山口忠良
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府南河内郡河南町 |
生年月日 | 1958年10月17日(66歳) |
身長 体重 |
177 cm 67 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1980年 ドラフト外 |
初出場 | 1982年7月14日 |
最終出場 | 1985年10月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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山口 忠良(やまぐち ただよし、1958年10月17日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
来歴・人物
[編集]明星高校では3年夏に府大会準決勝まで進むがPL学園高に敗退。立命館大学を経て、1980年オフにドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。
サイドスローの変化球投手。球威不足から敗戦処理が主な登板で、1986年限りで現役を引退。
1982年10月18日の対中日最終戦に4番手として登板。長崎慶一とともに首位打者がかかった中日・田尾安志はこの試合で5打席連続敬遠され、その5打席目の投手となった。田尾は山口との対戦でボールカウント0-3からの敬遠球2球をスイングし、周囲を驚かせた[1]。
引退後は、横浜の打撃投手を経て球団職員に転身。2008年度まで業務部(シーレックス)専任部長。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1982 | 大洋 | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 92 | 21.2 | 17 | 2 | 11 | 2 | 0 | 17 | 0 | 0 | 7 | 5 | 2.05 | 1.29 |
1983 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 96 | 20.2 | 18 | 0 | 17 | 3 | 2 | 13 | 0 | 0 | 8 | 7 | 3.05 | 1.69 | |
1985 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 13 | 3.0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3.00 | 1.33 | |
通算:3年 | 34 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 201 | 45.1 | 39 | 3 | 28 | 5 | 2 | 32 | 0 | 0 | 16 | 13 | 2.58 | 1.48 |
記録
[編集]- 初登板:1982年7月14日、対広島東洋カープ13回戦(横浜スタジアム)、8回表1死に5番手で救援登板・完了、1回2/3を1失点
- 初奪三振:同上、8回表に木下富雄から
- 初勝利:1983年9月1日、対ヤクルトスワローズ21回戦(横浜スタジアム)、4回表に2番手で救援登板、3回無失点
背番号
[編集]- 30 (1981年 - 1986年)
- 93 (1987年 - 1992年)
脚注
[編集]- ^ “【10月18日】1982年(昭57) 田尾、5連続敬遠で毛の差の2位 “引き換え”に中日V”. SPORTS NIPPON NEWSPAPERS. 2011年10月30日閲覧。[リンク切れ]