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堅田神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
堅田神社
所在地 三重県伊勢市二見町茶屋堅田442-2
位置 北緯34度30分20.4秒 東経136度46分47.4秒 / 北緯34.505667度 東経136.779833度 / 34.505667; 136.779833 (堅田神社)座標: 北緯34度30分20.4秒 東経136度46分47.4秒 / 北緯34.505667度 東経136.779833度 / 34.505667; 136.779833 (堅田神社)
主祭神 佐見都日女命
社格 式内社(小)論社
皇大神宮摂社
創建 延長5年(927年)以前
本殿の様式 神明造
主な神事 神嘗祭
地図
堅田神社の位置(三重県内)
堅田神社
堅田神社
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堅田神社(かただじんじゃ)は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社。内宮の摂社27社のうち第15位である[1]

二見浦が内宮と外宮の両宮に納める御塩が生産される契機となった神社であり、土地神を祀る[2]

概要

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三重県伊勢市二見町茶屋堅田442-2に鎮座する[注 1]。『延喜式神名帳』の「榎村神社」・「大国玉比売神社」双方の論社となっている[2]。堅田神社を「大国玉比売神社」に比定する見解は、度会延経や伴信友が述べており、薗田守良は堅田神社の西方に「大国玉比売神社」があったのではないか、と述べている[4]。ほかに宇治山田神社が「大国玉比売神社」の論社となっている[4]

社地の面積は2反5畝11歩(≒2,516m2[5]神体は石であり、社殿は長さ4.4尺(≒1.3m)×広さ5尺(≒1.5m)×高さ6.5尺(≒2.0m)である[6]

祭神

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祭神は佐見都日女命(さみつひめのみこと)[7][8]。土地のとされる[7][8]。式内社「大国玉比売神社」の後継が堅田神社であると考えると、佐見都日女命は伊勢国の大国玉、すなわち伊勢津彦の娘となる[2]。「佐見」とは鎮座地の古い地名である[2]

歴史

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倭姫命が諸国を巡幸し二見の地を訪れた際に、土地の神である佐見都日女命は倭姫命に堅塩を奉った[7][8]。倭姫命はこれを喜び、堅田神社を定めた[7][8]。ただし、佐見都日女命は倭姫命に進んで堅塩を奉じたわけではなく、倭姫命の質問に一切答えず、黙って堅塩を奉じることで、自らの開拓した土地を差し出すことにせめてもの抵抗を示したのである[2]。これが二見浦で内宮・外宮へ納める御塩を生産する起源となった[2]

堅田神社は一時祭祀が中断したものの、荒木田氏経が永享6年(1434年)に再興し、寛文10年(1670年)に二見が神領に復すると、江戸幕府は領民に祭礼遷宮を命じ、こぞって奉仕したという[9]

1921年(大正10年)3月に建て替えが行われている[5]

周辺

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音無山の西麓、伊勢市役所二見総合支所の向かいに鎮座する[7]。付近には二見旅館街があり、旅館街を抜けると二見興玉神社夫婦岩)に到達する[8]

JR参宮線二見浦駅から徒歩約6分(約400m)[10]。二見総合支所前バス停からすぐ。自家用車利用の場合、伊勢二見鳥羽ライン二見JCTより国道42号を経由、約1分(約1.2km)である。

脚注

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注釈
  1. ^ 出典では「二見町江堅田442-2」と記載[2]。旧度会郡二見町大字江字堅田は旧伊勢市などとの合併により、伊勢市二見町茶屋字堅田に変更となった[3]
出典
  1. ^ 宇治山田市役所 編(1929):9 - 11ページ
  2. ^ a b c d e f g 辰巳出版(2013):77ページ
  3. ^ 町の区域の設定調書”. 伊勢市市民交流課. 2014年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月8日閲覧。
  4. ^ a b 式内社研究会 編(1990):253ページ
  5. ^ a b 宇治山田市役所 編(1929):10ページ
  6. ^ 福山ほか(1975):150ページ
  7. ^ a b c d e 伊勢文化舎 編(2008):95ページ
  8. ^ a b c d e 学研パブリッシング(2013):70ページ
  9. ^ コース05 二見ルート〜禊と塩のまち二見の神社・夫婦岩・蘇民の森〜”. 伊勢市観光協会. 2013年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月8日閲覧。
  10. ^ 13 御塩道”. 横山ビジターセンター. 2014年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月8日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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画像外部リンク
堅田神社