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円珍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
円珍
弘仁5年3月15日 - 寛平3年10月29日
814年4月8日 - 891年12月4日
智証大師像(金倉寺蔵、重要文化財)
智証大師像(金倉寺蔵、重要文化財
(金剛名号)智慧金剛
諡号 智証大師(醍醐天皇より)
生地 讃岐国
宗派 天台宗寺門派
寺院 園城寺
義真
著作 『法華論記』ほか
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円珍(えんちん)は、平安時代天台宗仏教天台寺門宗(寺門派)の宗祖。諡号智証大師智證大師、ちしょうだいし)。宝号は「南無大師智慧金剛(なむだいしちえこんごう)」。

で学んだ入唐八家(最澄空海常暁円行円仁恵運円珍宗叡)の一人。

概説

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弘仁5年(814年)、讃岐国香川県)金倉郷に誕生。多度郡弘田郷の豪族佐伯氏の一門のひとり。俗姓は和気は遠塵。空海(弘法大師)の甥(もしくは姪の息子)にあたる。生誕地は善通寺から4kmほどのところ。幼少から経典になじみ、15歳(数え年、以下同)で比叡山に登り、延暦寺義真に師事、12年間の籠山行に入る。

承和12年(845年)、役行者の後を慕い、大峯山葛城山熊野三山を巡礼し、修験道の発展に寄与する。承和13年(846年)、延暦寺の学頭となる。仁寿3年(853年)、新羅商人の船で入唐、途中で暴風に遭って台湾に漂着してから、同年8月に福州連江県に上陸した。以後、天台山国清寺に滞在しながら求法に専念。斉衡2年(855年)には長安を訪れ、真言密教を伝授された。

天安2年(858年)、唐商人の船で帰国。帰国後しばらく金倉寺に住み、寺の整備を行っていた模様。その後、比叡山の山王院に住し、貞観10年(868年)に延暦寺第5代座主となる。これに先立つ貞観元年(859年)に園城寺(三井寺)の長吏別当)に補任され、同寺を伝法灌頂の道場とした。後に、比叡山を山門派が占拠したため、園城寺は寺門派(天台寺門宗)の拠点となる。

寛平3年(891年10月29日、入寂。享年78歳。三井寺には、円珍が感得したとされる『黄不動』『新羅明神像』等の美術品の他、円珍の手による文書が他数残されており、日本美術史上も注目される。

延長5年(927年12月27日醍醐天皇より「法印大和尚位」と「智証大師」の諡号を賜る。

著作

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著作は90を数え、円珍の教えを知る著作である『法華論記』『授決集』の他、自身の書いた入唐旅行について記した『行歴抄』など著名である。『智証大師全集』全3巻がある。『行歴抄』では、円載との確執が描写されている[1]

肖像

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国宝の智証大師像(中尊大師)。園城寺所蔵。平安時代の作。

円珍は、園城寺では宗祖として尊崇され、同寺には国宝の彫像をはじめ、多くの円珍像が伝わる。同寺唐院大師堂には「中尊大師」「御骨大師」と称する2体の智証大師像があり、いずれも国宝に指定されている。いずれの像も頭頂が尖り、頭部の輪郭が卵型を呈する独特の風貌に特徴がある。これを「霊蓋」(れいがい)といい、左道密教では未来を予知できる能力を備えるとされ、非常に崇められた。反面、その験力を得ようと切り取られることもあったため、入唐時に諭され非常に警戒された。

円珍の書

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円珍自筆書状(僧正遍照宛、年未詳5月27日)。東京国立博物館蔵、国宝「円珍関係文書」の一つ。

書風は「枯枝のような」と評される独特のものである。真跡は20余点現存し、その代表的なものは次のとおりである。

  • 僧正遍照宛円珍書状(国宝)[2]
東京国立博物館所蔵の国宝「円珍関係文書」のうち。古今集の歌人である遍照僧正への返信で、年はなく5月27日の日付があるのみであるが、晩年の手紙と推定される。一見稚拙のようだが、古渋な勁い書である。
  • 請伝法公験奏状案(でんぽうくげんをこう そうじょうあん)(国宝)
園城寺所蔵の国宝「智証大師関係文書典籍」のうち。入唐からの帰国後、伝法のための公験(証明書)を請求するため、朝廷に提出した文書の案である。貞観5年(863年)11月13日の日付がある。書風は行書風の特徴ある楷書

円珍関係文書典籍の「世界の記憶」登録

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円珍が唐に渡る際に、九州大宰府で交付された渡航証明書や、唐の役所で発給された通行許可証など合計56件で構成される「智証大師円珍関係文書典籍―日本・中国の文化交流史―」が2023年5月24日、ユネスコの「世界の記憶」に登録された[3][3][4]

脚注

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  1. ^ 王勇『唐から見た遣唐使 混血児たちの大唐帝国』講談社選書メチエ 1998年
  2. ^ (大阪市立美術館, サントリー美術館 & 福岡市博物館 2008, p. 69(写真掲載))
  3. ^ a b 円珍文書「世界の記憶」ユネスコ決定 唐代の交流伝える読売新聞』朝刊2023年5月25日1面(2023年6月6日閲覧)
  4. ^ UNESCO Memory of the World Register”. UNESCO. 2023年5月27日閲覧。

関連項目

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参考文献

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