メリー・コルヴィン
メリー・コルヴィン Marie Colvin | |
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誕生 |
Marie Catherine Colvin 1956年1月12日 アメリカ合衆国・ニューヨーク市クイーンズ区アストリア |
死没 |
2012年2月22日(56歳没) シリア・ホムス |
職業 | ジャーナリスト |
国籍 | アメリカ合衆国 |
教育 | イェール大学 |
配偶者 |
パトリック・ビショップ Juan Carlos Gumucio |
ウィキポータル 文学 |
メリー・キャサリン・コルヴィン(Marie Catherine Colvin、1956年1月12日 - 2012年2月22日)は、アメリカ合衆国のジャーナリスト。『サンデー・タイムズ』に所属していた。
概要
[編集]ニューヨーク市クイーンズ区アストリアに生まれ、ニューヨーク州ロングアイランドのイースト・ノリッジで育った[1]。エール大学を卒業後、1979年にUPI通信に入社、1985年に『サンデー・タイムズ』に移籍[1]、翌1986年から戦場取材を始める。レバノン内戦や第1次湾岸戦争、チェチェン紛争、東ティモール紛争など世界中の戦場や紛争地などの危険な取材を重ねた。
2001年4月16日、内戦中のスリランカでLTTEへの同行取材を行い、LTTE支配地域からスリランカ政府の支配地域に渡る途上、政府軍の放ったRPGの爆発に巻き込まれ、左目を失明した[1]。その際に付けるようになった黒い眼帯は、彼女のトレードマークとなった[1]。心的外傷後ストレス障害(PTSD)を負いながらも現場復帰し、以降もイラク戦争やアフガニスタン紛争を取材した。2010年にはブリティッシュ・プレス・アワード(British Press Awards)の優秀外国人記者に選ばれた[1]。
2011年、アラブの春で政変の起こったチュニジアとリビアを取材。リビアでは、内戦中に外国人記者として最初にカダフィ大佐へのインタビューを敢行した。2012年2月、内戦中のシリアに入国、政府軍の包囲を受けたホムスにて反政府勢力側の取材を行った。2月21日に最後の中継レポートを行い、翌2月22日、同行していたフランスのカメラマン、レミ・オシリクと共に戦闘に巻き込まれ死亡した[1]。56歳没。彼女らの死因についてシリア政府は「反体制派の仕掛けた即席爆弾によって死亡した」と主張したが、コルヴィンと同行取材し、生き延びたポール・コンロイはこれを否定し、「政府軍がメディアセンターのあった建物を攻撃、その際に放った砲弾で死亡した」と主張している。
2018年、彼女の生涯を描いた伝記映画『プライベート・ウォー』が制作され、ロザムンド・パイクがコルヴィンを演じた。
出典
[編集]- ^ a b c d e f “「ここは冷気と飢えの街」、シリアで死亡したベテラン戦争特派員と若手写真記者” (日本語). AFPBB News. AFP通信 (クリエイティヴ・リンク). (2012年2月23日) 2012年3月3日閲覧。
関連項目
[編集]- プライベート・ウォー
- バハールの涙 - 彼女をモデルにした片眼の白人女性ジャーナリストが登場する。