野田一雄
表示
| ||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
選手情報 | ||||||||||||||||||
フルネーム | 野田 一雄 | |||||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||
泳法 | 自由形 | |||||||||||||||||
生年月日 | 1908年6月30日 | |||||||||||||||||
生誕地 | 静岡県浜松市 | |||||||||||||||||
没年月日 | 1995年3月31日(86歳没)[1] | |||||||||||||||||
|
野田 一雄(のだ かずお、1908年6月30日 - 1995年3月31日[1])は、日本の競泳選手。400m・800m・1500m自由形元日本記録保持者[2]。
経歴
[編集]静岡県浜松市出身。静岡県立浜松商業学校(現・静岡県立浜松商業高等学校)卒業後、慶應義塾大学に進学。
1924年、浜商在学中にパリオリンピック代表に選出され、400m自由形・1500m自由形に出場。また、男子4×200mリレーにおいて小野田一雄、高石勝男、宮畑虎彦とともに4位の成績を修めた[3]。
1925年、第7回極東選手権競技大会に出場。400ヤード第3位[4]。
1926年、第5回全国学生水上競技大会に出場。100m・800m自由形優勝[2]。
1928年アムステルダムオリンピックで水泳主将を務め[4]、男子4×200mリレーの予選のみ出場した。なお、この時4×200mリレーで日本チームは決勝に進出し、銀メダルを獲得している[3]。
1929年、第8回全国学生水上競技大会に出場[2]。
1932年、ロサンゼルスオリンピックに監督補助として選手団に同行した[5]。
晩年は日本水泳連盟の顧問を務めた[6]。
1995年(平成7年)3月31日に逝去した。享年86[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c 日本水泳連盟 2004, p. 478.
- ^ a b c 水泳部年表、慶應義塾大学体育会創立100年記念誌「若き血燃ゆ」82頁(1992年)
- ^ a b Kazuo Noda Bio,Stars,and Results,Olympics at Sports-Reference.com
- ^ a b 浜松市史三-第四章 市制の施行と進む近代化-第五節 教育機関の拡充と社会教育の進展-第六項 スポーツの振興 学校体育の隆盛とスポーツの大衆化-オリンピック出場 世界新記録、浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
- ^ 日本代表役員、『月刊水泳』第12号19頁
- ^ 日本水泳連盟 1994, p. 448.
関連作品
[編集]- いだてん〜東京オリムピック噺〜(2019年、NHK総合テレビジョン) - 演:三浦貴大
参考文献
[編集]- 日本水泳連盟『創立70周年記念誌 財団法人日本水泳連盟』日本水泳連盟、1994年11月19日、450頁。
- 日本水泳連盟『創立80周年記念誌 財団法人日本水泳連盟』日本水泳連盟、2004年11月、495頁。
関連項目
[編集]- 1924年パリオリンピックの日本選手団
- 1928年アムステルダムオリンピックの日本選手団
- 400m自由形の歴代日本記録一覧
- 800m自由形の歴代日本記録一覧
- 1500m自由形の歴代日本記録一覧
- 4×200mフリーリレーの歴代日本記録一覧
外部リンク
[編集]- 野田一雄 - Olympic.org
- 野田一雄 - Olympedia
- 野田一雄 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 野田一雄 - 世界水泳連盟