小月
小月 おづき | |
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国 | 日本 |
地方 | 中国地方 |
都道府県 | 山口県 |
自治体 | 下関市 |
旧自治体 | 小月町 |
面積 |
8.09km² |
世帯数 |
3,164世帯 |
総人口 |
6,284人 (登録人口、2024年2月末現在) |
人口密度 |
776.76人/km² |
隣接地区 | 本庁地区、清末地区、菊川地区、王喜地区、吉田地区 |
下関市役所小月支所 | |
北緯34度4分17.67秒 東経131度2分2.8秒 / 北緯34.0715750度 東経131.034111度座標: 北緯34度4分17.67秒 東経131度2分2.8秒 / 北緯34.0715750度 東経131.034111度 | |
所在地 |
〒750-1142 山口県下関市小月本町一丁目7番7号 |
小月(おづき)とは、山口県下関市の小月地区(下関市役所支所設置条例で示された下関市役所小月支所の所管する区域)を指す地域名称。なお、旧下関市域のうち、JR小月駅を最寄り駅とする地域全体(小月に、清末、王喜、吉田を加えた地域。)を指す言葉として「小月」という語が使用されることがあるが、必ずしも正確ではない。
本項ではその前身の豊浦郡小月村(おづきむら)→小月町(おづきまち)についても述べる。
地域概要
[編集]下関中心市街地から北東へ約16km、下関市の東方に位置し、木屋川最下流域の西岸に位置する地域である。
登録人口は7,027人。(2009年2月28日現在、下関市役所ホームページによる。)
地区面積は8.09km2(2007年10月1日現在、下関市役所ホームページによる。)で、旧下関市内では一番面積が小さい。
土地利用は住宅と農地を主とする。ただし、小月駅北側と国道491号(旧国道2号)沿線に若干の商店があり、小月小島町に日清食品などの工場が立地する。
北は菊川地区、西は内日地区、東は王喜地区および吉田地区、南は清末地区と隣接する。
域内には、JR山陽本線、国道2号(小月バイパス)、国道491号(旧国道2号)、中国自動車道が通る。また、JR山陽本線小月駅と中国自動車道小月ICがある。
地名由来と地域のあゆみ
[編集]おづきまち 小月町 | |
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廃止日 | 1939年5月17日 |
廃止理由 |
編入合併 小月町、清末村、王司村、勝山村、吉見村 → 下関市 |
現在の自治体 | 下関市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方 |
都道府県 | 山口県 |
郡 | 豊浦郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,097人 (国勢調査、1935年) |
隣接自治体 |
豊浦郡清末村、豊東村 厚狭郡王喜村、吉田村 |
小月町役場 | |
所在地 | 山口県豊浦郡小月町 |
座標 | 北緯34度4分17.0秒 東経131度2分2.3秒 / 北緯34.071389度 東経131.033972度 |
ウィキプロジェクト |
小月の地名は『武久氏文書』に「小津木」、『忌宮神社文書』に「小月」とある[1]。由来は山の尾(裾野)の最後にあったために「尾付」と称したのが「小月」と転じた説、高尾山まで船が着いたことから「高尾着」と呼ばれていたのが省略されて「尾着」→「小月」となった説、小槻から転じた説[2]などがある。古くから山陽道の宿場町として栄え、明治期に入って国道が整備されると、山口県中部・北部の菊川・豊田・萩へつながる道の分岐点として位置づくことになった。もとは旧豊浦郡に属する村(小月村)であったが、町制施行ののち1939年(昭和14年)に下関市へ編入した。
自治体としての沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、豊浦郡小月村が単独で自治体を形成。
- 1932年(昭和7年)11月3日 - 小月村が町制施行して小月町となる。
- 1939年(昭和14年)5月17日 - 小月町が下関市に編入。同日小月町廃止。
主な施設・名所など
[編集]脚注
[編集]- ^ 高橋文雄『山口県地名考』マツノ書店、1979年、211頁。
- ^ 『防長地名淵鑑』御薗生翁甫 著、防長倶楽部出版国立国会図書館デジタルコレクション