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ルドヴィーコ1世 (エトルリア王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルドヴィーコ1世
Ludovico I
エトルリア国王
在位 1801年 - 1803年

出生 1773年8月5日
パルマ公国ピアチェンツァ
死去 (1803-05-27) 1803年5月27日(29歳没)
エトルリア王国フィレンツェ
埋葬 スペインの旗 スペイン王国エル・エスコリアル修道院
配偶者 マリーア・ルイーザ・ディ・スパーニャ
子女 カルロ・ルドヴィーコ
マリーア・ルイーザ・カルロッタ
家名 ブルボン=パルマ家
父親 パルマ公フェルディナンド
母親 マリア・アマーリア・ダズブルゴ
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ルドヴィーコ(ルイージ)1世・ディ・ボルボーネLudovico (Luigi) I di Borbone, 1773年8月5日 - 1803年5月27日)は、2代続いたエトルリア王の初代(在位:1801年 - 1803年)。パルマ公フェルディナンドと、神聖ローマ皇帝フランツ1世マリア・テレジアの娘マリーア・アマーリアの息子である。

生涯

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1795年8月25日マドリードにて、スペインカルロス4世マリア・ルイサ・デ・パルマ(パルマ公フィリッポの娘)の娘で従妹のマリーア・ルイーザと結婚し、スペイン王子(インファンテ)となった。この結婚により2人の子、カルロ・ルドヴィーコとマリーア・ルイーザ・カルロッタ(Maria Luisa Carlotta, 1802年 - 1857年)が生まれた。

1800年ナポレオン・ボナパルトパルマ公国を征服した際、トスカーナ大公国を基に1801年3月21日に建てたエトルリア王国ブルボン=パルマ家へ代償として与えたが、この時「リヴォルノ伯」という偽名でフランスをお忍び旅行中であったルドヴィーコはパリで戴冠し、同年4月12日に首都とされたフィレンツェに入った。

あまり健康でなく、てんかんに苦しんでいたとされるルドヴィーコは、1803年に30歳で死去し、息子カルロ・ルドヴィーコが母の摂政の下で王位を継いだ。

脚注

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参考文献

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先代
エトルリア王
1801年 - 1803年
次代
カルロ・ルドヴィーコ