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ロシア構成主義

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ロシア構成主義(ロシアこうせいしゅぎ、ロシア語: Конструктивизм英語: Constructivism)とは、キュビスムシュプレマティスムの影響を受け、1910年代半ばにはじまった、ロシアソ連における芸術運動。絵画彫刻建築写真等。

特徴

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1917年ロシア革命のもと、新しい社会主義国家の建設への動きと連動して大きく展開した。1922年のアレクセイ・ガン(Aleksei Gan)の『構成主義』が理論的基盤をもたらした。その特徴は、抽象性(非対象性・幾何学的形態)、革新性、象徴性等である。平面作品にとどまらず、立体的な作品が多いことも、特徴の1つである。構成主義という言葉は、ナウム・ガボ(Naum Gabo, Наум Габо, 1890年-1977年)とアントワーヌ・ペヴスナー(Antoine Pevsner, Антуан ПевзнерまたはНатан Певзнер, 1886年-1962年)が、最初に使ったとされる。

作家群

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ロシア構成主義に属するとされる主要な作家は、上記2名の他に以下のとおり。

1920年代後半には、スターリンの下でソ連政府が保守化し、社会主義リアリズムが重視されて、ロシア構成主義は衰退した。これに伴って、一部の作家がソ連から西欧やアメリカ合衆国へ逃れたこともあり、遅くとも1930年代には、ロシア構成主義は、国際的に広まった。この段階においては、「国際的構成主義」と呼ばれることもある。また、1930年代の抽象絵画に与えた影響も大きい。

団体・組織・機関

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ロシア構成主義に関係して、いくつかの団体・組織や教育機関が設立されている。主たるものは、次のとおりである。

  • ヴフテマス(Vkhutemas (VKhUTEMAS)、VhutemasまたはVchutemas, 国立高等美術工芸工房または国立高等芸術技術工房:BXУTEMAC, Bxyтeмac, "Выcшие Государственные Художественнo-Texническиe Macтepcкиe"
    1920年に、スヴォマス(Svomas, 国立自由美術工房、国立自由芸術工房または国立自由芸術スタジオ:CBOMAC, Cвoмac, "Свободные Государственные Художественные Мастерские")が改組されてモスクワに設立される。のち、1927年にヴフテイン(Vkhutein (VKhUTEIN) またはVhutein, 国立高等美術工芸研究所または国立高等芸術技術学校:BXУTEИH, Bxyтeин, Выcший, "Гocyдapcтвенный Художественнo-Texнический Институт")に改称するも1930年に閉鎖。基礎過程や建築を重視する、バウハウス的な総合的美術教育をソ連に導入した。

教官の中には、ロドチェンコやタトリンをはじめとして、リシツキー、ガボ、マレーヴィチ、ポポーヴァ、ヴェスニン兄弟イワン・レオニドフ、クリュンなども含まれており、初期にはバウハウスに向う前のカンディンスキーも加わっていた。

  • インフク(InkhukまたはInhuk, 芸術文化研究所:ИНXУK, Инхук ,"Институт Художественной Культуры"
  • ウノヴィス(Unovis, 「新しい芸術の主張者」:УHOBИC, Уновис, "Утвердители нового искусства"
  • オブモフ(ObmokhuまたはObmohu, 「若い芸術家による会」:OБМОХУ, Oбмoxy, "Oбщество Moлoдыx Xyдoжников"
※「:」より後のロシア語表記は、「大文字のみによる略語, 小文字入り略語, "略されていない正式名称"」の順に記載

関連書籍

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  • 五十殿利治土肥美夫編『ロシア・アヴァンギャルド4 コンストルクツィア 構成主義の展開』国書刊行会 1991 
  • 河村彩『ロシア構成主義 生活と造形の組織学』共和国 2019
  • 『革命の印刷術―ロシア構成主義、生産主義のグラフィック論』[1]河村彩編訳、水声社 2021

脚注

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  1. ^ 各・当事者である、エリ・リシツキー/オシップ・ブリーク/ニコライ・タラブーキン/ヴィクトル・ペルツォフ/グスタフ・クルツィス/ウラジーミル・ファヴォルスキーの証言集

関連項目

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