コンテンツにスキップ

青龍寺 (京都市東山区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青龍寺
所在地 京都府京都市東山区河原町通八坂鳥居前下ル南町411
位置 北緯34度59分56.7秒 東経135度46分45.7秒 / 北緯34.999083度 東経135.779361度 / 34.999083; 135.779361座標: 北緯34度59分56.7秒 東経135度46分45.7秒 / 北緯34.999083度 東経135.779361度 / 34.999083; 135.779361
山号 見性山
宗派 浄土宗
本尊 聖観音
創建年 延暦8年(789年
開基 桓武天皇
中興年 建久3年(1192年
中興 見仏
札所等 洛陽三十三観音霊場第9番
法人番号 4130005000243 ウィキデータを編集
テンプレートを表示

青龍寺(せいりゅうじ)は、京都市東山区にある浄土宗寺院山号は見性山。本尊聖観音高台寺の山門前、清水寺から八坂神社に通じる観光ルートの一角にある。洛陽三十三所観音霊場第9番札所。

歴史

[編集]

延暦8年(789年)に桓武天皇の勅命によって長岡京近郊、乙訓郡小塩山に大宝寺として創建され、平安遷都により現在地に移された。「伽羅(きゃら)観音」の通称で広く信仰を集めてきた本尊の聖観音は、本堂正面に安置されており、身の丈約1メートル、細身の優雅な立ち姿である。寺伝によると、の皇帝徳宗から献上された伽羅木を、桓武天皇が伝教大師(最澄)に命じて彫刻させたものという。

その後、治承・寿永の乱の戦火にあって荒廃していたが、建久3年(1192年)に法然の弟子である見仏が再興し、法然を請待して浄土宗の六時礼賛別時念仏の道場とし、寺名を引導寺に改めた。

江戸時代寛永年間(1624年 - 1645年)、知恩院第32世雄譽霊巌上人により寺名を青龍寺と改めた。

境内

[編集]
  • 本堂
  • 庫裏
  • 弁天
  • 念仏石 - 本堂前の庭に長さ1メートル、幅50センチほどの石が据えられている。法然の門弟・見仏が後白河法皇追善回向の為、法然を招いて六時礼讃を勤めた時、同じく門弟の住蓮が鉦の代わりに叩いたという石で、隕石との言い伝えもあり、名物となっている。大小二つあって、小さい方は本堂内に保存されており、打つとカーンと金属性の音がする。
  • 近藤正慎(義重)の墓 - 勤王の志士。
  • 山門

前後の札所

[編集]
洛陽三十三所観音霊場
8 大蓮寺 - 9 青龍寺 - 10 清水寺善光寺堂

外部リンク

[編集]