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伊予郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
愛媛県伊予郡の位置(1.松前町 2.砥部町 薄黄:後に他郡に編入された区域 薄緑・水色:後に他郡から編入した区域)

伊予郡(いよぐん)は、愛媛県伊予国)の

人口49,170人、面積121.97km²、人口密度403人/km²。(2024年10月1日、推計人口)。

以下の2町を含む。

古代

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伊余国造の領域を中心として建てられた。

式内社

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延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
伊予郡 4座(大1座・小3座)
伊予神社 イヨノ 名神大   (論)伊予神社 愛媛県伊予市上野 [1]
(論)伊予神社 愛媛県伊予郡松前町神崎
(論)伊予豆比古命神社 愛媛県松山市居相
伊曽能神社 イソノノ 伊曽能神社 愛媛県伊予市宮下
高忍日売神社 タカオシヒメノ- 高忍日賣神社 愛媛県伊予郡松前町徳丸
伊予豆比子命神社 イヨツヒコノ-   (論)伊豫豆比古命神社 愛媛県松山市居相
(論)伊予神社 愛媛県伊予郡松前町神崎
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明治維新後

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1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の松前町全域のほか、下記の区域にあたる。

  • 松山市の一部(西垣生町・東垣生町・余戸各町・保免各町・市坪各町・出合)
  • 伊予市の一部(双海町各町・中山町各町・平岡・上唐川・両澤・鵜崎を除く)

町村制以前の沿革

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知行 村数 村名
藩領 伊予松山藩 22村 北川原村、西高柳村[1]、上高柳村[2]、昌農内村、東古泉村[3]、西古泉村[3]、浜村[3]、筒井村[3]、横田村、大溝村、永田村[4]、恵久美村、大間村、鶴吉村、神崎村、出作村[5]、徳丸村、中河原村、保免村、余戸村[6]、垣生村[7]、市坪村
伊予大洲藩 3町
15村
灘町[8]、湊町[8]、三島町[8]、中村、森村、三秋村、本郡村、尾崎村、下唐川村、米湊村、上吾川村、下吾川村、下三谷村、上三谷村、上野村、宮下村、八倉村、釣吉村
伊予新谷藩 2村 市場村、稲荷村
松山藩・大洲藩 1村 黒田村[9]
大洲藩・新谷藩 1村 大平村
現在の伊予郡 :市 / :町
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町村制以降の沿革

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61.原町村 62.砥部村 63.広田村 64.中山村 65.出淵村 66.下灘村 67.上灘村 68.佐礼谷村 71.南山崎村 72.北山崎村 73.郡中町 74.郡中村 75.南伊予村 76.北伊予村 77.岡田村 78.松前村 79.垣生村 80.余土村(紫:松山市 桃:伊予市 黄:砥部町 橙:松前町 水色:喜多郡内子町 1 - 9は温泉郡 11 - 15は久米郡 21 - 32は風早郡 41 - 50は和気郡 51 - 56は下浮穴郡→温泉郡)
  • 明治22年(1889年12月15日 - 町村制の施行により、下記の町村が発足[10]。特記以外は現・伊予市。(1町9村)
    • 南山崎村 ← 下唐川村、大平村、下浮穴郡両沢村、上唐川村(現・伊予市)、鵜崎村(現・伊予市、砥部町)
    • 北山崎村 ← 三秋村、中村、市場村、森村、本郡村、三島町、尾崎村、稲荷村
    • 郡中町 ← 灘町、湊町[町分]、米湊村[町分]、下吾川村[町分]
    • 郡中村 ← 米湊村[村分]、上吾川村、湊町[村分]、下吾川村[村分の大部分]、南黒田村[一部]
    • 南伊予村 ← 下三谷村、上三谷村、上野村、宮下村、八倉村
    • 北伊予村 ← 横田村、徳丸村、出作村、中河原村、鶴吉村、永田村[大部分]、大溝村、東古泉村[大部分]、神崎村、恵久美村[一部]、浜村[一部](現・松前町)
    • 岡田村 ← 西古泉村[大部分]、恵久美村[大部分]、大間村、北川原村、昌農内村、上高柳村、西高柳村、永田村[一部](現・松前町)
    • 松前村 ← 北黒田村、浜村[大部分]、筒井村、下吾川村[村分の一部]、東古泉村[一部]、西古泉村[一部]、南黒田村[大部分](現・松前町)
    • 垣生村 ← 西垣生村、東垣生村(現・松山市)
    • 余土村 ← 余戸村、保免村、市坪村(現・松山市)
  • 明治30年(1897年4月1日 - 郡制の施行により、伊予郡・下浮穴郡の各一部の区域をもって、改めて伊予郡が発足。原町村砥部村広田村中山村出淵村下灘村上灘村佐礼谷村が本郡の所属となり、垣生村・余土村の所属郡が温泉郡に変更。(1町15村)
  • 明治40年(1907年1月1日 - 出淵村・中山村が合併し、改めて中山村が発足。(1町14村)
  • 明治41年(1908年10月1日 - 下灘村の一部(石畳)が喜多郡満穂村に編入。
  • 大正10年(1921年9月3日 - 上灘村が町制施行して上灘町となる。(2町13村)
  • 大正11年(1922年10月31日 - 松前村が町制施行して松前町となる。(3町12村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正14年(1925年)4月1日
    • 中山村が町制施行して中山町となる。(4町11村)
    • 上灘町の一部が南山崎村に編入。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和3年(1928年11月10日 - 砥部村が町制施行して砥部町となる。(5町10村)
  • 昭和4年(1929年3月15日 - 広田村の一部(栗田)が中山町に編入。
  • 昭和15年(1940年)1月1日 - 郡中町・郡中村が合併し、改めて郡中町が発足。(5町9村)
  • 昭和30年(1955年
    • 1月1日 - 南山崎村・北山崎村・郡中町・南伊予村が合併して伊予市が発足し、郡より離脱。(4町6村)
    • 2月1日 - 中山町・佐礼谷村が合併し、改めて中山町が発足。(4町5村)
    • 3月31日(4町1村)
      • 砥部町・原町村が合併し、改めて砥部町が発足。
      • 松前町・北伊予村・岡田村が合併し、改めて松前町が発足。
      • 上灘町・下灘村が合併して双海町が発足。
  • 昭和33年(1958年11月1日
    • 砥部町が伊予市の一部(鵜崎の一部[11])を編入。
    • 中山町の一部(佐礼谷のうち平岡)を伊予市に編入。
  • 平成17年(2005年
    • 1月1日 - 砥部町・広田村が合併し、改めて砥部町が発足。(4町)
    • 4月1日 - 伊予市・中山町・双海町が合併して伊予市が発足。(2町)

脚注

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  1. ^ 記載は高柳村西分。
  2. ^ 記載は高柳村上分。
  3. ^ a b c d 松前村1村として記載。
  4. ^ 記載は南江頸村。
  5. ^ 記載は神崎出作村。
  6. ^ 余戸村東分・余戸村西分に分かれて記載。
  7. ^ 垣生村東分・垣生村西分に分かれて記載。
  8. ^ a b c 郡中3町。無高のため「旧高旧領取調帳」には記載なし。読みはみなとまち、なだまち、みしまちょう。
  9. ^ 北黒田村(松山藩領)・黒田村(大洲藩領)に分かれて記載。
  10. ^ 読み方は「旧高旧領取調帳データベース」を参照。
  11. ^ 編入後の表記は砥部町「鵜ノ崎」。

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 38 愛媛県、角川書店、1981年10月1日。ISBN 4040013808 
  • 旧高旧領取調帳データベース
先代
------
行政区の変遷
- 1897年 (第1次)
次代
伊予郡(第2次、恒生村・余土村以外全域)
温泉郡(第2次、恒生村・余土村)
先代
伊予郡(第1次)・下浮穴郡の各一部
行政区の変遷
1897年 - (第2次・統合後)
次代
(現存)