マイニンゲン宮廷楽団
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マイニンゲン宮廷楽団(マイニンゲンきゅうていがくだん、Meininger Hofkapelle)は、ドイツのテューリンゲン州マイニンゲンを拠点に活動するオーケストラ[1]。
沿革
[編集]ザクセン=マイニンゲン公ベルンハルト1世によって1690年に設立された。
1880年、ハンス・フォン・ビューローが音楽監督に就任し、同楽団は最盛期を迎えることとなる。1885年にはビューローの後任としてリヒャルト・シュトラウスが、1886年にはフリッツ・シュタインバッハが音楽監督となった。ビューローやシュタインバッハと親交の深かったヨハネス・ブラームスもマイニンゲンを訪れて同楽団を何度か指揮しており、特に交響曲第4番はブラームス自身の指揮で同楽団が初演している。
1914年、ザクセン=マイニンゲン公ゲオルク2世の薨去や第一次世界大戦の勃発のために楽団の解散も検討されたが、戦後ザクセン=マイニンゲン公国を廃して成立した(旧)テューリンゲン州が同楽団を所有する形で存続となり[1]、1921年に州立管弦楽団(Landesorchester)と改称した。
東ドイツ時代の1952年にテューリンゲン州が廃止されマイニンゲンがズール県に属すると、マイニンゲン劇場管弦楽団(Orchester des Meininger Theaters)と改称した。2006年、マイニンゲン宮廷楽団の名称を復活させた。
歴代音楽監督
[編集]- ゲオルク・カスパー・シュールマン(1702年 - 1707年)
- ヨハン・ルートヴィヒ・バッハ(1711年 - 1731年)
- ヨハン・マテウス・ファイラー (Johann Matthäus Feiler) (1778年 - 1814年)
- アドルフ・エミール・ビュヒナー (1865年 - 1880年)
- ハンス・フォン・ビューロー(1880年 - 1885年)
- リヒャルト・シュトラウス(1885年 - 1886年)
- フリッツ・シュタインバッハ(1886年 - 1903年)
- マックス・レーガー(1911年 - 1914年)
- ハインツ・ボンガルツ(1926年 - 1930年)
- ペーター・シュミッツ (Peter Schmitz) (1945年 - 1952年)
- ウルリッヒ・ハヴェルカンプ(Ulrich Haverkamp) (1952年 - 1956年)
- ロルフ・ロイター(1956年 - 1961年)
- オラフ・コッホ (1961年 - 1967年)
- ヴォルフガング・ホッケ (1967年 - 1995年)
- マリー=ジェンヌ・デュフール(Marie - Jeanne Dufour) (1995年 - 1999年)
- キリル・ペトレンコ(1999年 - 2002年)
- ファブリツィオ・ヴェントゥーラ(2002年 - 2004年)
- アラン・ブリバエフ(2004年 - 2007年)
- ハンス・ウルバネク (Hans Urbanek) (2007年 - 2010年)
- フィリップ・バッハ (2010年 - )
脚注
[編集]- ^ a b Meininger Hofkapelle - マイニンゲン宮廷楽団の紹介ページ。
参考文献
[編集]- Kuratorium Meiningen: Stadtlexikon Meiningen, Bielsteinverlag Meiningen, 2008. ISBN 978-3-9809504-4-2
外部リンク
[編集]- Meininger Hofkapelle - マイニンゲン宮廷劇場の公式ページ内にある同楽団の紹介ページ。