清水釘吉
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清水 釘吉(しみず ていきち、慶応3年11月10日(1867年12月5日) - 昭和23年(1948年)9月7日)は、日本の実業家。清水組代表取締役社長。旧姓・小野。
略歴
[編集]- 1867年(慶応3年) 宮津藩士・小野高永の次男として、江戸に生まれる。
- 1883年(明治16年) 慶應義塾から東京英和学校に転じ、明治18年工部大学校に入学。
- 1891年(明治24年) 帝国大学工学部建築学科卒業。
- 同年、清水組3代清水満之助の婿養子となり分家。
- 卒業後、工手学校(工学院大学の前身)で教鞭をとる
- 1894年(明治27年) 清水満之助店 三代技師長
- 1900年(明治33年) 清水満之助店 営業監督
- 1902年(明治35年) 欧米視察
- 1909年(明治42年) 石川島造船所取締役。
- 1915年(大正4年) 清水組業務執行役員店長
- 1936年(昭和11年) 清水組取締役社長(〜1940年(昭和15年))
- 1948年(昭和23年) 死去。
その他
[編集]- 墓地は谷中霊園甲9号13側にある。
- 造家学会(現日本建築学会)名誉会員。
家族
[編集]- 実父・小野高永 - 宮津藩士
- 妻・たけ - 清水組社長・清水満之助の娘[1]
- 長男・俊雄 - 岳父に九段精華高等女学校校長・尺秀三郎(尺振八の死後養子)[1]
- 長女・文 - 横浜の貿易商・守安瀧三郎の子・瀧三の妻。瀧三の姉の夫に岡崎久次郎、高橋是福がいる。瀧三の甥に守安祥太郎。[1]
- 三男・康男 - 清水満之助の養嗣子。清水組社長。妻の貞子は東京川崎財閥・川崎八右衛門 (2代目)の孫。[1][2]
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 清水組内清水釘吉翁伝記刊行会『清水釘吉翁』1943
- 三田商業研究会編 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月、843-844頁 。(近代デジタルライブラリー)