コンテンツにスキップ

ロヴィス・コリント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロヴィス・コリント[1]
Lovis Corinth[1]
ロヴィス・コリント(自画像)、1900年
生誕 Franz Heinrich Louis Corinth
1858年7月21日 [1]
東プロイセン・ターピアウ[1](現在のロシアカリーニングラード州グヴァルジェイスク
死没 (1925-07-17) 1925年7月17日(66歳没)[1]
テンプレートを表示

ロヴィス・コリント: Lovis Corinth、本名、: Franz Heinrich Louis Corinth1858年7月21日 - 1925年7月17日)は、ドイツ画家である。ドイツ印象主義を代表する画家の一人で、晩年は表現主義的な表現も行った。

略歴

[編集]

現在のグヴァルジェイスク、当時プロイセンのタピアウに生まれた。1876年からケーニヒスベルク美術学校に学び、1880年ミュンヘンに移り、フランツ・デフレガーに学んだ後、ミュンヘン美術院に入学し、ルートヴィヒ・フォン・レフツに学んだ。1884年パリに出て、アカデミー・ジュリアン[1]ウィリアム・アドルフ・ブグロー工房で学んだ。この間1882年から軍務についている。

1887年からベルリンやケーニヒスベルクで活動した後、1891年からミュンヘンで活動した。1901年に再びベルリンに移り、個人で美術学校を開いた。マックス・リーバーマンとともに1899年に創立された「ベルリン分離派」の最も活動的なメンバーとなり、1915年から1925年の間は会長も務めた。1902年女性のための美術学校を作り、その学生シャーロッテ・ベーレントドイツ語版結婚した。コリントに学んだ女性画家にはドラマリア・プルシアンドイツ語版もいる。

1903年にはドイツ画家協会ドイツ語版の創立メンバーとなった。1911年脳卒中で半身に障害が残るが製作を続けた。

作品

[編集]

参考文献

[編集]
  • Extrait de la notice de Lovis Corinth [archive] dans le dictionnaire Bénézit sur le site Oxford Index. 2006, (ISBN 9780199773787)
  • Ian Chilvers et John Glaves-Smith, A Dictionary of Modern and Contemporary Art, Oxford University Press, 2009 (ISBN 9780191726750)
  • Maria Makela, Grove Art Online, Oxford University Press, 1998 (ISBN 9781884446054)
  • Ian Chilvers, The Oxford Dictionary of Art and Artists, Oxford University Press, 2015 (ISBN 9780191782763)
  • Henry Garland et Mary Garland, The Oxford Companion to German Literature, Oxford University Press, 2005 (ISBN 9780191727412)
  • Corinth, L., Schuster, P.-K., Vitali, C., & Butts, B. (1996). Lovis Corinth. Munich: Prestel. ISBN 3-7913-1682-6
  • Corinth, L., Uhr, Horst, Berkeley, Los Angeles, Oxford: University of California Press, 1990. ISBN 0-520-06776-2
  • Makela, Maria. "Corinth, Lovis." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press.
  • Rung, Gertrud. "Georg Brandes i Samvær og Breve". Copenhagen: Gyldendalske Boghandel Nordisk Forlag, 1930.

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f ロヴィス コリント Lovis Corinth”. 20世紀西洋人名事典. 日外アソシエーツ. 2020年2月16日閲覧。