利別駅
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利別駅 | |
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駅舎(2018年9月) | |
としべつ Toshibetsu | |
◄K34 幕別 (6.5 km) (3.5 km) 池田 K36► | |
所在地 | 北海道中川郡池田町字利別西町 |
駅番号 | ○K35 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■根室本線 |
キロ程 | 64.5 km(新得起点) |
電報略号 | トシ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
58人/日 -2014年- |
開業年月日 | 1904年(明治37年)12月15日[1] |
備考 | 無人駅 |
利別駅(としべつえき)は、北海道中川郡池田町字利別西町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の駅である。駅番号はK35。電報略号はトシ。事務管理コードは▲110420[2]。
歴史
[編集]年表
[編集]- 1904年(明治37年)12月15日:北海道官設鉄道の駅として開業[4]。一般駅[1]。
- この時点では滝川起点203 k 870m 地点に設置されていた[5]。
- 1905年(明治38年)4月1日:官設鉄道に移管[1]。
- 1944年(昭和19年):帯広緑ヶ丘飛行場(旧帯広空港)から陸軍第1飛行師団の修理工場が疎開して第6野戦航空修理廠を設置。軍用線を敷設。
- 1967年(昭和42年)
- 1971年(昭和46年)
- 1984年(昭和59年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
- 1996年(平成8年)度:石勝線・根室線高速化工事に伴い同年度に分岐器を弾性分岐器に交換[10]。
駅名の由来
[編集]→「利別川 § 名称の由来」も参照
旧地名「利別太」より[11]。
駅構造
[編集]池田駅管理の無人駅。島式ホーム1面2線の地上駅。1線スルー化はされていない。2番線は上り列車も使用可能であるが、通常は下り列車のみの使用である。構内踏切が滝川方にあり、そのまま、駅本屋を通らずに外に出られる。
駅舎は1967年(昭和42年)の移転に伴い新築されたもので、鉄筋コンクリート造平屋(130㎡)である[7]。
移設前の旧駅は、国鉄では一般的な単式と島式の複合ホーム2面3線で、駅舎横幕別側に貨物ホームと引込線を有していた[5]。
のりば
[編集]番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
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1 | ■根室本線 | 上り | 帯広・新得方面 |
2 | 下り | 池田・釧路方面 |
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待合室(2018年9月)
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ホーム(2018年9月)
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構内踏切(2018年9月)
利用状況
[編集]1日の平均乗降人員は以下の通りである[12]。
乗降人員推移 | |
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年度 | 1日平均人数 |
2011 | 58 |
2012 | 60 |
2013 | 62 |
2014 | 58 |
駅周辺
[編集]南側に利別の市街地が広がり、住宅が多い。北側は主に畑となっている。
利別(旧名:利別太)は十勝川と利別川の合流点にあたり、十勝地方の和人による開拓においては水運による物資輸送の中継地点として大きく栄えた場所であり、凋寒村(池田町の前身)の役場や学校も置かれていた[11]。鉄道開通直後の1906年(明治39年)末当時の凋寒村の人口は7,165人であり、同時点の帯広町の人口(4,249人)をも凌ぐ、十勝1位の規模であった[13]。
しかし、当初予定されていた網走線(のちの池北線→ふるさと銀河線)の分岐が着工時に利別から池田に変更となったことや、鉄道開通で水運が衰退してしまったことが影響し、現在の池田市街が急速に発展する一方で、利別市街は没落した経緯を持つ[13][14][11]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、878頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、232頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 池田町史。終戦間際には激しくなってきた空襲を避けるため、この軍用線を利用して池田機関区の機関車を避難させていた。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b c d e 日本国有鉄道札幌工事局70年史編集委員会 編『札幌工事局七十年史』日本国有鉄道札幌工事局、1977年3月、402-405頁。doi:10.11501/12050108 。
- ^ a b c d e 『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』北海道旅客鉄道株式会社釧路支社、2001年12月25日、103-104, 155頁。
- ^ a b c d 『釧路鉄道管理局史』日本国有鉄道釧路鉄道管理局、1972年10月14日、85頁。doi:10.11501/12757877。
- ^ 「利別駅の移転新築完成」『交通新聞』交通協力会、1967年11月7日、2面。
- ^ “「通報」●根室本線幾寅駅ほか30駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月29日)
- ^ 藤島, 茂「JR北海道における130km/h高速化」『鉄道と電気技術』第8巻第4号、日本鉄道電気技術協会、1997年3月、68-71頁、doi:10.11501/3314045、ISSN 0915-9231。
- ^ a b c 片桐, 正一 (1994-01). “パーソナル・ライフ・ヒストリー 小作農民の孫が見聞きしたわが家の変遷と世相断片--開拓移住、百年の中で”. 北海道を探る (北海道みんぞく文化研究会) (26): 8-71. doi:10.11501/4424085. ISSN 0911-5692 .
- ^ 国土数値情報 駅別乗降客数データ - 国土交通省、2020年9月21日閲覧
- ^ a b 帯広市史編纂委員会 編『帯広市史』帯広市、1984年2月27日、172頁。doi:10.11501/9571152 。
- ^ 北海道保線史編集委員会 編『北海道保線のあゆみ』日本鉄道施設協会北海道支部、1972年10月14日、51頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 利別|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|鉄道・きっぷ|JR北海道- Hokkaido Railway Company
- 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
- 1948年(昭和23年)撮影航空写真 USA-R253-11 旧駅と帯広方で上へ分岐する旧陸軍第1飛行師団修理廠(修理工場)への軍用線。
- 1944年(昭和19年)撮影航空写真 912Q63-C2-59 写真中央やや左上、山間に隠されるように設置された旧陸軍第1飛行師団修理廠と軍用線。場所はちょうど後の北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線(池北線)の様舞駅の西方に当たる。