドカップ出場選手
- 2000 CONCACAFゴールドカップ出場選手
- FIFAワールドカップアメリカ合衆国代表選手
- 1994 FIFAワールドカップ出場選手
- 1998 FIFAワールドカップ出場選手
- 2002 FIFAワールドカップ出場選手
- FIFAコンフェデレーションズカップ1999出場選手
- ドイツ系アメリカ人のサッカー選手
- カリフォルニア大学ロサンゼルス校出身の人物
- オハイオ州カヤホガ郡出身の人物
- 1971年生
- 存命人物