南端村
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南端村 | |
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廃止日 | 1956年4月1日 |
廃止理由 |
分割編入 南端村 → 日出町、別府市 |
現在の自治体 | 別府市、杵築市、宇佐市、日出町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 大分県 |
郡 | 速見郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,374人 (1955年) |
隣接自治体 | 別府市、速見郡豊岡町、山香町、宇佐郡津房村、大分郡由布院町 |
南端村役場 | |
所在地 | 大分県速見郡南端村大字南畑 |
座標 | 北緯33度22分25秒 東経131度27分29秒 / 北緯33.37356度 東経131.45817度座標: 北緯33度22分25秒 東経131度27分29秒 / 北緯33.37356度 東経131.45817度 |
ウィキプロジェクト |
南端村(みなみはたむら)は、かつて大分県速見郡に存在した村である。4つに分割され、現在の宇佐市、杵築市、日出町、別府市の一部となっている。南畑とも表記される。
現在は日出町立南端中学校・日出町立南端小学校等に名をとどめる。
歴史
[編集]近世まで
[編集]南畑村は、中世には日出荘と呼ばれる荘園の一部で、1601年(慶長6年)に日出藩領となった。
一方、天間村(あままむら)は由布院の一部で、大友氏の直轄地であったが、その没落後、幕府領を経て、1601年(慶長6年)に中津藩領となり、その後、小倉藩、熊本藩、日田藩、幕府領、島原藩、高松代官所支配地と支配者が頻繁に変わった。
近代
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、南畑村・天間村が合併し、速見郡南端村が成立。南畑、天間はそれぞれ南端村の大字となる。1891年(明治24年)の人口は1,648人。
- 1955年(昭和30年)8月1日 - 大字南畑の一部を宇佐郡安心院町、速見郡山香町へ編入。それぞれ、安心院町大字南畑、山香町大字南畑となる。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 大字天間全域及び大字南畑の一部を別府市へ、大字南畑の残部を日出町へ編入し、南端村は閉村となった。それぞれ、別府市大字天間及び大字南畑、日出町大字南畑となる。