丸山政男
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丸山 政男 | |
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生誕 |
1889年9月13日 日本 長野県 |
死没 | 1957年11月11日(68歳没) |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1944年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
丸山 政男(まるやま まさお、1889年(明治22年)9月13日 - 1957年(昭和32年)11月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]長野県出身。農業・丸山政蔵の五男として生れる。松本中学校を経て、1911年5月、陸軍士官学校(23期)を卒業し、同年12月、歩兵少尉任官、歩兵第57連隊付となる。1919年11月、陸軍大学校(31期)を卒業。
参謀本部付勤務、参謀本部員、イギリス出張、イギリス大使館付武官補佐官、参謀本部員、陸大専攻学生、陸大教官、インド駐剳武官、参謀本部付、参謀本部員、東南アジア出張、イギリス大使館付武官、参謀本部課長、近衛歩兵第4連隊長などを経て、1938年7月、陸軍少将に進級。日中戦争に歩兵第6旅団長として出征し、武漢攻略に従事。近衛師団司令部付、第3独立守備隊長などを歴任し、1941年3月、陸軍中将となった。
太平洋戦争には、第2師団長として出征し、バタビア攻略に従事。ガダルカナル島の戦いにおいて、第1次総攻撃の失敗を受けて、ジャワ島守備に着いていた第2師団が第2次総攻撃に投入されたが、それも失敗に終わり、1943年2月の撤退まで泥沼の戦闘を継続した。参謀本部付を経て、1944年3月、予備役に編入された。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。
戦後、戦犯容疑により起訴されたが、1949年12月25日、バタビア裁判で無罪の判決が出された。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。