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水野勝寛

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水野勝寛
時代 江戸時代末期(幕末) - 明治時代初期
生誕 安政3年6月2日1856年7月3日
死没 明治6年(1873年12月1日
改名 楔之助(幼名)、勝寛
墓所 東京都港区三田の常林寺
幕府 江戸幕府
下総国結城藩
氏族 水野氏
父母 父:水野勝進
養子:忠愛
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水野 勝寛(みずの かつひろ)は、下総結城藩の第11代(最後)の藩主。水野宗家16代。

生涯

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安政3年(1856年)、第8代藩主水野勝進の次男として生まれる。第10代藩主・勝知戊辰戦争において旧幕府軍に協力したため、新政府に恭順する家臣団によって新藩主として擁立され、明治元年(1868年)に勝知が強制隠居処分となったため、明治2年(1869年)2月24日に家督を継いだ。このとき、石高も1万8000石から1万7000石に減封された。

明治2年(1869年)6月22日、版籍奉還により結城藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で藩知事を免官された。明治6年(1873年)12月1日に死去した。享年18。

系譜

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父母

子女


当主
先代
水野勝知
結城藩水野家
16代
1869年 - 1873年
次代
水野忠愛