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ノート:南京 (戦線後方記録映画)/過去ログ1

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マギーフィルム

他の映像記録は公開日を基準に並べました。マギーフィルムが世に公開されたのはいつなのでしょうか。はっきりしない場合やその規模が公開とは言えないのであれば映像記録の末尾に置くべきと考えます。ご意見などありましたらお願いします。--Sweeper tamonten 2008年4月27日 (日) 19:18 (UTC)

ザ・バトル・オブ・チャイナ南京の真実でも公開日を基準に並べてある順序の入れ替えやストーキングなどの挑発的な行為が確認できます。既にIP氏には荒らしの注意書きなど複数の方が警告されているようです利用者‐会話:210.138.182.133。Sweeper tamontenさんの基準でいいと思います。 Sfad 2008年4月28日 (月) 07:37 (UTC) (追記)2008年5月4日 (日) 15:02に投稿ブロックの方針3.3.5により削除。--210.138.182.133 2008年5月28日 (水) 17:21 (UTC)
マギーフィルムは撮影フィルムであって、記録映画・ドキュメンタリー映画ではないので、いわゆる「公開」はされていません。米国に持ち出されたフィルムで上映会がされたようですが、はっきりとした時期はわかりません(太平洋戦争勃発よりは前だと思われます)。そのような全体の経緯から考えて、『ザ・バトル・オブ・チャイナ』よりは前に成立したと考えたのですが、「はっきりしない場合やその規模が公開とは言えないのであれば映像記録の末尾に置くべき」というのならばそれに従います。なおSfadさんは何か勘違いをなさっているようですが、私は“荒らしについての警告”は受けていません。始めたころにプレビュー機能を活用せず、同じ記事に投稿を繰り返して版を重ねてしまったので、その点を注意されただけです。--210.138.182.133 2008年4月28日 (月) 14:49 (UTC)
Sfadさんは無期限の投稿ブロックを受けたようです。--210.138.182.133 2008年5月3日 (土) 05:51 (UTC)

カテゴリ:南京大虐殺について

以前からこのカテゴリは外したいと考えていました。なぜかというとカテゴリによって南京大虐殺の資料を求めにこの記事を見たところで何もありません。映画の目的は南京攻略戦を後世に伝えることですから当然のことです。この映画には南京大虐殺に関することはありませんが日中戦争の中の一場面ということでは充分な意味があるので210.138.182.133氏の判断を支持いたします。--Sweeper tamonten 2008年6月11日 (水) 17:18 (UTC)

はじめまして。南京大虐殺として作られた映像が多い中、その残虐なイメージとは逆の記録映像として対比する意味があると考えました。一般に残虐映像が報道され目にする機会が多い中、この記事のような事実を知ることは資料を求める人に有益ではないでしょうか?確かに南京大虐殺を求めても何もありませんが・・・。あとザ・バトル・オブ・チャイナにこのカテゴリを張ろうと思っていますがご意見お願いします。Aruhambla 2008年6月11日 (水) 18:03 (UTC)投稿ブロックの方針3.3.5により削除。
ザ・バトル・オブ・チャイナについては南京 (戦線後方記録映画)とは違い、記事は南京大虐殺の根拠となる映像について書かれているので「カテゴリ:南京大虐殺」を外すべきではないと考えます。日中戦争に含まれるということは言えますがいくつかの部分(上海爆撃や南京虐殺)を強調して示しているのであり、南京虐殺の資料を求める人に情報を提供する上で利便があると考えます。Wikipedia:カテゴリの方針#上位カテゴリとの関係には「あるカテゴリを上位カテゴリとしたら、その上位カテゴリの上位カテゴリを合わせて上位カテゴリとする必要は、一般的にはありません。」とあり、必ず上位カテゴリを外すことを求められてはいません。
南京 (戦線後方記録映画)は南京大虐殺を否定する資料になるかと思いますが「カテゴリ:南京大虐殺」を利用することが最適解ではないでしょう。新しいカテゴリを用意するか、南京大虐殺を否定する資料のリストをいずれかに作成するとかして南京大虐殺を肯定する資料とは分けておくべきではないかと考えます。しかし、直ちにこのような作業が行えないなら当面は「カテゴリ:南京大虐殺」を利用することもやむなしかと思います。その場合は今後どのように改善すべきかをどこかで話し合うとかの解決に向けての努力が必要と考えます。--Sweeper tamonten 2008年6月12日 (木) 02:36 (UTC)
この映画は、南京大虐殺が描かれていたりテーマとされている映画ではないので、「カテゴリ:南京大虐殺」とするのは不適当なカテゴリなのではないかと思います。カテゴリではなく関連項目などで処理されるべきではないでしょうか。『ザ・バトル・オブ・チャイナ』『中国之怒吼』については、すでに「南京大虐殺」の関連項目に記述されているので「カテゴリ:南京大虐殺」をつける必要はないと思います。ノート:ザ・バトル・オブ・チャイナも参照してください。--210.138.182.133 2008年6月12日 (木) 15:46 (UTC)
210.138.182.133氏の意見のように「カテゴリ:南京大虐殺」をいずれの記事にも付けないことが基本。関連項目やテンプレートを利用すればカテゴリでつなぎにくい記事の集合を作成でき、その重み付けなどをすることもできますね。利用者の利便の為とはいえ、カテゴリに拘りすぎていました。--Sweeper tamonten 2008年6月12日 (木) 16:41 (UTC)
Sweeper tamonten氏の2008年6月12日 (木) 02:36 (UTC)の方のご意見に賛成です。調べようとする利用者はまず項目「南京大虐殺」から入いり、そのリンク先や関連項目を辿ることと思いますが、関連項目に網羅するにはあまりに項目が多くどうしても不具合や洩れが生じるでしょう。カテゴリで関連付けておけば利用者は一元的に参照でき便利だと思います。『ザ・バトル・オブ・チャイナ』『中国之怒吼』は「南京大虐殺」の関連項目に記述されているとはいえ、その類の項目や他の関連する項目も網羅してゆくとすると大変な数になるものと思われます。
この記録映画は、南京大虐殺が描かれていたりテーマとされている映画ではないですが、本文でもリンクがあるように著名な否定派研究者がこの映像を重視し、まさに南京大虐殺が起こったとされている南京陥落時の様子として取り上げていますから当カテゴリに含まれるべきですし、調べようとする利用者にも有益な意味があると思います。
以上の考えから下位カテゴリや上位カテゴリについても、カテゴリ内でその項目が重複しているわけではないので必要ならば関係するカテゴリに入れておいていいと思いますし、あまりカテゴリに含めるのが適切か不適切か、や、どちらに含めるべきかで悩むよりも「調べる利用者」の利便性を優先して含めておけばよいように思います。両氏はカテゴリについてよく話し合われており、わたしなどの考えの及ばない深い思考で結論を得られたようなので、現段階でのわたしの至らぬ浅慮としてご意見いただければうれしく思います。Aruhambla 2008年6月13日 (金) 15:44 (UTC)投稿ブロックの方針3.3.5により削除。
Aruhambla氏の主張は「調べる利用者」の利便性によっています。その点で考えてみましたが、南京大虐殺の存在について調べる利用者に南京大虐殺を否定するような資料の混在はかえって不便ではないでしょうか。例えば「南京大虐殺に対する反証」というようなカテゴリならば利用者にとって便利でしょう。これは最終のゴールをどのように設定するかという点からも考えたことなので、急いで混在している否定的な記事から南京大虐殺のカテゴリを外すまでを求めるものではありませんが南京大虐殺のカテゴリに入れておいて済ますということではならないと考えています。また南京大虐殺のカテゴリに登録されている記事の一覧を見ると雑然としているようです。記事の体系が存在したほうが良いようですが、そういったものがあれば関連項目で紹介すれば便利ではないかと思います。主たる反証の記事のいくつかに体系の存在を知らせる書込みがあることで充分役立つと考えます。--Sweeper tamonten 2008年6月16日 (月) 15:07 (UTC)
関連リンクされているサイトを見る限りでは、この映画を重視しているのは著名な否定派研究者ではなく、そのホームページの作者のように読めるのですが……。それともそのホームページ作者が著名な否定派研究者なのでしょうか? また、それはどなたで、どの著作で述べておられるのでしょうか?(この映画を論拠に南京大虐殺を否定するというのは、聞いたことがないので……) どちらにしろ、この項目の本文には南京大虐殺に関する文章がありませんし、そういう意味でもこの項目に「カテゴリ:南京大虐殺」をつけるのは疑問です。ついでにもう1つAruhambla さんに質問なのですが、項目冒頭の「極東国際軍事裁判には提出されなかったが、1995年、中国の北京で発見された。」という文章を素直に読むと、言外に「本来なら極東国際軍事裁判に提出されるはずであった」と書いているように読めるのですが、そういう事実があるのでしょうか?--210.138.182.133 2008年6月16日 (月) 15:36 (UTC)
2週間経ちましたが、ご返答がないようですので、とりあえず冒頭の文章を修正させていただきます。--210.138.182.133 2008年6月30日 (月) 15:30 (UTC)
すでに1ヶ月以上経ちましたし、AruhamblaさんはPeace系として投稿ブロックを受けたようですので、「カテゴリ:南京大虐殺」は外してもよいのではないでしょうか。--210.138.182.133 2008年7月15日 (火) 16:44 (UTC)
ノートで結論が出たと判断しカテゴリを修正しました。--Sweeper tamonten 2008年7月16日 (水) 03:18 (UTC)

脚注について

脚注で外部リンクされているサイトは、ひょっとしたら個人サイトなのではないでしょうか? この映画のDVD販売についても掲載されており、問題があるような気もします。どんなサイトなら外部リンクしてよいかについては僕も詳しくはわからないのですが……。--210.138.182.133 2008年7月1日 (火) 16:05 (UTC)

松尾一郎氏のウェブサイトについて仰っているのだと思います。この部分はWikipedia:外部リンクの選び方#掲載してよい外部リンクの2に該当すると考えています。Wikipedia:外部リンクの選び方#禁止される外部リンクには個人か否かについての言及はありません。Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源には「個人のウェブサイトは、原則として適切な情報源としては認められません。」とありますが、もちろん著名な専門研究者は例外とされています。また、宣伝が入っていても直ちに外部リンクを認めないということではないはずです。Wikipedia:外部リンクの選び方#掲載すべきでない外部リンクの3には営業以外に情報として得るものがない場合には掲載すべきではないとしています。--Sweeper tamonten 2008年7月1日 (火) 19:35 (UTC)
そうですか。了解しました。--210.138.182.133 2008年7月2日 (水) 13:12 (UTC)

「撮影の裏側」について

Sweeper tamontenさんの以下のご質問について、こちらで回答させていただきます。

  • 「日本国内での報道・上映は事実上不可能」とありますが日本だけなのでしょうか?満州や中国での報道は許されたのか、その地域に関する情報はどこにあるのでしょうか。資料を見ましたが確認できませんでした。
  • 「撮影そのものを行わないことが多かった」とありますがこれも資料の中にありませんでした。場所を教えてください。
  • 「南京にいた従軍記者の中に捕虜虐殺や強姦、暴行などを目撃し、見聞していた人が何人もいたことが紹介されている。」記者は三人で捕虜の処刑ではないのですか。場所を教えてください。

最初の質問ですが、まず満州や中国での報道がどうであったかはわからないので、何も記述しておりません。今回の編集に際して、第2の質問と合わせまして、件の一文は「陸軍の検閲制度が存在し、その検閲をパスしなければ報道・上映ができなかった」の部分と重複するため、削除の上、脚注部分は別の箇所に移し、前記箇所に新たに出典をつけました。最後の質問は、『上海時代(下)』の「日中和平工作の中で」の項の「「南京大虐殺」事件」の節にあります(長くなるので直接の引用はしませんでした)。「三人」というところは仰るとおりですので、全体的に修正・編集いたしました。--210.138.182.133 2008年12月8日 (月) 16:23 (UTC)

素早い対応に対するお礼と私の質問の非礼に対するお詫びを述べたいと思います。紋切り型の質問で申し訳ありませんでした。質問させていただいた内容については私の作業からある程度察することが期待できるとしてコメントを十分にしていなかったことが根本の原因です。今後は気をつけます。--Sweeper tamonten 2008年12月10日 (水) 11:50 (UTC)

「舞台裏」の節について

記録映画『南京』とは直接の関係がない記述が多すぎるのではないでしょうか? 具体的には、米沢の撮影日誌と白井の回顧録、および東京朝日新聞の評論のみを残し、他は削除すべきかと思います。--ロンドル 2009年5月14日 (木) 15:40 (UTC)

物理的な点についてはHelp:ページサイズ#セクションへの分割や統合の目安が参考になるでしょう。この記事では量を気にすることはないと考えています。質的な問題は「舞台裏」の節に置くことがふさわしくないものは脚注に注釈として置くことが適当と考えています。注釈#概要には「注には次の4種類がある」として説明されていますが今「舞台裏」の節にある内容はこれに相当するものばかりではないでしょうか?というところが直接の回答ですが私として関連する問題としてHelp‐ノート:脚注#脚注スクロール廃止の提案を挙げます。そこでは出典情報が大きくなることを避けるべきではないとしていて私もその考えに賛成です。さらに加筆したいところもあります。例えば陸軍の検閲制度の情報をもっと充実させ、海軍の分も加えたいと考えております。しかし、本文中に置くことは適当でないので脚注に置き、まとまった情報になるのであれば新たな節とするか新たな記事に独立させればいいと考えています。--Sweeper tamonten 2009年5月15日 (金) 01:15 (UTC)
物理的な量の点については特に問題だとは考えておりません。記録映画『南京』の記事なのですから、やはり記録映画『南京』と直接的に関係のある記述に絞るべきだと考えます。当時の南京の様子など一般的な背景まで記述する必要はなく、陸軍の検閲制度などを新たな節として設けるのも記録映画『南京』の記事としては逸脱した記述だと思います。もし可能なら、新たな記事として独立させるほうがいいと思います。なお、スクロール廃止の提案はどちらでもいいです。--ロンドル 2009年5月16日 (土) 05:28 (UTC)
「当時の南京の様子など一般的な背景まで記述する必要はなく」と言われますが記事の導入部には「南京城内外の様子を撮影した日本の記録映画」とありますので問題はないと考えています。しかし、個別に当って議論をすることは有意義なことと考えています。そういう一点ですが検閲制度については陸軍と海軍はありました。さて他にあったのでしょうか?なければ両方をあわせて「日中戦争時の検閲」というような記事を用意することも有意義でしょうね。今のままだと本文にあっては読み手の邪魔で脚注としても不十分と考えてます。ノートで元を用意して記事にする手はどうでしょうか?--Sweeper tamonten 2009年5月17日 (日) 04:34 (UTC)
直接、記録映画『南京』に触れた上でその背景を説明している出典があり、それを記述するのであれば問題ないと考えますが、記録映画『南京』に直接触れていない資料から当時の南京の様子などを記述すると、どこまで記述するか記述の際限がなくなっていく恐れがあるので、好ましくないと思います。
検閲制度については、日中戦争の期間だけで区切った記事を立てることには疑問を感じます。太平洋戦争と分ける理由がありませんし、また日中戦争以前と分ける理由も不明確です。探してみたら、既に「日本における検閲」という記事があるようですので、そちらに加筆されればよろしいのではないでしょうか。--ロンドル 2009年5月19日 (火) 14:12 (UTC)
「どこまで記述するか記述の際限がなくなっていく」と言われますが、データは記事の中でも集中する傾向があるでしょう。そうなれば「検閲制度」に関する記述のように必要とあればまとめて処理できますので困る状態にはならないと考えています。--Sweeper tamonten 2009年5月20日 (水) 06:51 (UTC)

最初から言ってますが、この記事は記録映画『南京』の項目ですので、記録映画『南京』について直接触れている出典から記述するべきです。映画とは関係のない当時の南京市について記された出典は山ほどあるでしょうから、無用に記述が肥大化していく恐れがあります。--ロンドル 2009年5月20日 (水) 13:41 (UTC)

「記録映画『南京』について直接触れている出典から記述するべきです。」とのご意見ですが私は「出典ある情報で読者の理解を助けるもの」が求められるものと考えています。ウィキペディアの記事に関連項目があることはあなたの気持とすでに衝突しているのではないですか?--Sweeper tamonten 2009年5月20日 (水) 21:23 (UTC)
関連項目は、本文に組み込めない記事名を記述するものです。私の主張とは矛盾しません。--ロンドル 2009年5月24日 (日) 17:10 (UTC)
問題としていることは、ある記事の主題に直接触れていない出典だけで成立している別の記事を関連項目に並べることを認めるかどうかなのです。「南京 (戦線後方記録映画)」の記事では「別の映像記録」の節ではいくつかの映像を紹介していますがこれらは「南京 (戦線後方記録映画)」に触れていない出典で成立している記事でしょう。しかし、読者の理解の助けとなるように記述されていると考えています。記事の主題に直接触れていない出典が役立っている例でしょう。関連項目にはそういったものが並ぶことがあるわけですがこれを例外として認めるのか、それとも主題に触れている出典がないことを理由として認めないのかということを知りたいと思いました。--Sweeper tamonten 2009年5月24日 (日) 18:19 (UTC)
仰るとおり、実は「別の映像記録」の節についても、僕は問題があると思っていました。他の記事では関連項目に置かれているような内容で、記録映画『南京』の記事にだけ書かれるのはどうかと。かといって他の記事に同様の節を立てるのも不適当だと思いますし。というわけで「別の映像記録」の節についても、記事のあるものは関連項目に移し、ないものは削除することを提案します。--ロンドル 2009年5月30日 (土) 16:55 (UTC)
繰り返しになりますが大きな目的として「読者の理解を助けること」があると考えています。直接触れているということが記事の材料としての判断基準になるということはどこかに根拠があるのでしょうか?ウィキペディアの方針とかいずれかの議論で出た結論とかでしょうか?--Sweeper tamonten 2009年5月31日 (日) 12:01 (UTC)

「読者の理解を助けること」というのは、「記事(この場合は、記録映画『南京』)についての読者の理解を助けること」でしょう。ここで問題となっている記述は、「当時の南京の状況」や「当時の南京を撮影した映像全般」についての読者の理解を助けるものであって、記録映画『南京』そのものに対する理解を助けるものとは言えません。そのような記述は、独自研究に抵触する恐れがあるのではないでしょうか。--ロンドル 2009年6月6日 (土) 15:20 (UTC)

独自研究を一読しましたが問題はなさそうだなーって感じです。何か気になる点がありますか?--Sweeper tamonten 2009年6月7日 (日) 10:06 (UTC)
独自研究#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成の部分です。「記録映画『南京』」について記載されていない出典から、執筆者が勝手に「記録映画『南京』」と関連性があると判断して記述を加えるのは、その部分に該当すると考えます。--ロンドル 2009年6月10日 (水) 02:47 (UTC)
独自研究#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成の部分について削除されるべきものは出典が示されていないものですね。出典が示されているものから合成された事実と同様の扱いを受けるものは削除されるべきということですね。貴方の「記事に直接言及しないソースからの記述」ということとは違うことのようです。貴方は存在するソースからの記述を問題としているのではないですか?--Sweeper tamonten 2009年6月10日 (水) 05:03 (UTC)
独自研究#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成の要点は、別々の出典を組み合わせて、執筆者がどちらの出典にも記されていない独自の観点を記述してはいけない、ということだと考えます。記録映画『南京』の記事に、記録映画『南京』について触れていない出典からの記述を引用するのは、そういう行為に準ずるものではないかということです。
議論が長くなってきたので、第3者の意見も聞くために、コメント依頼をしませんか?--ロンドル 2009年6月11日 (木) 12:44 (UTC)
私は質問したいことがあります。そのこととの兼ね合いを考えてコメント依頼をされるかどうか判断してください。
貴方は"「読者の理解を助けること」というのは、「記事(この場合は、記録映画『南京』)についての読者の理解を助けること」でしょう。ここで問題となっている記述は、「当時の南京の状況」や「当時の南京を撮影した映像全般」についての読者の理解を助けるものであって、記録映画『南京』そのものに対する理解を助けるものとは言えません。"と仰っていますがこの記録映画がどんな価値を持つかは同様の映像がたくさんある場合と全くない場合ではことなるでしょう。つまり、希少価値が違ってくるということです。直接この記録映画に触れた情報でなくてもこの記録映画を理解する上で役立つ情報はあると考えています。それら全てを否定できる貴方の理論はどんな裏付けがあるのでしょうか?--Sweeper tamonten 2009年6月12日 (金) 02:13 (UTC)

申し訳ありませんが仰ることがよく理解できません。「この記録映画がどんな価値を持つかは同様の映像がたくさんある場合と全くない場合ではことな」ったとしても、この記録映画に触れていない出典から記述を引用してもよい理由にはならないと思うのですが? コメント依頼とどう関係するのかもわかりません。--ロンドル 2009年6月12日 (金) 15:34 (UTC)

重ねておうかがいいたします。貴方の理論はどんな裏付けがあるのでしょうか?--Sweeper tamonten 2009年6月12日 (金) 22:37 (UTC)
既に上で十分述べてあります。コメント依頼をしてよろしいでしょうか?--ロンドル 2009年6月13日 (土) 14:37 (UTC)

記録映画についての項目でセクション名が「舞台裏」であるからには映画撮影に直接関係する内容に絞るのが望ましいでしょう。南京市内の様子や他の記録映像に即した記述(「別の映像記録」など)は他の項目(南京攻略戦など)に書いたほうが適切だと思います。脚注内の記述も冗長かつ煩雑で、これでは「記事についての読者の理解を妨げること」になっているように見えます。--花蝶風月雪月花警部 2009年6月13日 (土) 13:52 (UTC)

ロンドルさん、あなたの発言によれば独自研究#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に「記録映画『南京』の記事に、記録映画『南京』について触れていない出典からの記述を引用すること」は、「準ずるもの」として別であることはあなたも認めています。よって直ちにあなたの理論を支えるものがないことを示しています。これはご自分で言っていることですよ。私はあなたが思い込みのみで現実に基づかない空虚な理論を主張しているようにしか見ていません。個別に当っていくという地道な努力が必要とされていると考えています。コメント依頼を出す前にこのことを確認させてください。
花蝶風月雪月花警部さん、ようこそ。個別にどのようにすべきか考えていかなくてはなりません。多分ロンドルさんとは今後も話し合いが続くと思いますが個別の対応については別の節を設けるなどして少しでも進めたいと考えています。--Sweeper tamonten 2009年6月13日 (土) 20:43 (UTC)
花蝶風月雪月花警部さん、ご意見ありがとうございます。当該記述を南京攻略戦に移すというのも一案ですね。確かに当記事にあるよりもそちらのほうが適切だと思います。
Sweeper tamontenさん、私の書いた文章の文意をきちんと読み取ってください。申し訳ないけれど私にはあなたのほうこそ「思い込みのみで現実に基づかない空虚な理論を主張している」としか見えません。コメント依頼を出させていただきます。--ロンドル 2009年6月14日 (日) 17:00 (UTC)
ロンドルさん、「私の書いた文章の文意をきちんと読み取ってください」とご自分の主張を放棄するような書き込みですがちゃんと主張を説明できないのであれば誰も貴方の意見に賛同できないでしょう。貴方は思い込みのみでウィキペディアのルールに基づかないことを主張されています。ご自分に気付いてください。--Sweeper tamonten 2009年6月14日 (日) 23:26 (UTC)
「準ずるもの」とは「準ずるもの」であって「別のもの」ではない、としか言いようがありませんね。それ以上どう説明すれば? それにあなたこそ花蝶風月雪月花警部さんの(私の意見にほぼ同意されている)ご意見にまともに答えていないと思うのですが?--ロンドル 2009年6月16日 (火) 05:56 (UTC)
「準優勝」は「優勝」ではありません。「準ずるもの」は「別のもの」です。こう考えれば似ているでしょということでは納得できませんよ。--Sweeper tamonten 2009年6月17日 (水) 00:23 (UTC)

「準ずるもの」とは「まったく同じではないが、類似するもの」ということです。それともう一度書きますが、あなたは花蝶風月雪月花警部さんの(私の意見にほぼ同意されている)ご意見に対して答えをはぐらかしており、まともに答えておられません。どうかきちんとお答えになってください。--ロンドル 2009年6月17日 (水) 18:58 (UTC)

「別のものではない」との表現から「まったく同じではない」との表現に変更されたことから独自研究#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成で対象とすることと同じではないということになります。そして花蝶風月雪月花警部さんは彼の意見を述べていますが私は具体的なことを個別に対応したいとの考えを述べ、実際に白井茂の資料は記事の内容にふさわしくないものとも判断して別の節で議論しています。--Sweeper tamonten 2009年6月17日 (水) 21:58 (UTC)
「準ずるもの」は、「別のもの」ではなく「まったく同じではないが、類似するもの」である。よって独自研究#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に抵触する恐れあり、と言っているのです。
また、花蝶風月雪月花警部さんも私も、該当部分すべてを同一の理由で他の記事に移すべき(または削除すべき)と言っています。よって、あなたはまずその(個別ではない全体の)意見に対して反論をしなければなりません。「具体的なことを個別に対応したい」では、まったく答えになっていません。もし仮に「具体的なことを個別に対応」するとしても、その後の話です(なお、こちらとしてはすべて同一の理由なので、わざわざ個別に対応しなければならない理由がありません)。--ロンドル 2009年6月20日 (土) 14:06 (UTC)
あなたの「準ずるもの」に対する説明は満足できるものではありません。似ていることについてすら認められません。独自研究#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成は出典を示さずに記述を行うということが禁止されていることであって出典を示している記述には関わりないことです。そして、あなたと花蝶風月雪月花警部さんは該当部分すべてを同一の理由で他の記事に移すべき(または削除すべき)と主張しています。そして私に全体について答えよというのであれば反対します。具体的な説明がされていない状態で白紙委任することはできません。まずは具体的なプランを納得できるほど詳細にお示し下さい。--Sweeper tamonten 2009年6月21日 (日) 06:50 (UTC)
何を仰っているのでしょうか? 誰も「白紙委任」など求めてはいません。私や花蝶風月雪月花警部さんの意見に反対するのならその理由(反論)を具体的に書いてほしいと求めているのです。「具体的な説明」とか「具体的なプラン」が何を指し示しているのかもよくわかりませんが、私は「具体的には、米沢の撮影日誌と白井の回顧録、および東京朝日新聞の評論のみを残し、他は削除すべきかと思います」「記録映画『南京』の記事なのですから、やはり記録映画『南京』と直接的に関係のある記述に絞るべきだと考えます」と、花蝶風月雪月花警部さんは「記録映画についての項目でセクション名が「舞台裏」であるからには映画撮影に直接関係する内容に絞るのが望ましいでしょう。南京市内の様子や他の記録映像に即した記述(「別の映像記録」など)は他の項目(南京攻略戦など)に書いたほうが適切だと思います」と、それぞれ書いています。--ロンドル 2009年6月24日 (水) 16:39 (UTC)
あなたは「その理由(反論)を具体的に書いてほしいと求めているのです。」と述べられていますがこの理由を上げて議論すべきという姿勢に賛成します。「記録映画『南京』の記事なのですから、やはり記録映画『南京』と直接的に関係のある記述に絞るべきだと考えます」という中の「記録映画『南京』と直接的に関係のある」とはどのように判断されるのかですが「記録映画『南京』について直接触れている出典から記述するべきです。」と関係すると考えています。貴方は米沢の撮影日誌と白井の回顧録、および東京朝日新聞の評論のみ有効としていますが記録映画『南京』自体も情報源であることには問題ないと思います。「映画「南京」から見えるもの」や「参戦勇士九人が語る「南京事件」の真実」も記録映画『南京』について直接触れていることはご存知でしょうか?そして「直接触れているということが記事の材料としての判断基準になるということはどこかに根拠があるのでしょうか?」と求めると独自研究#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成を理由としてあげていますが、これとは違うことと私は説明し、あなたは「準ずるもの」として議論から逃げているように見受けられます。もうひとつの「記録映画についての項目でセクション名が「舞台裏」であるからには映画撮影に直接関係する内容に絞るのが望ましいでしょう。南京市内の様子や他の記録映像に即した記述(「別の映像記録」など)は他の項目(南京攻略戦など)に書いたほうが適切だと思います」ですが「セクション名が「舞台裏」であるからには」とありますので必要であれば別のセクションを用意して移動させることもありえます。--Sweeper tamonten 2009年6月24日 (水) 23:16 (UTC)

「記録映画『南京』自体も情報源であ」ったとしても、記録映画『南京』自体を記録映画『南京』の出典とすることは好ましくありません(信頼できる情報源#情報源参照)。また、「映画「南京」から見えるもの」については、現段階では問題にしておりません(現状の記述では「外部リンク」にしかない)。また、「参戦勇士九人が語る「南京事件」の真実」も記録映画『南京』について直接触れている」ことは、現状の記述ではそうなっていないので知りませんでしたが、それならばそのように記述してください。なお、私は最初から「独自研究#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に準ずるもの」と主張しており、何も逃げてはおりません。出典には記録映画『南京』について何も記述されていないのに、あなたが記録映画『南京』に関係あると判断して記述したわけですよね? セクション名が「舞台裏」だから問題なのでセクション名を変える、という方法は誤魔化しでしかありません。--ロンドル 2009年6月29日 (月) 18:06 (UTC)

ロンドルさん、コメントの記入に気付かず失礼しました。"最初から「独自研究#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に準ずるもの」と主張"ということなのでウィキペディアの方針からは独立して議論で解決しようということですね。--Sweeper tamonten 2009年7月6日 (月) 23:54 (UTC)
あのー、"出典には記録映画『南京』について何も記述されていないのに、あなたが記録映画『南京』に関係あると判断して記述したわけですよね? セクション名が「舞台裏」だから問題なのでセクション名を変える、という方法は誤魔化しでしかありません。" の意味が分からないので分かり易く説明してください。--Sweeper tamonten 2009年7月7日 (火) 11:09 (UTC)
出典には「○○」について何も記述されていないのにも関わらず、執筆者が「○○」に関係があると独自に判断して記述することは、独自研究#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に準ずるものだ、ということです。また、セクション名が「舞台裏」だから問題となっているわけではないので、セクション名のほうを変えることによって解決を図るというのは筋違いだ、ということです。--ロンドル 2009年7月11日 (土) 02:51 (UTC)
出典に記事の内容にある「○○」について記述されているのであれば問題はないと考えています。--Sweeper tamonten 2009年7月12日 (日) 03:22 (UTC)
仰る意味がよくわからないのですが……。出典に「記録映画『南京』」について記述してあれば問題ありませんが、ここでは出典に「記録映画『南京』」について記述していないものを問題としています。--ロンドル 2009年7月20日 (月) 15:45 (UTC)
出典に「記録映画『南京』」について記述していないものながら記事に有効な情報を含むものは認められるべきと考えています。--Sweeper tamonten 2009年7月20日 (月) 23:29 (UTC)
「記事に有効な情報を含む」かどうかは執筆者によって判断が分かれます。そのような曖昧な基準は好ましくありません。--ロンドル 2009年7月26日 (日) 14:38 (UTC)
「記事に有効な情報を含む」かどうかは執筆者によって判断が分かれるということには賛成します。しかし、編集者が協力して記事を管理するのですから構わないと考えています。--Sweeper tamonten 2009年7月26日 (日) 14:47 (UTC)

それでは1つの記述がされるごとに「その情報が記事に有用かどうか」をいちいちノートで議論をしなくてはならず、はなはだ非生産的です。編集合戦を惹起しかねないし、意見が分かれたときにどうやって決めるのでしょうか? とんでもなく手間がかかってしまいます。ごく常識的に考えて、「○○」という記事に書かれる記述は「○○」について触れている出典によるものとするのが妥当です。--ロンドル 2009年7月26日 (日) 15:21 (UTC)

ウィキペディアでは急げとは言っていないようです。Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 論争の相手と話し合うでも「最大限の努力と長い期間をかけて、議論を尽くしてください。」とあるくらいです。ゆっくりでいいのではないですか。仰っている基準については前述のように反対です。--Sweeper tamonten 2009年7月26日 (日) 15:32 (UTC)
急ぐなとも言っていません。「その情報が記事に有用かどうか」などというような曖昧な基準では、議論をしても結論が出ないことがほとんどです。「前述のように」と仰っていますが、私にはここまでの流れを見てもあなたが反対する理由が今ひとつ明示されていないように感じます。もう1度しっかりとまとめてわかりやすく書いていただけませんか?--ロンドル 2009年7月26日 (日) 15:50 (UTC)
貴方の主張の理由に納得していないからです。「直接触れているということが記事の材料としての判断基準になるということはどこかに根拠があるのでしょうか?」と求めると独自研究#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成を理由としてあげていますが、これとは違うことと私は説明し、あなたは「準ずるもの」として議論から逃げているように見受けられます。--Sweeper tamonten 2009年7月26日 (日) 15:57 (UTC)
前にも書きましたが、私は最初から、出典には「○○」について何も記述されていないのにも関わらず、執筆者が「○○」に関係があると独自に判断して記述することは「独自研究#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」に準ずるものだと主張しており、何も逃げてはおりません。出典には記録映画『南京』について何も記述されていないのに、あなたが記録映画『南京』に関係あると判断して記述したわけですよね?--ロンドル 2009年7月26日 (日) 16:20 (UTC)
私が記事「記録映画『南京』」の内容に関係するものと判断して記述したものがあります。--Sweeper tamonten 2009年7月26日 (日) 16:24 (UTC)

ですから、そのような行為は「独自研究#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」に準ずるものだから問題があると言っているわけです。--ロンドル 2009年7月26日 (日) 16:41 (UTC)

独自研究#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成はウィキペディアの決まりですが、準ずるものは貴方が主張している部分です。それに納得していません。その準ずるものがなぜウィキペディアの決まりのごとく扱われなくてはならないのでしょうか?--Sweeper tamonten 2009年7月26日 (日) 17:00 (UTC)
あなたの言い方は「ルールとして決まっていなければ何をしたっていいんだ」と言っているように受け取れます。常識的に判断して、記録映画『南京』の記事に、記録映画『南京』にまったく触れていない出典を執筆者独自の判断で引用して記述することが問題のある行為だとは思われないのでしょうか? あと、「白井茂『カメラと人生』は情報源として適切か」の節にもお答えをお願いします。--ロンドル 2009年7月29日 (水) 01:58 (UTC)
これまでの発言の中でも「ルールとして決まっていなければ何をしたっていいんだ」と言ったことはありません。そして貴方の言う「準ずるもの」はルールとして決まっていないものです。ルールではっきりと決まっていないものが貴方の判断で、あるルールに沿って処理されることの方に問題があります。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用の「法律家ごっこ」ではないでしょうか?それと「記録映画『南京』にまったく触れていない出典を執筆者独自の判断で引用して記述することが問題のある行為だとは思われないのでしょうか?」とのことですが記事にあることを説明するために役立つ情報はそのような基準によらないものです。Wikipedia:専門用語には解説をがなぜ存在するのか考えてみてください。--Sweeper tamonten 2009年8月1日 (土) 22:56 (UTC)
あなたには言ったつもりがなくても、これまでのあなたの主張はそういうものになっている、と言っているのです。そういう意味ではあなたのほうこそWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用に該当するとも言い得ます。また、ここでは専門用語が問題になっているわけではないので、Wikipedia:専門用語には解説をはまったく関係ありません。--ロンドル 2009年8月4日 (火) 14:27 (UTC)
貴方は主張していますがその根拠は十分に示されていません。具体的にどこにどんな問題があるか実例をあげて説明してください。--Sweeper tamonten 2009年8月6日 (木) 03:49 (UTC)

またも話がずれてきてしまっています。私のほうにも責任がありますが、ここで議論しているのは「舞台裏」の節の記述内容についてのはずです。元に戻しましょう。ここまでの議論を読み返してみて、花蝶風月雪月花警部さんの以下の意見にあなたははっきりとした回答をしておられません。私の記述よりもずっとわかりやすく要旨をまとめた書き方をしてくださっているので、これにお答えをお願いします。

  • 「記録映画についての項目でセクション名が「舞台裏」であるからには映画撮影に直接関係する内容に絞るのが望ましいでしょう。南京市内の様子や他の記録映像に即した記述(「別の映像記録」など)は他の項目(南京攻略戦など)に書いたほうが適切だと思います。脚注内の記述も冗長かつ煩雑で、これでは「記事についての読者の理解を妨げること」になっているように見えます。」--ロンドル 2009年8月7日 (金) 18:14 (UTC)
私がなぜ花蝶風月雪月花警部さんの意見に答えていないと言えるのかの根拠を示してください。--Sweeper tamonten 2009年8月8日 (土) 09:39 (UTC)
Sweeper tamontenさんからは自論の主張と対話者の意見への否定以外聞いておりません。--花蝶風月雪月花警部 2009年8月8日 (土) 13:57 (UTC)

私はこのセクション冒頭にあるロンドルさんの提案に沿うことが最も適切であると考えております。このセクションはほとんどが南京大虐殺関連の記事で占められ、「舞台裏」としての機能を果たしていません。また、Sweeper tamontenさんの編集には宣伝を意図した疑いのあるものがしばしば見られますが、ここはご自身が作成した項目だけあって、宣伝臭をかなり強く感じます。特に「別の映像記録」のセクションは、『南京 (戦線後方記録映画)』を引き立たせるための比較広告のようにも見えます。Sweeper tamontenさんはウィキペディアがいかなる種類の宣伝(プロパガンダ)も擁護もする場所ではないことを理解しておられるのでしょうか? --花蝶風月雪月花警部 2009年8月8日 (土) 16:56 (UTC)

宣伝は削除されるべきです。宣伝と思われる点については随時指摘していただくことは重要です。そしてウィキペディアは伝えるべき情報があるかぎり商業的なサイトの参照も認めています。要は伝えるべき内容があるかどうかなのです。--Sweeper tamonten 2009年8月8日 (土) 23:31 (UTC)
花蝶風月雪月花警部さんは、商業的なサイト云々ではなく、Sweeper tamontenさんの編集姿勢を問題にしているのではないかと思います。結局のところ、ご自分の好む記述と好まない記述で編集方針の異なるSweeper tamontenさんの編集姿勢にプロパガンダ臭が強く感じられるわけです。--ロンドル 2009年8月16日 (日) 01:48 (UTC)
私の記述に対する好みを申し上げれば好むものはウィキペディアの方針に沿ったもの、好まないものはそれに反しているものです。好まないものについては何らかの処理を求めます。これはプロパガンダとは別物です。--Sweeper tamonten 2009年8月16日 (日) 03:00 (UTC)
では、下の節で繰り返し質問している、「「舞台裏」の節全体については映画との関連性を問題とせず、白井氏の著作のみ関連性を問題とする理由」を一向に説明されないのはなぜなのでしょうか? Sweeper tamontenさんのそのような方針の一貫性のなさ、およびその理由について明確に答えない姿勢が問題とされているのです。--ロンドル 2009年8月16日 (日) 13:12 (UTC)
・・・とすれば、Sweeper tamontenさんの編集には「好まないもの」が多いことになります。何故ご自身が「好まないもの」のはずである編集を繰り返しておられるのか実に不可解です。それから、「好み」で編集をおこなう行為も考え物です。それは往々にして自己中心的な解釈による記事・情報源の取捨選択や、プロパガンダ的編集へとつながっていく危険があるものです。--花蝶風月雪月花警部 2009年8月16日 (日) 13:18 (UTC)
議論が進んでいないのはどうしてなのか確認してみました。ロンドルさんは2009年8月6日の私の求めに応じずに話を別の方向に持っていきました。ロンドルさんには2009年8月6日の私の求めに応じていただきたいとは思います。しかし、この場所を用意してリーダーシップを取るならば、何よりもまず自分の意見をちゃんと説明することからでしょう。記事に利用する資料の選別に対するロンドルさんの主張は十分に説明されていないので本人、あるいは別の方で説明できる人にちゃんと説明していただいてから論議を深めるべきでしょう。--Sweeper tamonten 2009年9月11日 (金) 21:49 (UTC)

議論を本筋からずらしているのはSweeper tamontenさんのほうです。結局のところ、あなたは未だ「記録映画についての項目でセクション名が「舞台裏」であるからには映画撮影に直接関係する内容に絞るのが望ましいでしょう。南京市内の様子や他の記録映像に即した記述(「別の映像記録」など)は他の項目(南京攻略戦など)に書いたほうが適切だと思います。脚注内の記述も冗長かつ煩雑で、これでは「記事についての読者の理解を妨げること」になっているように見えます。」という花蝶風月雪月花警部さんの意見に答えておられません。お答えをよろしく。--ロンドル 2009年9月17日 (木) 14:52 (UTC)

白井茂『カメラと人生』は情報源として適切か

Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料には「評判の良い第三者による(つまり自費出版ではない)発行物として発表され」ることが求められています。『カメラと人生』の出版社としているユニ通信社は評判の良い第三者なのでしょうか?このユニ通信社の出版は少なく、本業とは言えない状態と判断しました。『カメラと人生』が自費出版と言う人もいます。もし、ユニ通信社が評判の良い第三者に相当しないのであれば、あるいは『カメラと人生』が自費出版なら、これを情報源にはできません。ご意見を求めます。--Sweeper tamonten 2009年6月12日 (金) 22:37 (UTC)

ユニ通信社は映像関係の出版物を手がけている出版社のようです。ユニ通信社の公式サイトはこちら。右下の「会社概要」を見ると、(少なくとも現時点では)出版が事業の中心であるようです。また、もし仮に「出版は少なく、本業とは言えない状態」だったとしても、それが「評判の良い第三者」ではない理由にはならないでしょう。自費出版かどうかについては確認できないのですが、逆に自費出版であるという根拠を示していただきたく思います。--ロンドル 2009年6月13日 (土) 14:37 (UTC)
ロンドルさん、この映画「南京」から見えるものの中に東中野さんの言葉として自費出版であるとの発言がありました。私はことの真偽を私が確かめるより、皆さんの情報と判断を得たいと考えました。これは「独自研究は載せない」というウィキペディアの方針に関わることなので隠すようなマネはできないとも考えたからです。ロンドルさんの資料からするとユニ通信社は映像関係の出版を本業としている様子はうかがえますね。しかし、誰かが出版する時に選ばれる出版社が「評判の良い第三者」ではないかと考えれば、ただ自社の出版をしているだけでは不十分かもしれません。白井さんはその出版社に関わる人ならなおのことと考える人もいるでしょう。わざわざ怪しげな情報源を利用しなくても記事は成り立つと考える人もいるでしょう。調べてみると白井さんの情報は映画と関連がないので削除してもいいと考えています。--Sweeper tamonten 2009年6月13日 (土) 20:43 (UTC)
もし自費出版であるならば削除されるべきだろうと思います。ただ私には自費出版であるかどうかがわかりませんし、どう確認すればよいのかもわかりません(調べても自費出版であるという情報が見つかりません。また自費出版でない場合に「自費出版でない」という断り書きがわざわざ入る可能性はまずありえない)。後半は意味不明。「評判の良い第三者による(つまり自費出版ではない)発行物」という文章からは、「評判の良い第三者ではない=自費出版である」という意味しか導き出せません。また、「「舞台裏」の節について」では映画と関連のない記述の削除に反対しながら、ここでは「映画と関連がないので削除してもいい」というのはダブルスタンダードではないですか?--ロンドル 2009年6月14日 (日) 17:00 (UTC)
ロンドルさん、"「「舞台裏」の節について」では映画と関連のない記述の削除に反対しながら"と私の主張を歪めていますが私は情報源が記録映画「南京」に直接言及しているか否かを取捨選択の基準とすることに反対しているのであって映画と関連のない記述の削除に反対しているのではありません。--Sweeper tamonten 2009年6月14日 (日) 23:28 (UTC)
あなたははっきりと「白井さんの情報は映画と関連がないので削除してもいいと考えています」と書いておられますが? 「映画と関連のない記述の削除に反対しているのではありません」というのならば、その部分は撤回なさるのでしょうか?--ロンドル 2009年6月16日 (火) 05:56 (UTC)

映画と関連のない記述の削除のために私は検閲制度についてはまとめて別の記事にしたりすることを提案しています。不必要と思われる部分には個別に当ることが現実的でしょう。 さて白井茂の資料についてですがWikipedia:独自研究は載せない#Wikipedia:中立的な観点にはウィキペディアの共同創始者ジミー・ウェールズの以下の言葉があります。

  • もしあなたの考え方が多数派に属するのであれば、広く認められている参考文献を示してその観点を実証することは容易なはずだ。
  • もしあなたの考え方が言及するのに意味があるような少数派に支持されているのであれば、同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない。
  • もしある観点が極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派に支持されているのであれば、それが正しいかどうかに拘らず、あるいはあなたがそれを証明できるかどうかに拘らず、その内容はウィキペディアで言及するに値しない(Wales, Jimmy. "WikiEN-l roy_q_royce@hotmail.com: --A Request RE a WIKIArticle--", September 29, 2003.)。

私はロンドルさんがこの言葉に沿って判断されることを求めます。広く認められている参考文献を示すか、著名な支持者の名前を挙げることです。そうでなければ削除しましょう。--Sweeper tamonten 2009年6月17日 (水) 00:23 (UTC)

申し訳ありませんが、話の筋がさっぱり見えません。結局、あなたは「自費出版」以外にはどういう理由で削除を主張しておられるのでしょうか?(なお、ここで問題になっていることはWikipedia:独自研究は載せない#Wikipedia:中立的な観点とは関係ないと思いますが?) 自費出版に関しては、東中野氏以外に「自費出版である」としている出典があれば(つまり複数の出典があれば)相応の根拠があるとみなして削除してもよいと思います。--ロンドル 2009年6月17日 (水) 18:50 (UTC)
白井茂の資料は記事の内容にふさわしくないものと判断しています。また、「信頼できる情報源を欠く編集は、除去されるのもやむを得ません。」とWikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にで決められています。そして貴方は「私には自費出版であるかどうかがわかりませんし、どう確認すればよいのかもわかりません」としています。さらにジミー・ウェールズの言葉によれば「広く認められている参考文献」あるいは「著名な支持者」が提供できないなら「ウィキペディアで言及するに値しない」とあります。出典を示す責任は掲載を希望する側にあることから貴方が白井茂の資料について責任を負わなくてはなりません。--Sweeper tamonten 2009年6月17日 (水) 21:58 (UTC)
  • 「白井茂の資料は記事の内容にふさわしくないものと判断しています。」
それだけではさっぱりわかりません。なぜふさわしくないのかを聞いているのです。
なぜ「信頼できる情報源を欠く編集」なのか、その理由を聞いています。Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にが言及しているのは、文字通り「出典を示す」ことですので、ここで問題となっていることとは無関係です。
  • 「そして貴方は「私には自費出版であるかどうかがわかりませんし、どう確認すればよいのかもわかりません」としています。さらにジミー・ウェールズの言葉によれば「広く認められている参考文献」あるいは「著名な支持者」が提供できないなら「ウィキペディアで言及するに値しない」とあります。出典を示す責任は掲載を希望する側にあることから貴方が白井茂の資料について責任を負わなくてはなりません。」
白井氏の著書は「広く認められている参考文献」であり、「著名な支持者」もいると思いますが、要するに孫引きの形なら良いということですか? なお、「出典を示す責任」も文字通り「出典を示す責任」であって、「自費出版かどうかを明らかにする責任」ではありません。--ロンドル 2009年6月20日 (土) 13:36 (UTC)
「出典を示す責任」については白井茂の著書が「広く認められている参考文献」であること、あるいは「著名な支持者」がいるということであればその情報を提供していただければ十分です。どちらでもジミー・ウェールズの要求に応えることになります。それから白井茂の資料は映画撮影に直接関係する内容ではないと判断しています。この点についてもこの節で議論を続けるということでよろしいでしょうか?--Sweeper tamonten 2009年6月21日 (日) 06:50 (UTC)
あなたの文章表現はどうにもわかりにくいのですが、要するに「孫引きの形なら記述しても良い」と仰っていると理解してよろしいですか? 「映画撮影に直接関係する内容ではない」という主張についてもこの節で議論を続けましょう。--ロンドル 2009年6月24日 (水) 16:19 (UTC)
調べた限りでは「孫引きの形なら記述しても良い」かという自体はウィキペディアでは決められていません。孫引きによってウィキペディアが求めている査読の条件をクリアするという考え方はWikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」から可能と判断しています。--Sweeper tamonten 2009年6月24日 (水) 23:16 (UTC)

繰り返しになりますが、あなたの文章はどうにもわかりにくい。もう少しわかりやすく書いていただけませんか? つまり結論としては孫引きの形なら記述してもよいのですね?--ロンドル 2009年6月29日 (月) 17:25 (UTC)

孫引きということで記述が制限されることはないということです。孫引きだからといって特権を持つものでもないので独立したものと考えてよろしいのではないでしょうか?--Sweeper tamonten 2009年6月30日 (火) 02:35 (UTC)
またも後半の文章がわかりにくいのですが、その点については「孫引きの形なら記述してもよい」ということで解決したと受け取ってよろしいのですね? そうであるならば、もう1つの「映画撮影に直接関係する内容ではない」というあなたの主張についての議論に移りましょう。それと上の節(「舞台裏」の節について)でのご返答がまだないようですが。--ロンドル 2009年7月6日 (月) 15:03 (UTC)
孫引きを理由として記述が制限されることはないと判断しております。--Sweeper tamonten 2009年7月6日 (月) 23:56 (UTC)
ではその点については解決ということで、もうひとつの点に移りましょう。--ロンドル 2009年7月11日 (土) 02:57 (UTC)
そうですね。映画撮影に直接関係する内容だと判断する理由は何ですか?--Sweeper tamonten 2009年7月12日 (日) 03:22 (UTC)

その前に確認しておきたいのですが、あなたは以前、「白井さんの情報は映画と関連がないので削除してもいいと考えています」と書かれ、それに対して私が「「「舞台裏」の節について」では映画と関連のない記述の削除に反対しながら、ここでは「映画と関連がないので削除してもいい」というのはダブルスタンダードではないですか?」とお聞きしたところ、あなたは「情報源が記録映画「南京」に直接言及しているか否かを取捨選択の基準とすることに反対しているのであって映画と関連のない記述の削除に反対しているのではありません」とご回答になりました。私にはあなたのスタンスがよくわかりません。結局のところ、記録映画『南京』との関連性を問題にしているのかいないのか、一体どちらなのでしょうか?(なお、記録映画『南京』に直接言及していないものを、記録映画『南京』と関連があるとするのは、そもそも無理があります) 「「舞台裏」の節について」全体については問題にしないが、白井氏の情報のみは問題にするというのならば、その理由をお聞かせください。--ロンドル 2009年7月20日 (月) 16:04 (UTC)

ロンドルさんのご質問にお答えすべく過去の発言を確認しました。するとジミー・ウェールズの言葉が目にとまり、これを考えるならば白井茂の『カメラと人生』はとにかく除かれるべきと判断しました。ロンドルさんも別の出典元を意図されて『孫引き』ということに言及されました。別の出典元がどのような情報を提供するかまだ分かりませんので現在はまったく同じ情報を提供するかのごとき仮定で議論を進めても意味がありません。白井茂の『カメラと人生』を除き、別の出典元にされたのちに議論がなされるべきでしょう。--Sweeper tamonten 2009年7月20日 (月) 23:49 (UTC)
久しぶりに拝見いたしました。Sweeper tamontenさんはノート:稲田朋美だけでなく、ここでも方針やジミー・ウェールズ氏の言葉を引用した持論に基づいて削除を要求なさっておられるようですが、白井氏の著書のどこに問題があるとお考えなのか詳細をお聞かせください。Sweeper tamontenさんのこれまでの主張ではどうも納得がいかないので。また東中野修道氏は白井氏の著書を「自費出版」としていることについて何らかの根拠を示されているのでしょうか?東中野氏が「自費出版」と主張したから―というSweeper tamontenさんの説明も不可解です。ウィキペディアの南京関連記事では東中野氏(およびその著書)も「信頼できる情報源」とはみなされていない向きがあるようですから。--花蝶風月雪月花警部 2009年7月23日 (木) 15:25 (UTC)
ジミー・ウェールズ氏の言葉は特定の不審な情報源に頼らなくてはならない情報は要らないということです。よって疑いのある情報源の他に情報源がないのなら、そのような情報は要らないというわけです。--Sweeper tamonten 2009年7月23日 (木) 21:40 (UTC)
利用者個人が「特定の不審な情報源」と判断しただけでは、利用者の「一方的な思い込み」による削除と取られかねません。(ジミー・ウェールズ氏の言葉に依拠しているとしても)利用者1人(Sweeper tamontenさん)の主張のみでは削除の正当な根拠とはなり得ません。--花蝶風月雪月花警部 2009年7月24日 (金) 09:54 (UTC)
Sweeper tamontenさん、まず私の質問に答えていただけませんか? 記録映画『南京』との関連性を問題にしているのかいないのか、一体どちらなのでしょうか? 「「舞台裏」の節について」全体については問題にしないが、白井氏の情報のみは問題にするというのならば、その理由をお聞かせください。--ロンドル 2009年7月26日 (日) 14:49 (UTC)
問題にしております。全体をまとめて扱うことはせず、個別に考えようとしております。たまたま自費出版であるとの情報を得たので取り上げました。--Sweeper tamonten 2009年7月26日 (日) 15:00 (UTC)
記録映画『南京』との関連性と、自費出版であることとは別問題であって関係がありません。あなたの主張はつじつまが合っていません。--ロンドル 2009年7月26日 (日) 15:25 (UTC)
ご理解を得るよう努めます。ところで白井茂以外の情報源を用意することは難しいことでしょうか?貴方が孫引きならと質問されていたのでそれであればウィキペディア上に記述する情報源として利用できるのではないかと考えています。--Sweeper tamonten 2009年7月26日 (日) 15:42 (UTC)

あなたは論点をころころ変える癖があるようですね。その前にまず、「「舞台裏」の節について」全体については記録映画『南京』との関連性を問題にしないが、白井氏の情報のみは記録映画『南京』との関連性を問題にするという、その理由をお聞かせください。もし「自費出版」以外に理由がなければ、それでも結構ですのでご回答をお願いします。--ロンドル 2009年7月26日 (日) 16:02 (UTC)

全体をまとめて扱うことはせず、個別に考えようとしております。そして白井茂の情報が記事に寄与していないと判断しました。映画制作の情報として何があるのでしょうか?--Sweeper tamonten 2009年7月26日 (日) 16:12 (UTC)
まず、「白井茂の情報が記事に寄与していないと判断し」たその理由をお教えください。--ロンドル 2009年7月26日 (日) 16:23 (UTC)
この理由を具体的に示すために記事を修正してみようと思います。どうでしょうか?--Sweeper tamonten 2009年7月29日 (水) 22:21 (UTC)
まずここで理由を示すのが筋でしょう。議論が継続している途中にも関わらず記事に修正を加えるのはマナー違反です。--ロンドル 2009年7月30日 (木) 14:48 (UTC)
Wikipedia:合意形成#合意形成には「合意は関与する人たちの同意から生れます。それは議論、編集いずれか単独の作業より、その両方を連携させた作業による方が得られ易くなります。」とありますので説明の為に編集作業をしても問題はありません。--Sweeper tamonten 2009年7月30日 (木) 15:18 (UTC)

それは議論・編集を併用して行えと言っているのあって、議論で示さぬまま編集してよいとは言っていません。--ロンドル 2009年7月30日 (木) 16:02 (UTC)

議論だけだと抽象的で分かりにくいところがあるので議論の途中においても実際を見てもらうために編集作業を行うことは有意義です。ロンドルさんは私の言うことが分かりづらいと何回か仰っていますし、具体的なものを見ていただこうと思います。--Sweeper tamonten 2009年7月30日 (木) 22:01 (UTC)
あなたは削除を主張しているのですよね? あなたの主張どおりになるとすれば、結局はすべて削除されてしまう部分にわざわざ加筆を行う意味がわかりません(削除されるものを加筆することになってしまいます)。本文中の文章にあなたが加筆した形のものを、ここにお書きになればよろしいのではないでしょうか。それとそれ以前の問題として、もともと私が尋ねたのは、「「舞台裏」の節について」全体については記録映画『南京』との関連性を問題にしないが、白井氏の情報のみは記録映画『南京』との関連性を問題にするのはなぜか?ということです。「白井茂の情報が記事に寄与していない」というものも、やはりその答えにはなっていないと思うのですが。--ロンドル 2009年8月1日 (土) 10:06 (UTC)
Sweeper tamontenさんの主張は相変わらず要領を得ませんが、白井氏の証言を何とか消したいという強い意思は伝わってきます。おそらく、彼が問題としているのは「情報源として適切か」ではなく、白井氏の「証言内容」にあるのではないでしょうか。当該項目は彼自身が初版作成者であり、また彼は「南京 (戦線後方記録映画)は南京大虐殺を否定する資料になるかと思います・・・」と述べている([1])ので、白井氏の「証言内容」がSweeper tamontenさんの編集方針にそぐわない記事であることは容易に理解できます。そういう意味では「白井氏の証言は記事に寄与していない」は(Sweeper tamontenさんにとっての)答えになっているのでしょう。--花蝶風月雪月花警部 2009年8月1日 (土) 13:06 (UTC)
ロンドルさん、「あなたは削除を主張しているのですよね?」とのことですがその通りです。削除した姿を提示することも比較する意味で必要と考えました。もともと2008年11月25日 (火) 16:58時点の編集で白井茂を情報源とする記述が復活しています。これが映画を説明する情報として適当とは考えていません。映画の説明というより南京事件の説明なのでそちらで記述されるべきですね。そしてその情報源としての妥当性にも疑問がもたれます。自己出版と言う人もいるし、他に一致した情報を持つ情報源もありません。どちらの意味でも白井茂からの情報はこの映画の記事に置かれるべきではありません。--Sweeper tamonten 2009年8月1日 (土) 22:35 (UTC)

「映画の説明というより南京事件の説明」というのは、Sweeper tamontenさんが「「舞台裏」の節について」およびその脚注に記述したものの大半にもそのまま当てはまるものです。なぜそれらはよくて、白井氏の記述のみが駄目なのか?ということを聞きたいのですが、そのような比較についてSweeper tamontenさんは一向に説明してくれません(なお、私は白井氏の記述は、『南京 (戦線後方記録映画)』のカメラマンであった氏が撮影のために南京滞在中に見聞したことを書いているものなので、映画と十分関連があると考えます)。花蝶風月雪月花警部さんの仰るとおり、とにかく白井氏の記述を削除したいという結論は一貫していると強く感じるのですが、その理由がころころ変わるのはいただけません。結局、南京大虐殺を否定するものはOKだが、肯定するものは駄目だ、としているように感じられてしまいます。--ロンドル 2009年8月4日 (火) 14:17 (UTC)

「なぜそれらはよくて、白井氏の記述のみが駄目なのか?」というより「白井氏の記述が駄目なのか?」ということを議論しているつもりです。もともと情報源として適切かどうかを論じる場所です。全体的なことについては別の場所で論議しましょう。さて、白井氏は自分の体験を自主公表物として出していると考えられる点がネットで確認されました。これはWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源で制限されるものです。そしてWikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料には「資料から直接の引用を行う場合、また内容に疑問が提出された、もしくは疑問が提出されそうな情報には、その裏づけとなる信頼できる資料を示さなければなりません。」とありますので別の信頼できる資料がなければ白井からの情報がこの記事に有効か否かにかかわらず削除されますね。今のところ、その白井からの情報全体の裏づけとなる資料が示されていないので白井関係の情報は制限されます。そして裏づけがあるものだけが記事に利用されるので白井を情報源として載せるよりは削除したほうが良いでしょう。--Sweeper tamonten 2009年8月6日 (木) 03:46 (UTC)
「なぜそれらはよくて、白井氏の記述のみが駄目なのか?」というのは重要な点ですのできちんとお答えください。答えないと、答えられないので逃げているように見られてしまいますよ。それ以外の部分については、ずっと上のほうで花蝶風月雪月花警部さんが1度触れているのですが、あなたは無回答のままです。私以外の方の疑問・質問にもきちんとお答えくださるようお願いします。--ロンドル 2009年8月7日 (金) 17:57 (UTC)
「白井氏の記述が駄目」ということでは合意を得たようですね。他のものについては別に節を設けて論じましょう。--Sweeper tamonten 2009年8月8日 (土) 09:37 (UTC)
そのように、議論の場において常に自己中心的な結論をお出しになることこそ、Sweeper tamontenさんが方針やガイドラインを自己に都合良く解釈している証拠なのです。--花蝶風月雪月花警部 2009年8月8日 (土) 13:52 (UTC)
花蝶風月雪月花警部さん、それではその都合よく解釈しているという主張の論理的な構造を説明してください。それによって私にも反省する部分がよく分かるかもしれません。今のままでは貴方の主張が先行するばかりで理由がありません。--Sweeper tamonten 2009年8月8日 (土) 14:11 (UTC)
Sweeper tamontenさんはご自分の行為について自覚しておられないようなので、これまでの議論の経過を読み返して見ることです。--花蝶風月雪月花警部 2009年8月8日 (土) 15:15 (UTC)
「白井氏の記述が駄目」ということで合意してはおりません。どこをどう読めばそのような結論になるのか理解に苦しみますが、私は「なぜそれらはよくて、白井氏の記述のみが駄目なのか?」を質問しているだけです。--ロンドル 2009年8月10日 (月) 16:09 (UTC)
Wikipediaが禁止していることなので相対的なことではありません。白井からの資料を使えるのかどうかですが怪しいと思われている限り別の情報源を使用しなくてはなりません。白井の著作が自費出版との声がありましたが、加えて出版した会社が評判の良い第三者にあたるのか疑問が残ります。そしてその著作の内容は自分の体験を自分で記しています。この場合には他の情報源を利用すべきで白井の著作は情報源から外す必要があります。このような話の流れにあってロンドルさんからは有効な反論がなされていません。このまま反論がなされないのであれば白井の著作を情報源から外します。--Sweeper tamonten 2009年8月15日 (土) 23:45 (UTC)
まったく答えになっておりません。なぜ「舞台裏」の節全体については関連性を問題にせず、白井氏の著作においてのみ関連性を問題にするのかについてきちんとお答えください。Sweeper tamontenさんの編集姿勢にかかわる問題です。もし答えられないのなら、ご自分の好む記述と、好まない記述では編集方針が異なる一貫性のない編集姿勢と判断せざるを得ません。自分勝手な解釈で削除を強行なさらないように。--ロンドル 2009年8月16日 (日) 01:42 (UTC)
私はずっと全体から考えようとはしていませんね。個別に当たろうとしています。全体を論議するには相当な時間を要すると考えて個別に当たりたいとしています。なぜ全体から考えなくてはならないのでしょうか?個別に問題を解決していくことが現実的でしょう。この点についてどう考えられますか?--Sweeper tamonten 2009年8月16日 (日) 16:30 (UTC)
あなたの全体的な編集姿勢に疑問があるから、それについての質問をしているのです。それなのに「全体的には考えない。個別に考える」などというのはまったく見当はずれの返答です。というわけで、なぜ「舞台裏」の節全体については関連性を問題にせず、白井氏の著作においてのみ関連性を問題にするのかについて、きちんとお答えください。--ロンドル 2009年8月17日 (月) 13:30 (UTC)
とおりかかっただけですまないけど。「白井氏は自分の体験を自主公表物として出していると考えられる点がネットで確認された」というのは、具体的に何をもって「確認」したのかな? あとさ、ユニ通信社から出てるのが駄目とかいう理由なら、それは何か根拠として薄弱というか。それはおいておくとしても、Sweeper氏がどっかの記事で引用していた、『大東亜解放戦争』の岩間書店よりはましだと思うんだ。そのあたりはSweeper氏はどう考えてるのか知りたいんだが。--とおりかかったひと 2009年8月8日 (土) 14:13 (UTC)
とおりかかったひとさん、自分の体験を自分の著書の中で示している場合には慎重にならなくてはならないと考えます。そして自費出版との指摘があるものについても同様です。貴方が指摘された別の記事については近いうちに処理したいと思います。なお、今回のきっかけは映画「南京」から見えるものの中に東中野さんの言葉として自費出版であるとの発言があったことからです。--Sweeper tamonten 2009年8月8日 (土) 14:30 (UTC)
あ、回答ども。ええと、よく分からんので3点質問したく。Sweeperさんは岩間氏の著作=自費出版と考えているでしょうかね? というのが1点。「東中野さんの言葉として自費出版であるとの発言」があったから、というのについて。これが、「×××(よく知らない人)の言葉として自費出版であるとの発言」があった場合、話は違うんですかね? というのが1点。ぶっちゃけると、誰が「自費出版だっ!」と宣うとSweeperさんが問題視する様になるのか、という閾値が知りたいんだ。最後の質問。ついでにねえ、「自費出版だっ!」って誰が言っても良いけれど、何処(何のメディア)で言うとSweeperさんが問題視する様になるのか、ってのも知りたいねえ、と思うんだけども。このあたりはっきりすると、今後のここ以外の議論においても足しになるんじゃあないかと。ではでは。--とおりかかったひと 2009年8月8日 (土) 14:58 (UTC)
簡単に答えさせていただきます。(1)岩間氏の著作=自費出版の疑いありなので処分すべきだが必ずしも自費出版とは言えない。しかし、同様の情報が疑いの無い出典から得られないのであれば必要とはしないというのが創立者の意思。(2)東中野さんの言葉も今となってはきっかけに過ぎず誰が言ったとしてもその言葉自体において妥当性が認められれば確認作業をしてもらいたい。これは特異な情報については裏づけをもとめるウィキペディアの姿勢を尊重しているからです。(3)検証可能性を満たす情報であること、信頼できる情報源であることなどウィキペディアの記述の基準と変わらないと考えている。--Sweeper tamonten 2009年8月8日 (土) 15:34 (UTC)
ではでは、と言っておいて。ますます分からなくなって来た…。も少し質問させて頂戴。(1)「必ずしも自費出版とは言えない」とはどういうこと?(素人の俺からすると、「出版は少なく、本業とは言えない」岩間書店及び岩間氏の著作はどうみても純然たる自費出版なんだが。)(2)東中野氏の言葉であろうが無かろうが、「確認作業」を、と。上記までの議論ではどんな「確認作業」がなされた上で、「白井氏の記述が駄目」ということになったん?--とおりかかったひと 2009年8月8日 (土) 15:51 (UTC)
東中野修道氏の指摘については「この映画を撮影した白井茂カメラマンが『カメラと人生』という本を自費出版で出しておられるのです」という一文があるのみで、その根拠までは示されていないようですが、東中野氏以外に白井氏の著書を「自費出版」と指摘した例はありますか?--花蝶風月雪月花警部 2009年8月8日 (土) 15:15 (UTC)
私の知る限りありません。私は自己の体験を著作に用い、それが有名出版社でないところから出されていることが問題と考えています。この場合には一致した内容を持つ別の情報源が必要です。結局白井茂の情報は不必要となります。--Sweeper tamonten 2009年8月8日 (土) 15:34 (UTC)
ついでに、「有名出版社」の定義が知りたいなあ。--とおりかかったひと 2009年8月8日 (土) 15:51 (UTC)
「有名出版社」は理解を助けるために用いましたが、実際はen:Wikipedia:Reliable sourcesが基本ではないでしょうか。--Sweeper tamonten 2009年8月8日 (土) 16:06 (UTC)

en:Wikipedia:Reliable sourcesは、日本語版ではWikipedia:信頼できる情報源のようですが、具体的にはどの部分でしょうか?--ロンドル 2009年8月16日 (日) 01:42 (UTC)

en:Wikipedia:Reliable sourcesに信頼できる情報源が説明されていますのでこちらをお読みいただくことをお勧めします。日本語版にあるWikipedia:信頼できる情報源は英語版との乖離が大きく、このまま正式化される見込みはありません。--Sweeper tamonten 2009年8月16日 (日) 02:50 (UTC)
見込みがあるかどうかはSweeper氏が判断する事じゃないと思うんだ。日本語版で英語版の文書を参照するようにもとめるのは間違ってると思うんだ。それに、日本語版ではあくまで日本語版の文書に則して判断するべきだと思うんだ。そうでなくとも、長大な英語版の全てに目を通せというのも乱暴だと思うんだ。それはさておき、「有名出版社」の定義→en:Wikipedia:Reliable sourcesが基本、だとした場合、白井氏の著作のどこがen:Wikipedia:Reliable sourcesにひっかかってると考えてるのかSweeper氏が議論の参加者に示すのが筋だと思うんだ。あと最後に、俺の上の質問は意図的にスルーしてるのかどうか知りたいと思うんだ。--とおりかかったひと 2009年8月16日 (日) 08:10 (UTC)
んー、なんだ。これはSweeper氏によるやんわりとした対話の拒否とみなしても良いということかな。--とおりかかったひと 2009年8月23日 (日) 08:32 (UTC)
「日本語版ではあくまで日本語版の文書に則して判断するべきだと思うんだ。」ということから考えるとWikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料にある「信頼できる」という語に明確な定義はありませんの辺りではないでしょうか。その後に「一般的に」として説明があります。ここに「著名な出版社」という言葉は出てきますがその定義は見つけておりません。該当するか否かは合意形成によるようです。--Sweeper tamonten 2009年8月23日 (日) 23:25 (UTC)
どーもどーも、急かしてしまったみたいで申し訳ない。が、しかし。「俺の上の質問」ってのは、「2009年8月8日 (土) 15:51 (UTC)」の俺の投稿のことなんだ。--とおりかかったひと 2009年8月25日 (火) 14:16 (UTC)

最後の書き込みから1週間以上たっていますが、この節にも上の節にもSweeper tamontenさんのご返答がありませんね。ご返答をよろしくお願いします。--ロンドル 2009年9月4日 (金) 15:44 (UTC)

んー、いや、結局、sweeper氏は自分の編集した状態で記事が保持されているので、回答を先延ばしにしているだけじゃねえのか、と。というか、まあ、そんな感じで結論出しても他の記事の編集をしている以上、いる人だけで結論出して編集しても苦情も来ないんじゃないかと。もしくは、sweeper氏がそんな対話姿勢をここと冀察政務委員会‎血のメーデー事件(あと、稲田朋美‎とか?)でとってるんだがどうなんかなあ、とコメント依頼にでも出せば良いのかねえ。まあ、コメント依頼に出すなら、sweeper氏の編集方針にも突っ込まないといかんので議論に最初から自分にはちときついのだが。それとも、直入にWikipedia:投稿ブロックの方針#8.1項 議論の拒否や妨害の「中には一切の呼びかけに応じ……ず自分の主張に沿った編集を強行する人」がいて、「編集や議論に際して他の利用者からの質問や根拠の明示などの依頼に応ぜす、……議論が成立しにくく」なってますよ、と方針を提示すればいいのかしらん。--とおりかかったひと 2009年9月8日 (火) 03:25 (UTC)
とおりかかったひとさん、簡単に回答いたします。(1)人に自費出版の証拠として提出できるものがないと考えた。人が自費出版の証拠があると考えることを否定するものではない。(2)議論に出ていない確認作業を確認しようとしているのであろうか?それとも議論に出てきた確認作業を否定しているのであろうか?「白井氏の記述が有効」となるためには出版社に信頼性があるのか、その特異性を保証する別の情報源があるのかが問題とされると考えています。--Sweeper tamonten 2009年9月14日 (月) 14:18 (UTC)

私が質問した「なぜ「舞台裏」の節全体については関連性を問題にせず、白井氏の著作においてのみ関連性を問題にするのか?」にもお答えください。なお、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源には、「一般に、ウィキペディアの記事は一次情報源に基づくべきではなく、むしろ一次情報源となる資料を注意深く扱った、信頼できる二次情報源に頼るべきです。ほとんどの一次情報源となる資料は、適切に用いるための訓練が必要です。」とあることから、上記にもある孫引きの形で記述しなおすことに反対はしませんが、その場合は『南京 撮影日誌』も一次情報源にあたるため同様に孫引きの形で記述しなおさなければならないでしょう。--ロンドル 2009年9月17日 (木) 15:17 (UTC)

歴史学者が論文で扱った例はないのかも知れないし、入手困難のようですが、コトバンクの日本人名大辞典記事での言及や映像関係者が資料として扱っている例[2][3]はありますね。白井茂の映像は利用して証言の都合の悪い部分は排除というのは具合が悪いと思います。東中野の「自費出版」という発言は都合よく利用したいという意思の顕れのようですね。johncapistrano 2010年1月16日 (土) 06:31 (UTC)
ご意見ありがとうございます。ただ、この節はずっと書き込みがなかったため、次の節で結論を出す段階に移っております。もしよろしければそちらのほうにご意見をお書きいただけると幸いです。--ロンドル 2010年1月18日 (月) 02:11 (UTC)

「舞台裏」の節および白井茂の自伝についての結論

上記、「「舞台裏」の節について」と「白井茂『カメラと人生』は情報源として適切か」において、1ヶ月以上、新たな書き込みがありません。そろそろ結論を出したいと思うのですが、いかがでしょうか?

とりあえず私の提案としては、前2節の議論を踏まえ、①「舞台裏」の節は、新たな「信頼できる二次情報源」を使用して記述しなおす。②「別の映像記録」の節は、『南京 (戦線後方記録映画)』についての記述も加えた上で南京攻略戦に移す。

というものです。ご意見をお寄せください。--ロンドル 2009年10月23日 (金) 13:51 (UTC)

反対  幅広い観点で書かれ、出典もしっかりしているものを移動させる必要性を感じないため。「舞台裏」の節記事については他に書く必要性のあるものがあるならば、加筆すればよいのみです。記事の発展や深みを取り払う必要はないと考え、提案には反対します。--PSIA 2009年10月23日 (金) 14:16 (UTC)

では、上記、「「舞台裏」の節について」と「白井茂『カメラと人生』は情報源として適切か」における全ての議論の流れを踏まえた上での具体的な反論をお願いします。--ロンドル 2009年10月24日 (土) 16:22 (UTC)
白井とやらも自費出版でないなら、載せておけばいいんじゃないでしょうか。どれも直接的にも間接的にも関係した事柄であり、読者にとって「南京 (戦線後方記録映画)」について幅広く詳細に知ることのできる情報であり、有効かと。「別の映像記録」も南京事件に関わる映像記録として大変にわかりやすく、関連リンクと同じように読者は幅広く知ることができる。できればすべての映像記事に同じような節を作るのも親切かもしれません。移動やら、記述しなおす必要性は感じません。記述しなおすにしても提案文を書いていただいた上で提案しないと何を書かれるかわからず賛成すらできないでしょうに。--PSIA 2009年10月25日 (日) 00:11 (UTC)
あなたのご主張は、上記2節でSweeper tamontenさんが仰ったこととほぼ同じものですので、それに対する反論は上記2節をご参照ください。もう1度書き込むと同じことの繰り替えしを長々と書くことになってしまうので、よろしくお願いします。提案文についてはいずれ書き込むつもりではありましたが、とりあえず基本方針についての結論を出したく、それについてお聞きしたかったのです。--ロンドル 2009年10月28日 (水) 00:35 (UTC)
明確なお答えはないようですが、どちらでしょう。「「舞台裏」の節についての提案文はお書きならないのでしょうか?。「別の映像記録」については本人が登場人物として出たドラマを集めることと[4]、同時代の実写映像を集めることとの差がよくわかりません。単に関連リンクするより、「別の映像記録」としてまとめておいてくれたほうが読者にとってよほど親切ではないでしょうかね。また、白井の著書のISBNを教えていただけますでしょうか。--PSIA 2009年10月28日 (水) 03:22 (UTC)
しっかり出版されて[国会図書館にもある]ようですので、白井に関しては記載で良いのではないでしょうかね。もちろん白井の主張としての記載として。--PSIA 2009年10月28日 (水) 04:57 (UTC)
ですから提案文を書くのは基本方針についての結論が出た後で、と明確に回答しております。上記2節をお読みいただければわかるように、まず基本方針を決めるべきと考えますので。ドラマの登場人物がどうこうはここでの議論と直接の関係はありませんが、過去のもので現在の私の考えも変わっていますし、経緯も細かく説明すると大幅に脱線してしまいます。なお、上記のWikipedia:信頼できる情報源#情報源に、「一般に、ウィキペディアの記事は一次情報源に基づくべきではなく、むしろ一次情報源となる資料を注意深く扱った、信頼できる二次情報源に頼るべきです。ほとんどの一次情報源となる資料は、適切に用いるための訓練が必要です。」とあることについては、いかがお考えなのでしょうか?--ロンドル 2009年11月2日 (月) 12:53 (UTC)
では提案文を書いていただくことを、お待ちしましょう。提案文がない状態では賛成もできないことを申しておきます。また一次情報がどうのこうのという主張は、その方針の一文は一次情報をもとに編集者が事実か否かを判断し、断定表現で記載したり、解説することが問題である(それには高度な技術が必要だから)ことを述べているものであり、一次情報に何が書かれているかの事実を記載することを禁止しているものではありません。「○○には~と書かれている」という事実の記載法にしておけば良いだけでしょう。--PSIA 2009年11月2日 (月) 15:46 (UTC)
つまりあなたは基本方針については賛成も反対もしない、というご意見でよろしいでしょうか?(基本方針そのものに反対なら提案文を書けと主張する必要もないので)。また、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源に書かれているのは、ごく単純に「一般的に、ウィキペディアの記事は信頼できる二次情報源に頼るべきで、一次情報源に基づくべきではない。なぜならほとんどの一次情報源は、適切に用いるための訓練が必要だから。」としか読めません。あなたの解釈には無理があると言わざるを得ない。「舞台裏」の節は、ほぼ一次情報源のみによって書かれており、そのような記事の書き方には非常に問題があります。Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料にも「なお、(1)専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説、(2)分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事、のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません。アップルパイ最近の出来事などが、この例として挙げられます。ただし、こういったことは例外です。」とあります。--ロンドル 2009年11月6日 (金) 04:25 (UTC)
一次資料が禁止されているわけではありません。「ウィキペディアにある記事は全て、既に発表されている一次資料や二次資料に基づいていなければなりません。なお、現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は、もちろん強く奨励されています。そうした記述は「独自の研究」には当たりません」。問題なのは公表されていない自身の調査による一次情報であるとしっかり書かれているでしょうに。すでに公表されている資料(東京朝日新聞など)は問題はありません。そもそも東京朝日新聞の記事を一次情報と言えるのかも疑問ではありますが、少なくとも公表されている資料をもとに「○○には~と書かれている」と事実の記載にすれば何も問題は残らず、一発で解決することです。Sweeper tamonten氏の編集は写真をもとに独自に解説した部分があるため、その部分については2次資料(だれか識者の解説の提示)が必要だと思いますね。これは「編集者の意見・感想」になってしまっているものですから。①「舞台裏」の節は、新たな「信頼できる二次情報源」を使用して記述しなおす。との提案のみでは、具体的にどのような文にしたいのか見えてきません。提案するからには出典の提示と共にこういう文にしたいんだ、という具体案を書かなければ、何を書きたいのかも見えず賛成することもできませんので、反対しておきます、という当然のことですよ。--PSIA 2009年11月6日 (金) 23:40 (UTC)

(インデント戻し)一次資料が禁止されていると言っているのではなく、Sweeper tamontenさん編集による「舞台裏」の節は「もっぱら一次資料に基づいてい」る、そのような編集は問題がある、と言っているわけです。一次資料を使ってもかまわないが、記事の大半が一次資料ではいけない、ということがWikipedia:信頼できる情報源#情報源Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料には書かれているわけです。また、私がここで聞いているのは、上記2節の議論の流れを読んでもわかるように、あくまで基本方針についてです。具体的にどのような文章にするかということとは別の問題ですので、提案文がなければ賛成できないというのならば、基本方針については意見がないと解釈せざるを得ません。--ロンドル 2009年11月13日 (金) 08:36 (UTC)

まあ、一次資料をもとに断定表現で書いている部分はミスしているとは思いますよ。そこで訂正するならば、どう訂正するのか、提案文をいただきたい。このような荒れやすい記事で大幅に変えたい場合は合意を得て行動していただくのは当然のことです。--PSIA 2009年11月13日 (金) 11:40 (UTC)
基本方針にはご賛成いただいたと解釈してよろしいでしょうか? そうであれば文案を書かせていただきます。まず基本方針に同意を得られるか否かが解決した次の段階で、では具体的にどういう文章(記事)にするか?という問題が出てくると思いますので。私がこの節でお聞きしているのは、あくまで基本方針についてです。--ロンドル 2009年11月21日 (土) 01:47 (UTC)
一次史料を使用してはならないという方針はない。ただし一次史料をもとに編集者が独自の解釈を述べてはならない。ということでしたら、そのとおりですよ。一次史料にその情報が書いてある事実を記載することは何ら問題はありません。一次史料は使ってはならないとあなたは主張しているように見えたのですが、もしそうならば、その点については反対しておきます。さて、提案文をお待ちしております。--PSIA 2009年11月22日 (日) 03:18 (UTC)
では1週間以内に文案を提示させていただきます。二次資料を使用した全面的な書き直しとなります。--ロンドル 2009年11月26日 (木) 06:01 (UTC)
何度も申しますが一次資料にある事実は記載できますので、その点を考慮に入れた文案を期待します。--PSIA 2009年11月27日 (金) 13:42 (UTC)

賛成  ①「舞台裏」の節は、現在の内容を考慮するとセクション名を「エピソード」に変更したほうが適切と思われます。②「別の映像記録」の節についてはロンドルさんの提案に同意します。必要であれば関連項目として作品名のみを記載しておけば良いと考えます。--花蝶風月雪月花警部 2009年10月29日 (木) 12:16 (UTC)

①「舞台裏」の節は、もともと私が「逸話」というセクション名で立項したのですが、Sweeper tamontenさんが「舞台裏」というセクション名に変更したのです。私もどちらかといえば「エピソード(=逸話)」のほうがよいのではないかとは思います。なお、「新たな「信頼できる二次情報源」を使用して記述しなおす。」ことについては、いかがお考えでしょうか?②「関連項目」に作品名を残すことについては、私もそうしようと考えていたのですが書くのをうっかり失念していました。なお、「関連作品」の節についても現在の説明文を残したままで関連項目に移すのが妥当と思われますがいかがでしょうか?--ロンドル 2009年11月2日 (月) 12:53 (UTC)

コメント2の方は、関連項目に記載して、という花蝶風月雪月花警部氏の意見で良いかなあ、と。で、1の方はねえ。俺的には、舞台裏の注とか資料云々以前に酷い悪文だと思うんだけど、そんなこともないのかなあ。例えば、注18。佐藤の南京戦史からの引用→「南京戦史なんて戦史じゃない」という主張。何か、後者の蛇足っぷりったらないというか。いや、そんなことは南京戦史に書けよ、って話ですがね、要は。まあ、俺が点数付ける立場だったら、酷い点つけるかなあ、って感じで。--とおりかかったひと 2009年11月28日 (土) 15:30 (UTC)

その点については、Sweeper tamontenさんともども文章をひたすら付け足していった私にも責任の一端はあるかと思います。どちらにしろ、そのあたりは『記録映画 南京』と関係ない記述なので、私の文案ではばっさりいかせていただきます。--ロンドル 2009年11月29日 (日) 13:24 (UTC)

文案

すいません。いろいろ忙しくて1週間を過ぎてしまいましたが、文案を提示させていただきます。

== エピソード ==

  • 製作事務の米沢秋吉による「南京 撮影日誌」には、南京到着前日の13日に『南京』撮影班が敗残兵による暴行の話を聞いて機材を略奪されることを恐れていたこと[1]、到着した14日には掃討と思われる激しい銃声を聞いたこと[2]、城内の撮影が開始された15日に訪れた挹江門(ゆうこうもん)の付近ではまだ掃討が行われていたこと[3]などが記されている。また16日に紫金山麓、郊外遊園地である中山陵とその付近の音楽堂を撮影した際には犬が悠々と歩いていたこと[4]や、24日には南京の避難民の非常に哀れな状態を目撃し、その場における優しい日本兵の対応も見たこと[5]、水道設備の建設風景[6]や中国人捕虜に対する施療風景も撮影されたこと[7]なども記されている。
  • 戦死した日本兵が戦友の手で火葬にされる場面では、火葬にされる生々しい音が同時録音で捉えられたが、現在残っているプリントではその部分は欠落している[8]。彼らの在りし日の姿を偲ぶと称して戦闘の再現場面も挿入されており[9]、城壁をよじ登り日章旗を立てるシーンを再現してもらって撮影がされた[10]。また、同時録音がされた入城式の場面は、はじめから天覧に供することが決まっていたという[11]
  • 米沢は「南京 撮影日誌」に、『南京』撮影班は軍特務部撮影班であったため新聞社ニュース班の撮れないところでも自由な撮影が許されたと記している[12]。一方、撮影の白井茂は自伝『カメラと人生』(ユニ通信社、1983年、138ページ)に、見たもの全部を撮ったわけではなく撮ったものにも切られたものがあると記している[13]。白井は、南京に到着した14日から銃殺のため処刑地の揚子江河畔に連行される長蛇の列を目撃したがカメラは廻せず、その目撃に憔悴し幾晩も悪夢にうなされたとも記述している[14][15]

== 脚注 ==

  1. ^ 米沢秋吉「南京 撮影日誌」 『映画と演芸』15巻3号、1938年 所収、12月13日
  2. ^ 米沢、12月14日。『東京朝日新聞』1937年12月15日付朝刊二面によると、日本軍は南京城北部を掃討中であった。
  3. ^ 米沢、12月15日
  4. ^ 米沢、12月16日
  5. ^ 米沢、12月24日
  6. ^ 米沢、12月31日
  7. ^ 米沢、1月2日。『東京朝日新聞』1938年2月23日付朝刊二面の「新映画評 南京」にも、「映画の最期に(略)我軍医の手厚い治療を受ける支那負傷兵の呻き声」とある。
  8. ^ 藤井仁子「上海・南京・北京―東宝文化映画部〈大陸都市三部作〉の地政学」  岩本憲児・編『日本映画史叢書② 映画と「大東亜共栄圏」』森話社、2004年 所収、114ページ
  9. ^ 藤井、114ページ
  10. ^ 土本典昭「亀井文夫・『上海』から『戦ふ兵隊』まで」 『講座日本映画5 戦後映画の展開』岩波書店、1987年 所収、331ページ
  11. ^ 藤井、113ページ
  12. ^ 米沢「南京 撮影日誌」
  13. ^ 藤井、115ページ
  14. ^ 土本、330-331ページ
  15. ^ 佐藤真『ドキュメンタリー映画の地平(上)』凱風社、2001年、171-172ページ

--ロンドル 2009年12月4日 (金) 07:01 (UTC)

そのままであれば反対しておきます。現在ある記載内容がごっそりと削除されすぎでしょう。POVにならぬようお願いします。一次史料に記載されている事実があるのならば、「~に○○と記されている」とその事実を記載すれば良いことです。--PSIA 2009年12月13日 (日) 02:01 (UTC)
文案を修正しました。そもそも現在の記述量が多すぎる(特に記録映画『南京』と無関係の記述が多すぎる)ため、削除量が多くなるのはやむをえないでしょう。もともとそのような記述を削除する、というのが議論の出発点ですから。また、一次情報源による記述が二次情報源による記述よりも多くならないようにも注意しなければなりません。(以下追記)前にも書きましたが、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源に、「一般に、ウィキペディアの記事は一次情報源に基づくべきではなく、むしろ一次情報源となる資料を注意深く扱った、信頼できる二次情報源に頼るべきです。ほとんどの一次情報源となる資料は、適切に用いるための訓練が必要です。特に歴史についての主題を扱う場合がそうです。」とあることをお考えください。--ロンドル 2009年12月14日 (月) 15:27 (UTC)
なお、最初のセンテンス(「この映画は~撮影を続けた。」)は「概要」として独立させたほうがいいかもしれません。そもそも、この記事には「概要」がありませんので。--ロンドル 2009年12月13日 (日) 03:41 (UTC)
申し訳ありませんが、はしょりすぎでしょう。現在の文をしっかり見てください。一次史料だからとの理由で削除することはできません。書き方の問題ですから。記されている事実は事実としてしっかり書いてください。ロンドルさんの思想も理解しますが、事実はしっかり載せましょうよ。--PSIA 2009年12月17日 (木) 10:31 (UTC)
私は上記文案で十分だと考えます。あなたの主張は、ただ単に現在ある文章をすべて載せるよう主張しているように感じられます。具体的に何が足りないのでしょうか? 上記のWikipedia:信頼できる情報源#情報源の文章をしっかり理解してください。そこに書いてあることは、「ウィキペディアの記事は一次情報源で書かれるべきではなく、二次情報源で書かれるべきだ」ということです。よって、一次情報源による記事を二次情報源による記事に置き換えることはむしろ奨励されることです。また、私の思想とは何の話なのでしょうか? 無関係な話を持ち出して議論を混乱させないでください。--ロンドル 2009年12月17日 (木) 13:55 (UTC)
一方を優先することが、もう一方を消し去る権利・義務には有り得ません。二次資料を優先しつつ、一次資料に記載されている事実も併記しておけば良いことです。ルールの悪用はやめましょうよ。--PSIA 2009年12月19日 (土) 09:03 (UTC)
あなたがガイドラインを正しく解釈していないのです。「ウィキペディアの記事は一次情報源ではなく二次情報源で書かれるべきだ」→「しかしSweeper tamontenさんは一次情報源(と『南京』とは無関係の二次情報)のみを使用して記事を書いてしまった」→「それを(『南京』に言及した)二次情報源による記事に編集しなおす」、という過程になんら問題はありません。ルールの悪用などという根拠のない誹謗中傷はおやめください。
二人だけで議論していても埒が明かないので(他の方々の書き込みも頻繁にはありませんし)、コメント依頼をして第三者にも意見を聞いてみましょう。コメント依頼を出しておきます。--ロンドル 2009年12月23日 (水) 14:14 (UTC)
一次資料が禁止されているわけではありません。「ウィキペディアにある記事は全て、既に発表されている一次資料や二次資料に基づいていなければなりません。なお、現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は、もちろん強く奨励されています。そうした記述は「独自の研究」には当たりません」。問題なのは公表されていない自身の調査による一次情報であるとしっかり書かれているでしょうに。すでに公表されている資料(東京朝日新聞など)は問題はありません。そもそも東京朝日新聞の記事を一次情報と言えるのかも疑問ではありますが、少なくとも公表されている資料をもとに「○○には~と書かれている」と事実の記載にすれば何も問題は残らず、一発で解決することです。イデオロギーからのルールの悪用はやめましょう。--PSIA 2009年12月24日 (木) 11:41 (UTC)

(インデント戻し)前にも書きましたが、Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料の、あなたの引用している部分のすぐ後に、「なお、(1)専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説、(2)分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事、のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません。アップルパイ最近の出来事などが、この例として挙げられます。ただし、こういったことは例外です。」とあるはずです。これは「(1)(2)のような場合以外には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてはいけない」ということを言っているのです。よって二次資料による裏づけのない一次資料による記述は記載されるべきではないということになります。また、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源には、一次情報源として「実際に出来事を目撃したジャーナリストによる報道記事」が挙げられていますので、東京朝日新聞の記事は一次情報源に該当します(さらに、当時(戦前)の情報源なので、もっと近年の情報源を使うのが望ましい)。正直に言いまして、あなたはルールやガイドラインを自分に都合のいいように恣意的に解釈しておられます。その一方で私に対して「イデオロギーからのルールの悪用」などという根拠のない誹謗中傷を行うことはおやめいただくよう、重ねてお願いしておきます。--ロンドル 2009年12月25日 (金) 06:58 (UTC)

最初のセンテンスは「概要」として独立した記述にするため、文案から削除いたしました。--ロンドル 2009年12月26日 (土) 01:47 (UTC)

はて、こちらの朝日新聞の記事が「実際に出来事を目撃したジャーナリストによる報道記事」に該当するかは不明ですね。新聞の記事は、記者が検証しないでそのまま書いたインタビューなどを除き、全て多くの一次情報をまとめ、多方面から精査された二次情報源となります。信頼できる情報源には「主流の新聞」が該当することが方針では述べられていますよね(Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料)。それはなぜか?その理由はこちらに書いてあります。Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」
報道機関は学術論文のように)査読を受けるのと同様の過程を経ることになります。つまり、まず記者、次に編集者、そしておそらくは事実調査員にチェックされるでしょう。もし問題があれば、さらに弁護士、そして編集長にチェックされるかもしれません。このような事実確認とその評価のしくみがあるのは、新聞に正確で公正な記事を載せるためです。 だからwikipediaでは「主流の新聞」を信頼できるとしているのです。「東京朝日新聞の記事は一次情報源で信頼できない情報源」というのは違うのではないでしょうかね。
大手新聞社によって「報道された事実」は記載できます。問題は「その内容を事実」として書いてしまうことです。この点の違いを認識していただきたい。--PSIA 2009年12月26日 (土) 03:11 (UTC)
なにやら話があらぬ方向に脱線しているようですが、なるほど確かに「舞台裏」の節の「脚注」における東京朝日新聞の記事は、「実際に出来事を目撃したジャーナリストによる報道記事」に該当するのかしないのか不明です。不明ということは該当する可能性もあるわけです(ついでに言うと、「舞台裏」の「脚注」から東京朝日新聞の記事がなくなっても、全体にあまり影響はないと思うのですが)。また後半で、あなたは「一次・二次情報源」と「信頼できる・できない情報源」をごっちゃにしていますが、両者はまったく別のものです。ここで私が問題としているのは「一次・二次情報源」です。私は東京朝日新聞の記事について「一次情報源だ」とは書いていますが、「信頼できない情報源だ」とはどこにも書いていません。--ロンドル 2009年12月29日 (火) 18:00 (UTC)
信頼できる情報源に記載されている一次二次情報の説明を何度もリンクしておきながら「ごっちゃにするな」には失笑してしまいましたが、新聞は査読アリの二次情報源としっかり書いてあるじゃないですか。素直になりましょうよ。主要の新聞は二次情報に該当することが私が提示したリンク先の方針にしっかり書かれています。否定するならば新聞は一次情報であるという方針を提示してください。--PSIA 2010年1月3日 (日) 09:36 (UTC)--PSIA 2010年1月3日 (日) 09:42 (UTC)
あのですね、私がどのあたりで「東京朝日新聞の記事は信頼できない情報源だ」とか「一次情報源は信頼できない情報源だ」などと書きましたでしょうか? もしそのような記述がどこかにあるのなら、はっきりと指摘していただきたい。Wikipedia:信頼できる情報源#情報源にはそんなことは一言も書いてないし、私もどこにも書いていないと思いますが? Wikipedia:信頼できる情報源を引用しているから、私が「信頼できる情報源・信頼できない情報源」を問題としているというのは、あまりにも短絡的な解釈です。
なお、東京朝日新聞の記事は、最初のものは14日の出来事が15日朝刊に書かれており、物理的・時間的にも「実際に出来事を目撃したジャーナリストによる報道記事」に該当する可能性大です(後の映画評論に関しては二次情報源ですが)。また前記のとおり、「舞台裏」の「脚注」から東京朝日新聞の記事がなくなっても、全体にあまり影響はないと思うのですが、とはいえあったとしても量的にも問題ないとも思うので、譲歩して東京朝日新聞の記事も含めた形で文案を修正しました(なお、合わせてSweeper tamontenさんの独自研究と思われる部分を削除しております)。--ロンドル 2010年1月9日 (土) 08:51 (UTC)

新聞ですから14日の出来事が15日朝刊に書かれてもおかしくないでしょう。新聞は速報が重要ですから。間違えていたら訂正記事を書く。それが新聞です。大手新聞の記事が「速報記事」で、それは一次情報であるという出典が出なければ除去は難しいです。「実際に出来事を目撃したジャーナリストによる報道記事」というのはジャーナリスト単独の発表物などでしょう。そこにはwikipediaが説明しているような必要な査読的なものが含まれていませんから。よっぽど白井なんかの言葉をそのまま紹介している方が危険ではないでしょうか。しかしその記載に反対はしませんが。さて、文案を訂正させていただきました。これで了解ならば私は合意しますがいかがでしょう。--PSIA 2010年1月10日 (日) 03:31 (UTC)

最初の質問は無視ですか? きちんと答えていただきたいのですが。次ですが、「速報記事」こそが「実際に出来事を目撃したジャーナリストによる報道記事」なのです。それこそ「速報記事」には「wikipediaが説明しているような必要な査読的なもの」が含まれていない場合が多いからです(あなたの言う「ジャーナリスト単独の発表物」が何をさすのか今ひとつよくわからないのですが、逆に単独署名のルポルタージュなどは該当しません。こちらには「wikipediaが説明しているような必要な査読的なもの」が十分含まれていると考えられます)。もっとも私は東京朝日新聞の記事も文案に含めたので、いまさら議論する意味はもうあまりないと思いますが。白井氏の言葉は他書の引用を記しているので、これまた問題ありません。むしろ、ある一定のバイアスがかかっている可能性があるという観点からは、戦前当時の報道記事や「南京 撮影日誌」のほうがよほど問題があるとも言えます。
なお、あなたの修正した文案には合意できません。あなたの追加した記述は、記録映画『南京』に言及していないものです。ノート:南京 (戦線後方記録映画)#「舞台裏」の節についてに書いたとおり、記事の記述は記録映画『南京』に言及したものに限るべきだと考えます。文案を修正いたしました。--ロンドル 2010年1月13日 (水) 15:16 (UTC)
最初の質問?すいません、確認なんですが、あなたの主張って「一次情報源に基づくべきではない」であり、「現在の記事が一次情報によって書かれているため、除去すべき」というものではないのですか?ならば、新聞が一次情報であるという根拠を提示しろ、という返しなんですが、その答えを明確にお願いします。大手新聞の報道が「ジャーナリスト単独の発表物」ならば是非その根拠を明確にと。それだけですよ。単純なことです。あなたのマイルールは必要ありません。もし主張が違うならば、あなたは何を主張されているのか詳細にご説明ください。
私の訂正した文に合意できないとのことで、残念です。あなたの文案は一方の見解を隠蔽している状況でPOVとなっており、都合よく現在の文が除去されているため合意できません。--PSIA 2010年1月14日 (木) 15:40 (UTC)
最初の質問というのは、私が「東京朝日新聞の記事は信頼できない情報源だ」「一次情報源は信頼できない情報源だ」と書いた箇所があると主張するなら、どこなのかはっきりと指摘してください、という部分です。答えないというなら別にもうどうでもいいですけどね。あと、「ジャーナリスト単独の発表物」というのはあなたの表現であって、それが何を指すのか私にはわからない。よって「大手新聞の報道が「ジャーナリスト単独の発表物」」という主張も私はしていませんし、「新聞が一次情報である」という言い方も甚だ不正確です。私が使っているのは「実際に出来事を目撃したジャーナリストによる報道記事」という引用した言葉であって、「速報記事」がそれに該当する、というものです。これも結局私が一次情報源を文案に全て含めてしまったので、いまさら議論する意味がほとんどなくなってしまいましたが。あと、議論の前提となるノート:南京 (戦線後方記録映画)#「舞台裏」の節については当然読んでおられますよね? そこに私は「記事の記述は記録映画『南京』に言及したものに限るべきだ」と繰り返し書いているはずです。結論の節では一次情報源の問題に偏った議論になってしまいましたが、それでもところどころで言及しております。私は現在の記述がPOVだとは別に思いませんが、あなたの主張は南京大虐殺を否定する記述も含めろということなのでしょう。でしたら記録映画『南京』に言及しつつ南京大虐殺を否定している文献をあなたが見つけてきたらよろしいのではないかと思うのですが。記録映画『南京』に言及したものであれば記述することに別に反対はいたしませんよ。とはいえ、南京大虐殺への言及は、記録映画『南京』の項目では必須でもないでしょうから、南京大虐殺に直接言及した『日本ドキュメンタリー映画全史』の記述を文案から削除いたしました。これでよろしいでしょうか?--ロンドル 2010年1月16日 (土) 03:20 (UTC)
あなたはこの節の冒頭で①「舞台裏」の節は、新たな「信頼できる二次情報源」を使用して記述しなおす。と提案していますよね?だからあなたの主張って「一次情報源に基づくべきではない」であり、「現在の記事が一次情報によって書かれているため、除去すべき」というものではないのですか?ならば、新聞が一次情報であるという根拠を提示しろ、という返しなんですが、「そういう主張じゃない」と仰るならば、このまま記載しとけばokとなりますので異論はありませんよ。そしてはっきりと主張しておられる大手新聞社の報道が「実際に出来事を目撃したジャーナリストによる報道記事」であり、「速報記事」であり、大手新聞社の報道は除去すべきとする方針上の根拠をご提示ください。個人的な感想であったのならば、そう言っていただければけっこうですので。方針上は私が提示したように大手新聞社の記事は記載okとされております。
またあなたの文案を私が修正した部分は「この映画と関係がない」とのことで、お気に召さなかったようです。当時の撮影状況について白井が語っているので、読者にも幅広い状況が知れるように報道記者の意見も必要と思ったのですが、どうもあなたには気に入らない内容だったようで残念です。この映画に関係したものならばokとのことのようですので第三者の評論を追加してみました。あなたの主張からすれば除去できるものではないはずですが、いかがでしょう。--PSIA 2010年1月17日 (日) 03:37 (UTC)

(インデント戻し)確かに結論の節の冒頭の部分では、「前2節の議論を踏まえ」とは書いたものの、「記録映画『南京』に言及したものに限る」とははっきりと書いておりませんでしたね。申し訳ありません。長期に渡った議論でありながら1ヶ月以上コメントがつかなかったため、すでに参加している方々のみの議論になるだろうと考え、そこまで詳しく書かなくてもわかるだろうと考えておりました。文案に異論はないとのことで、ありがとうございます。なお、「実際に出来事を目撃したジャーナリストによる報道記事」云々の部分については、ノート:冀察政務委員会においても同趣旨の議論をしているので、そちらでやりましょう。まったく同じ議論を2ヵ所で行うのは手間と容量の無駄になりますし、前述のとおり私が一次情報源を文案に全て含めてしまったので、ここでは議論する意味がなくなってしまいましたから。それから、あなたが追加した評論というのはどのあたりにあるのでしょうか? 見たところ、私の文案から変わったところがないようなのですが。--ロンドル 2010年1月18日 (月) 02:36 (UTC)

(コメント)この記事で扱っている『南京』関係者のブログならまだ分かりますが、軍事評論家のブログ上でのチャンネル桜の番組の感想では遠過ぎるでしょう。johncapistrano 2010年1月18日 (月) 08:26 (UTC)
ロンドル氏へ。そうですね。再びあなたの矛盾が生じていますね。二次情報で書こうと主張しつつ自身の文案に一次情報と主張するものを記載しているのですからもう一方の方でまとめて議論しようという提案は了解しました。--PSIA 2010年1月18日 (月) 12:20 (UTC)
PSIAさんへ。提案に同意いただけてなによりです。ただまたも最後の質問にお答えいただけなかったのは残念です。本文を編集しようとして気づいたのですが本文に直接書き込まれたんですね。そうであればそう言っていただかないと、上記の議論の流れからだと文案に追加したと受け取ってしまいます。また、私に文案を要求しながら自分はいきなり本文に記載するという議論姿勢にも少々疑問を感じます。記述内容については問題ないだろうと思いますが、まるごとの引用になっているので著作権的に問題があるかもしれません(くわしくはわかりませんが)。ご自身の文章の形に書き直されたほうがよいのではないかと思います。なお、その記述を書き込んだのであればPOVの問題も解消されたのでしょうから、いったん削除した『日本ドキュメンタリー映画全史』の記述は復帰して、評論の節に記述させていただきます。
johncapistranoさんへ。確かに少々遠いかもしれませんが、記録映画『南京』を見ての感想ですから、まぁいいのではないでしょうか。
それでは長きに渡った議論もこれで終了とさせていただきます。参加いただいた皆さん、どうもありがとうございました。--ロンドル 2010年1月19日 (火) 13:33 (UTC)
えっと、あなたの文案に合意したのでなく、もう一方のところで議論しようという提案に合意したのみなんですが、読解力は大丈夫でしょうか・・・。これではあなたが何度も叫ぶ「合意したんだ!」の信頼性もなくなってしまいますよ・・。まあ、単純にリバートするのもアレなんで、少し手直しさせていただきました(一部順序を入れ替えさせていただきました)。それも気に入らないのならば、とりあえずもとに戻すしかないと思います。現在の「エピソード」の節は合意のないものであることをお知らせしときます。--PSIA 2010年1月21日 (木) 10:42 (UTC)
念のためにロンドル氏が消した部分を皆様にわかりやすくしておくために差分をリンクしておきます。ロンドル氏が消したもの。--PSIA 2010年1月21日 (木) 11:33 (UTC)

(インデント戻し)あなたはここで「異論はありませんよ」と書き、私がそれに対してここで「文案に異論はないとのことで、ありがとうございます」と書いたものに対しても、なんら否定をされませんでした。文案に合意が得られたと受け取るのが当然だと思うんですが? 私の読解力ではなく、あなたの記述力に問題があるように思うんですがね。そもそもあなたは私の質問に答えない部分が多い上に、私には文案を求めながら、ご自分は直接本文に評論を付け足しておられますし、エピソードの順番を入れ替える理由もなんら示されていません。順番を入れ替える理由は何ですか? 私は単純な意味でも年代順に記すべきだし、戦前のバイアス(検閲など)の点からもやはり年代順が妥当だと思いますが。--ロンドル 2010年1月23日 (土) 11:07 (UTC)

あらあら。否定しないと合意なのでしょうか?否定しないと賛成に入るのですか?またマイルールですか?それじゃ、皆さん困ってしまいますよ。「合意」とは合意の「意思表示」が必要です。私は反対ですよ。もう少し人の記載を考慮して編集しましょうよ。除去して都合の悪い部分?を隠せばいいってもんじゃありません。--PSIA 2010年1月27日 (水) 11:41 (UTC)
はい、否定しないと賛成であり合意であると受け取るのが普通です。マイルールを持ち込んでいるのはあなたのほうですよ。質問の部分もまたも無視ですか。理由も示さないまま差し戻さないでください。--ロンドル 2010年1月28日 (木) 15:15 (UTC)
マイルールでないのならば、WIKIPEDIAにおいて賛成や反対の意思表示を1回しなかったら「賛成」となる根拠をご提示ください。提示できないのならばマイルールでしかなかったということでしょいう。しかもその後に私は明確に反対しているのですから、合意なき編集をとりあえずRVすべきではないでしょうか。個人的には私の修正文を受け入れるならば百歩譲って合意ということですが、それすら同意しないのならば、一度もとに戻すべきです。--PSIA 2010年2月3日 (水) 11:39 (UTC)
wikipediaに基づいても何も、それ以前の一般常識として当たり前のことじゃないですか? あなたのほうこそご自分の主張がマイルールでないというのなら、その根拠を示していただきたく思います。あと、あなたの編集(順番を入れ替える)がそもそも「合意なき編集」です。ここで私の合意を得ようともせずにあなたが勝手に編集し、しかも相変わらず編集の理由もまったくお答えになられない。にもかかわらずご自分の編集にリバートするというのは、いったいどういう了見なのでしょうか? ルールを無視しているのはあなたのほうです。--ロンドル 2010年2月5日 (金) 03:05 (UTC)

しばらくお待ちしましたが「WIKIPEDIAにおいて賛成や反対の意思表示を1回しなかったら「賛成」となる根拠」の提示ができなかったようです。残念です。つまり正式な合意がなかったのであり、ロンドル氏の勘違いの何者でもなかったわけです。また私の修正案も合意できなかったようなので、すべてが合意なき修正であったため、あなたの合意なき文案も、もとに戻させていただきます。--PSIA 2010年2月9日 (火) 17:21 (UTC)

「wikipediaのどこに書いてあるか示せ」というのは、議論に負けそうになった編集者の常套文句ですが、ごく一般的な常識範囲のことまでは、いちいちwikipediaに記載されてはいませんよ。また、合意しないのであるならば、その理由を記すことが必要です。結論のみで理由がないのでは、その反対に正当性がありません。合意しない理由の記載もぜひよろしくお願いします。
それと、あなたは相変わらず上記の私の質問に何一つ答えておられません。正直言いまして、あなたのそういう議論姿勢・編集姿勢には著しい不信感を感じます。ぜひきちんとご回答ください。ご回答がなければリバートさせていただきますし、コメント依頼よりもさらに強い対処も考えざるを得ませんので、ぜひよろしくお願いします。--ロンドル 2010年2月12日 (金) 14:59 (UTC)
マイルールでないと主張されたので、ならばルールの提示をしてくれないか?と言う当然の要請なのですが、それを「議論に負けそうになった編集者の常套文句」とは、また都合の良い解釈で困ってしまいました。あなたはマイルールでないならばルールの提示をすれば済むのです。それができなかったのであり、論破されたからと、相手の要請を「常套句」などと言って煽るべきではありません。あなたはマイルールだったとお認めになり、強がりから否定してしまったと素直に発言撤回をすれば良いのです。
さて、あなたの最後の質問とは「エピソードの順番を入れ替える理由もなんら示されていません。順番を入れ替える理由は何ですか?」のことでしょうか?ならば、最後に「一方~」と書くほうが読者の印象に残ると個人的に思っています。おそらくあなたも、そんな感覚を持っているために反対しているのでしょう。しかし白井の「殺人の撮影ができなかった」発言は2つあって文量が多いため、公平にするためにもラストに米沢の一つの発言を持ってくるべきと考えています。--PSIA 2010年2月12日 (金) 16:38 (UTC)
あのですね、私が言っているのは、あなたが「異論はありませんよ」と書き、私がそれに対して「文案に異論はないとのことでありがとうございます」と書き、それに対してあなたが何も否定しなければ、文案に合意が得られたと私が受け取るのは当然だということです。ここで問題としているのは客観的に合意が成立しているかどうかではなく、私の読解力に問題があるかのような極めて失礼な書き方をあなたがなさっておられるので、問題があるのはあなたの記述力のほうではありませんか?と言っただけです。あなたの言う「否定しない(無回答である)からといって合意したとはいえない」「否定しないからといって賛成したとはいえない」というのもマイルールなのではありませんか? それともwikipediaのどこかにそう書いてあるのでしょうか? はなはだ一般常識から懸け離れたご意見のように思うのですが。私が問題としているのは、前記のとおり、あなたは私の質問に答えない部分が多い上に、私には文案を求めながら、ご自身は事前にここで諮ることなく本文に評論を付け足したり、エピソードの順番を入れ替えたりしていることです。あなたのそういう議論姿勢・編集姿勢に著しい不信感を感じざるを得ないのです。
「一方」という言葉の使用についてはWikipedia:避けたい言葉#しかしながら・しかし (However) などに中立的な例として示されています。文量の多さは印象の強さとは必ずしも比例しませんし、年代順に記すのが最も公平かつ一般的であり、戦前のバイアス(検閲など)の点も考慮が必要で、逆の順番にするのならば相当強い理由が必要です。
それと、文案に合意しない理由の記載もよろしくお願いします。--ロンドル 2010年2月13日 (土) 12:37 (UTC)
ん?あなたの文案は強い理由は必要なく、私の文案は強い理由が必要なんですか?そもそも「一方が」が中立的ならば、あなたはそんなに必死に反対することはないじゃないですか。中立なんですから。反対理由は何なんのでしょうか?また、文案に合意しない理由は何度も申してますが削除が多すぎるということです(差分)。--PSIA 2010年2月13日 (土) 16:08 (UTC)

「一方」という言葉の使用は並列で中立的な書き方であるとともに、順番に関しては特に理由がない限り年代順に記すのが普通であり(さらに検閲など戦前のバイアスの点も考慮が必要)、それをわざわざ逆の順番にするのならば強い理由が必要だ、と言っているのです。屁理屈や曲解はおやめください。

また、ノート:南京 (戦線後方記録映画)#「舞台裏」の節についてに書いたとおり、記事の記述は記録映画『南京』に言及したものに限るべきだ、ということは以前にも書いたはずです。記録映画『南京』の項目にもかかわらず、記録映画『南京』に言及していない記述が多すぎるので、削除量も多くなるのは仕方がありません。

ついでだから、PSIAさんが今までお答えになっていない質問をもう1度聞いておきましょう。

①私が追加した評論というのはどこですか?と聞いたのにもかかわらず、あなたはそれに対して何も答えず、自力で見つけた私が、あなたの回答がなかったこと、私には文案を要求しながら自分はいきなり本文に記載したことに不満を表明しても、やはり何も答えていません。なぜ私の質問に答えないのですか?

②同様に、あなたは私にはエピソードの節の文案を要求しながら、自分は事前にここで諮ることなくエピソードの節を編集し、事後報告でもなんら編集理由を示していません。それに対して私が抗議・質問しても、3度まで無視し、4度目でようやく答えました。なぜすぐに答えられなかったのですか? また、私にはここでエピソードの文案を示すことを要求しながら、なぜあなた自身は事前にここで諮ることなくエピソードの節を編集するのですか?

以上の質問にきちんとお答えください。--ロンドル 2010年2月14日 (日) 15:12 (UTC)

上記①に関連することとして今気づいたのですが、リバートする際に、評論の節は自分の記述のみを残し私の記述を全て削除しているんですね。驚きを禁じえません。peace系が行うような明らかな問題行為です。厳重に抗議します。--ロンドル 2010年2月14日 (日) 15:33 (UTC)

えっとまず、「順番に関しては特に理由がない限り年代順に記すのが普通」
この発言の根拠を求めます。どこでそれが「普通」になったのか?根拠が出せない場合は、屁理屈や個人的考えの押し付けであり、あなたの文案にも「強い理由」はなく、私の文案のみに「強い理由」を求めた行為の釈明をしていただきたい。
そもそもあなたは二次資料を優先して記載すべきとずっと主張している人ですよね。ならば二次資料を絡めた白井の発言を優先して先に書くべきでしょうに[5]。二重基準とならないことを願います。
また、記録映画『南京』に直接言及したものでなくとも、記録映画当時の事柄を補足することに何ら問題はなく、それが記事の発展というものではないでしょうか。読者も幅広く当時の状況が理解でき、この記録映画を深く知ることができます。少なくとも直接的にも間接的にも関係があるかないかの判断は難しく、あなたが個人で決めることではありません。
①の質問について。現在は「舞台裏」の節について揉めているため議論をしています。第三者の「評論」についての議論をしておりません。「舞台裏」の節について議論しているからといって他の話題の編集を規制することはできないでしょう。「評論」の節を記載し、それに異論があるならば、これについてもどうするか?の議論が始まるのです。あなたから反対があり「書き直せ!」と申し出があったら私もノートに文案を出したでしょう(もしくは納得しないあなたに私が文案を求めたかもしれません)。しかし「評論」についてあなたは反対どころか一生懸命加筆しているようで、特に異論はないようですね。反対者がいた場合、文案なり議論が必要になるのでしょうよ。まさかあなたは、まだ反対者もいない内容について文案をすべて出してから本文に記載しろという主張ではないですよね?屁理屈もいい加減にしていただきたいところです。
②について。合意がないものを合意があったとあなたのマイルールによって言い張り、合意のない文案を本文に記載されてしまったので、微修正したのみです。しっかりとした合意があって文案は本文に記載できるのですから、あなたのようにフライングして行動してしまうと本文での編集合戦になってしまうという良い例ですね。微修正すら納得されなかったあなたには驚きましたが。ま、編集合戦はお互い気をつけましょうよ。
『リバートする際に、評論の節は自分の記述のみを残し私の記述を全て削除している』とはどこのことを仰っているのでしょう?一方的に喚かれましてもしっかり具体的に話していただけないと支離滅裂で理解できません。またあなたは自身に都合の悪い相手をなんでも「peace」っぽいなどとし、議論や編集を有利にしようとする癖がありますが、未だに治っていないようです。あなたは私を無期限ブロック者とレッテルを貼りリバートするというミスをしましたよね。ご覧のとおり私は無期限ブロック者ではないのでブロックは受けておりません。あなたは途中で私へのレッテル貼りでのリバートは無理と判断してお止めになりましたが、レッテルを貼られた私には、まだ謝罪がありませんし、あなたのそのような編集姿勢には疑問を感じております。まずは私への謝罪を求めます。相手が無期限ブロック者と認定されてから初めて「無期限ブロック者の編集だから」との理由でリバートができるということは今回で理解はされたのでしょうか?--PSIA 2010年2月16日 (火) 13:26 (UTC)
順番について特に強い理由がない限り年代順に記すのは、議論するまでもない一般的・常識的なことだと思うんですが。そうでないというのなら逆にその根拠をお聞きしたいところです。また、なぜ「二次資料を優先して記載すべき」と主張したら「二次資料を先に書くべき」となるのかもさっぱりわかりません。まったく無関係な話だと思うのですが。それと、記録映画『南京』に関係があるかないかの判断が難しく、一編集者には決められないからこそ、記録映画『南京』に直接言及しているか否かを執筆基準にするべきだと言っているのです。直接言及しているか否かは誰にでも判断できます。あなたが仰るとおり、記録映画『南京』に関係あるかないかの判断が難しいため、何でもかんでも関係があると主張されて追加されていく恐れがあります。記録映画『南京』に直接言及しているか否かを執筆基準にするべきです。
それから、私の質問について、あなたは意図的にか無意図的にかはわかりませんが、別の回答をしています。もう1度書きます。
①について。あなたは私の質問に答えず、ずっと無視し続けましたが、それはなぜですか? ②について。あなたは私が抗議・質問しても、3度まで無視し、4度目でようやく答えました。なぜすぐに答えられなかったのですか?
なお、②については、私は合意したと思ったから文案と置き換えたのです。それをあなたは「単純にリバートするのもアレなんで」という意味不明の理由で、(リバートではなく)事前にここで諮ることなくエピソードの節の順番を入れ替えました。私は合意したと勘違いしたから文案と置き換えましたが、あなたは合意を諮ろうともせず編集理由も示さず編集しました(その後、リバートしたのはあなたが合意も諮らず編集を強行したからです)。さて、もう1度お聞きします。私にはここでエピソードの文案を示すことを要求しながら、なぜあなた自身は事前にここで諮ることなくエピソードの節を編集したのですか?
また、評論の節で自分の記述のみを残し私の記述を全て削除しているというのはここです。このような行為は非常に問題です。このような行為はおやめください。なお、あなたがpeace系だと言っているのではなく、このような行為はpeace系がやるくらいの問題行為だと言いたかったのですが、誤解させる表現でした。その点についてはお詫びいたします。申し訳ありませんでした。--ロンドル 2010年2月20日 (土) 06:13 (UTC)

ではあなたの発言に対し細かくお答えていきましょう。

順番について特に強い理由がない限り年代順に記すのは、議論するまでもない一般的・常識的なことだと思う

「順番に関しては特に理由がない限り年代順に記すのが普通」との主張は、やはり根拠のない感想文でしたか。あなたの主張は根拠のない個人的感想文だったということですね。これでは相手へ「順番に関しては特に理由がない限り年代順に記すのが普通」として書き方の拘束はできません。

なぜ「二次資料を優先して記載すべき」と主張したら「二次資料を先に書くべき」となるのかもさっぱりわかりません。

えーと、「優先」の日本語の意味は理解していますか?大辞泉他のものより先に扱うこと」ですよ?二次資料(第三者の評価・後年のもの)と一次資料(当時)があるならば二次資料を先に書く。コレが「優先」というものです。勉強してください。どうも、あなたからは都合の良い二重基準見えて仕方がない。

記録映画『南京』に直接言及しているか否かを執筆基準にするべきです。

あなたの考えは理解しました。しかしそれを「すべきか否か」の合意はまだ得られていません。これはあなたの個人的主張であり、個人的考えから強引に編集することはできません。記事の発展を阻害する行為ともなり得ますので、しっかり合意を得て行動してください。私の考えは背景が理解できるならば広く記載しておけば良いというものです。

①の再質問について。質問を無視したつもりはありません。話の流れで飛んだだけでしょう(そんな重要な質問には見えないのですが、答えが欲しくてずっと待っていたのならば申し訳ない)。しかし「質問」に執着していたわりには、私の答えた内容についてまったく反応がなかったので驚きました。「異論者が出てはじめて文案を出す必要性が出る」という答えは理解していただけたのでしょうか?あなたの要求により相手が質問に答えてくれたのですから、内容についての返答をしましょう。相手にばかり「質問に答えろ!」の要求をするならば自分もしっかり内容について答えましょう。正論を言われて答えることができずに意図不明な再質問をしたということではないことを祈ります。

②について。文案とは合意があって本文に書けるものです。文案をノートに出したからと言って合意がないのでは、出していないのも同然です。私の文案要求は合意を得ろということですから、合意のない文案を本文に出されてしまっては、こちらも緊急対処で微修正せざるを得なくなってしまうということです。フライングはやめて合意をしっかり得ましょう。

評論の節で自分の記述のみを残し私の記述を全て削除している」とのことですが、合意ない文案をあなたが本文に記載したため、あなたが本文をいじる前のふりだしに戻したまでですが?[6]何を仰っているのか、意味不明です。また、あなたは相手に質問の回答を要求し続けるわりに、私の質問に明確に答えていただけていないので、もう一度お聞きします。相手が無期限ブロック者と認定されてから初めて「無期限ブロック者の編集だから」との理由でリバートができるということは今回で理解はされたのでしょうか?--PSIA 2010年2月22日 (月) 06:24 (UTC)

>「順番に関しては特に理由がない限り年代順に記すのが普通」との主張は、やはり根拠のない感想文でしたか。
あのですね。前にも書きましたがwikipediaにはごく一般的な常識の範疇に属するような事柄を事細かに説明されているわけではありません。特に理由がない限り、年代順に記述するのが文章の自然な流れであることは自明のことです。戦前のバイアスの問題についても、あなたはさっぱりお答えになりませんね。あなたの編集は、文章の順番を入れ替えただけでなく、後述のようにその理由も示さないままの編集ですし、文章にも非常に恣意的なものを感じざるを得ません。
>二次資料(第三者の評価・後年のもの)と一次資料(当時)があるならば二次資料を先に書く。コレが「優先」というものです。
これまた屁理屈ですね。本気でそう思ってらっしゃるんでしょうか? 「二次資料を優先して記載すべき」とは、記載するかしないかの話であって、記載する文章の順番の話ではありません。私がいつ文章の順番を先にすべきなどと主張したのでしょうか。あまりの支離滅裂ぶりに、少々うんざりします。
>しかしそれを「すべきか否か」の合意はまだ得られていません。これはあなたの個人的主張であり、個人的考えから強引に編集することはできません。記事の発展を阻害する行為ともなり得ますので、しっかり合意を得て行動してください。
誰が合意したなどと言っているのですか? 私はそんなこと言っていませんが? 私は記録映画「南京」の執筆基準についての私の意見を説明しているだけです。しっかり話の流れと文章の趣旨を理解してください。
①②の質問についてですが、相変わらずあなたは私の質問を理解していません。①②共に私が聞いているのは「なぜ私の質問に答えなかったのか?」です。以前から私は、あなたは私の質問に答えないことが多く、あなたのそういう議論姿勢に著しい不信感を感じざるを得ない、と指摘してきました。文案の合意についてもそうでしたし、ここここここについてもそうでした。「話の流れで飛んだだけ」とのことですが、そのようなことがそう度々起こるものでしょうか? もしそうなのだとしたら、文案の合意のごとき最重要事項を、話の流れで飛ばしてしまうあなたのコミュニケーション能力には著しい問題があると言わざるを得ない。なお、②についてですが、あなたが合意していないのならあなたはリバートという行為をとるべきです。「緊急対処で微修正」など、まったく理由になっていません。この点についても、もう1度聞きます。あなたはリバートをせず、合意も諮らず編集理由も示さないまま、エピソードの節の順番を入れ替える編集をしました。それはなぜですか?
あなたが評論の節で自分の記述のみを残し私の記述を全て削除している件ですが、ここで議論しているのは舞台裏(エピソード)の節についてです。あなたが合意していないのなら、舞台裏の節のみリバートすればよろしい。評論の節までリバートするのは明らかに問題です。なぜこんな簡単なことがわからないのでしょうか?
最後に、「相手が無期限ブロック者と認定されてから初めて「無期限ブロック者の編集だから」との理由でリバートができるということは今回で理解はされたのでしょうか?」については、私の誤りでした。申し訳ありません。--ロンドル 2010年2月27日 (土) 16:59 (UTC)

年代順に記述するのが文章の自然な流れであることは自明のことです。

ですから、研究者や評論家などの評論・見解を年代の古いものから順に文章を書いていくことが「普通」のことならば、その根拠を提示してくれといっています。未だ感想文を述べられているようですが、あなたの常識を相手に押し付けないようにしてください。WIKIPEDIAは共同作業の場なので、相手に何かを規制・説得しようとするならば根拠を出して語らねばなりません。あなたの独自感想文は必要ないのです。根拠が出せないのならば、あなたは自身の記載文には「強い理由」がないにもかかわらず、私の記載文のみに「強い理由」を求めたという自己中心的な編集姿勢であったことになってしまいませんか?なぜ自身の編集も根拠がない(強い理由がない)中で相手へのみ「強い理由」を求めたのか?お答えください。お願いですから持論で相手を縛ろうとする編集姿勢を直していただけませんか?「反対がなければ賛成だ」「年代順が常識なんだ」「これが普通だ!」などなど根拠のない持論で相手を規制・説得しようとする意味不明な言動が多すぎます。「常識」「普通」等は、それをはかることが難しいのです。相手が困ってしまいますので、感覚ではなくて、もっと理論的に話してくださいませんか?

記載するかしないかの話であって、記載する文章の順番の話ではありません。

あなたは「二次資料を『優先』しろ」と主張する。そしてその『優先』とは、順番の先後の話ではなくて、記載するか否かのことだと言う。ん?ということは、あなたはやはり一次資料を消して二次資料のみにするという主張なのでしょうか?おかしいですね。あなたは白井の一次資料も文案に入れ、且つ本文に記載をする行動もしました。この現状からして、てっきり一次資料と二次資料の同時記載時の順番の話をしているものと思っていましたが、二次資料があったら一次資料は消し去れという主張なんですか?再びあなたの主張と行動の矛盾が発生してしまいました。あなたがもし「二次資料を『優先』しろ!(二次資料のみにして一次資料を消すのだ)」という主張ならば繰り返しお聞きしてますが「その根拠は何なのか?」明確にお願いします。また感想でしょうか?方針上、一次資料を消し去らなければならない条文はございません。むしろ「信頼できる出版元から公刊されている」一次資料は使ってOKとなっております(Wikipedia:信頼できる情報源#情報源)。やはりあなたの主張がよくわからない(こちらの突っ込みによって都合よく変化しているように見える)ので、「記事をどうしたいのか?」はっきり詳細に教えていただけませんか?また、一次資料と二次資料を同時に本文に載せる場合はどちらの順番を『優先』させるべきとお考えですか?お答えください(一次資料であろうがなかろうが古いもの順に書いていくべきという主張なのですか?)。

誰が合意したなどと言っているのですか?私はそんなこと言っていませんが?私は記録映画「南京」の執筆基準についての私の意見を説明しているだけです。

仰る通り、あなたの「意見」でしかなく未だその合意はないという事実と、合意を得てから行動しましょうという方針にのっとった確認をしたまでなのですが、誰があなたが合意したと言ったなどと言ったのですが?私はそんなこと言っていませんが?しっかり文章の趣旨を理解してください。

①②の再々質問について。

あなたの貼ったリンク先にある、私がどのあたりで「東京朝日新聞の記事は信頼できない情報源だ」とか「一次情報源は信頼できない情報源だ」などと書きましたでしょうか?  との質問に私が答えていないとのことですが、私が「(それらしい一文をあなたは書いているが)あなたの主張はそうではないのか?」と確認したところ、あなたは相手がそう思っても仕方がない一文を書いたことをお認めになりましたよね[7]。はて、私が質問に答えていないというのはどういうことでしょうか?私が答えていたからこそ、あなたのこの発言が引き出されたのではないのでしょうか?都合の良い部分のみリンクをし「質問に答えていない」とはどういうことでしょうか?お答えください。確かに話の流れで飛んでしまい、細かな質問にすべて答えられない場面もあったかもしれません。しかしそれはあなたも同じであり、私が何度も根拠を求めても、根拠があるのかないのかをはっきりと答えず言い訳に終始したり、現在も前回の私の質問や回答[8][9]を数多く回答せずに返信をしている[10][11]ことは一目瞭然ですよね。一方的に相手へ「コミュニケーション能力に著しい問題がある」などと発言する議論姿勢に疑問を感じます。コレが言いたいがために質問内容やその回答に触れずに「なぜ質問に答えなかったのか」のみに終始しているのでしょうか?この質問の意図・目的は何なのか?お答えください。また、あなたが執着していた質問に相手が応えているのですから、細かくひとつずつ、納得したものがあるならば納得したとしっかり応えていただきたい。(安心してください。私は質問や回答内容に答えていただければ、それを放置して「なぜ回答や質問に答えなかったのか」と相手を責めたい一心に無駄に繰り返す行為はしませんから)。質問しっぱなしは相手へ失礼です。お待ちしています。

もし相手が質問に答えず「これは答えて欲しい」という重要な質問があるならば繰り返し聞き、相手に答えてもらえば良いだけではないでしょうか(あなたの場合は「答えないならどうでもいい」と言えてしまうレベルの質問だったようですが[12])。

あなたはリバートをせず、合意も諮らず編集理由も示さないまま、エピソードの節の順番を入れ替える編集をしました。それはなぜですか?

簡単なことです。単純なリバートは編集合戦が起こりえる。微修正による編集で相手が特に異論がなければ、そこで終了する。そう考えたまでです。リバートは基本的に荒らしの対応以外は「すべきではないもの」ですからね。お読みください。編集内容について不満を感じる場合は、差し戻しや除去をするのではなく、記事内容を改善してみましょうHelp:以前の版にページを戻す方法#差し戻しを行う前に)。 合意していないのならあなたはリバートという行為をとるべきです。 というあなたの発言は正しくないことを理解していただけたか、お答えください。リバートはできることなら避けるべきものです。合意のない文章を本文に記載された緊急対処として合意なき修正をしました。合意がないと荒れてしまう一例でしたね。お互いに合意を得て行動しましょう。

評論の節までリバートするのは明らかに問題です。なぜこんな簡単なことがわからないのでしょうか?

簡単なようで難しい。自己判断で一部だけ残して戻すと問題が出る可能性もある。「簡単」などと思って行動する人間は荒れる原因をつくるのではないでしょうか。あくまで変にいじらず、あなたの合意なき編集をする前の版に単純に戻すことが私の意識を加えずに公平なものだと判断したまでです。

私の誤りでした。申し訳ありません。

理解していただいたようで、安心いたしました。--PSIA 2010年2月28日 (日) 19:18 (UTC)修正--PSIA 2010年2月28日 (日) 19:58 (UTC)

ロンドルさん。かなり待ちましたが回答がいただけませんでした。相手へ「質問に答えない人」「質問に答えろ」として「コミュニケーション能力に問題」と暴言とも取れる発言までしていた方が、コメント依頼による静観を演出して相手からの指摘・質問は無視するという態度は、いかがなものでしょうかね?--PSIA 2010年3月8日 (月) 11:25 (UTC)

私事が忙しかったもので返答が遅れて大変失礼いたしました。ただ、一般の社会人は週一の編集が限界で他に用事があれば2週間ほど編集ができない場合もあると思うのですが……。コメント依頼は、われわれ二人だけの議論となってしまっているので、第三者からの意見もいただきたいというもので特に問題はないと思うんですが?
まず最初に私の基本意見をもう1度書きましょう。私の基本意見は、「舞台裏」の節は記録映画『南京』に言及した二次資料によって記述する、というものでした。しかしそれに基づいた文案について、あなたは記述を削りすぎだと言われました。そこで合意を図るために妥協して記述を一部復帰させることにしたのですが、元の文には「記録映画『南京』に言及した一次資料」と「記録映画『南京』に言及していない二次資料」しかなかったため、後者より前者のほうが望ましいと考え、前者(「南京」撮影日誌)を追加したわけです。なお、白井茂の一次資料は文案に含まれていません。白井の一次資料を引用した二次資料は文案に含まれていますが。また、一次資料と二次資料を同時に本文に載せる場合は次に記すように、一次・二次関係なく年代順とすべきです。
年代順というのは恣意的な順番になる恐れがなく中立的な書き方となります(まぁ、アイウエオ順とかもありますが、どう考えても一般的ではありませんね)。また、状況によって順番を変更する必要性もありません(あなたの主張では記述量が変わったら順番を変更しなければならなくなります)。そもそも年代順じゃなくてもよいのなら、「織田信長」の記事で、信長の死から書き出し年代をさかのぼっていくような書き方も可ということになります。こんな一般常識に属することをいちいち説明させないでいただきたい。屁理屈もいい加減にしていただきたいと思います。
「私がどのあたりで「東京朝日新聞の記事は信頼できない情報源だ」とか「一次情報源は信頼できない情報源だ」などと書きましたでしょうか?」という私の質問にあなたは答えていません(「もういい」と言ったのは、3回にわたって聞きながらあなたが答えないため、「答えない」というのがあなたの答えなんだろうと解釈したためですが、そんな対応をするべきではありませんでしたね。あなたが答えるまで何十回でも聞くべきでした。ついでなんで上記の質問にも改めて答えてください)。その前後の流れを詳しく言うと、あなたが「信頼できる情報源・信頼できない情報源」と「一次・二次情報源」を混同した発言をしていたため、私はそれを指摘した上で私が問題としているのは「一次・二次」であって「信頼できる・信頼できない」ではないと書いたところ、信頼できる情報源にリンクしておきながら失笑ものとあなたが仰ったため、では私が上記のように「信頼できる情報源」を問題とした部分があるのなら、はっきりと具体的に指摘していただきたい、と書いたわけです。それに対してあなたが持ち出したのは私の主張は「一次資料は削除すべし」というものではないのか?という質問で、それに対して私は一次・二次ばかりに言及して、記録映画『南京』に言及したものに限るという主張については十分に触れていなかったことを認めましたが、これはまったく別の話題です。また、①②ともに何度も書いているように私が聞いたのは、「なぜ何度も質問しているのに答えないのか?」です(あなたが答えている部分は、自分で探し出すか、少々の不満を持ちながらも納得したか、質問を数度繰り返した末に答えをいただいたのでもう結構です)。上記の質問にしても何度も繰り返し聞いていますが、あなたはまったく答えないか、数回にわたって聞いてようやく答えています。1度なら話の流れで飛ぶこともあるかもしれませんが、2度聞かれれば質問されているのがわかるはずです。また、逆に私が答えていない質問というのは具体的にどのあたりなんでしょうか? 私はすべてに答えていると思うのですが?
>単純なリバートは編集合戦が起こりえる。微修正による編集で相手が特に異論がなければ、そこで終了する。そう考えたまでです。リバートは基本的に荒らしの対応以外は「すべきではないもの」ですからね。
あれ? あなたは南京事件ではリバートしまくってませんでしたっけ? ならば私も文案など提出せずにいきなり編集すべきでしたかね? 確かにリバートはなるべく避けるべきものではありますが、この場合はノートでの合意に達していなかった(が、合意に達したと誤解して編集した)という事情なのだから例外たりうる場合だと思うのですけどね。あなたの「微修正」は編集理由もまったく示されていませんから、「合意なき修正」というより「合意を図る手順すらない修正」です。
>簡単なようで難しい。自己判断で一部だけ残して戻すと問題が出る可能性もある。「簡単」などと思って行動する人間は荒れる原因をつくるのではないでしょうか。あくまで変にいじらず、あなたの合意なき編集をする前の版に単純に戻すことが私の意識を加えずに公平なものだと判断したまでです。
もはや支離滅裂ですね。まったく理由になっていません。「舞台裏」の節が議題となっているのですから、その節以外まで戻すほうがよほど問題です。--ロンドル 2010年3月8日 (月) 14:43 (UTC)

ただ、一般の社会人は週一の編集が限界で他に用事があれば2週間ほど編集ができない場合もあると思うのですが……。

いや、あなたはwikipediaに出現されていましたからね。議論となっていることらを優先すべきはずですが、なぜ放置しているのかなという素朴な疑問です。

一次・二次関係なく年代順とすべきです

あなたの考えは理解しました、しかし「本人や研究者、評論家などの評論・見解」を年代の古いものから順に文章を書いていくことが「普通」のことならば、その根拠を提示してくれとお願いしましたが、1週間たっても「普通」を示す根拠の提示はなかったようです。

自身の常識を押し付け、根拠を提示できなかったあなたは、自身の記載文には「強い理由」がないにもかかわらず、私の記載文のみに「強い理由」を求めたということになりますよね。 全体的にWikipediaの記事を見ても、文章を出典(本人や研究者、評論家などの評論・見解)の年代順どおりとなっている例はあまりみられません。話の内容や年代の羅列ならば年代順は一般的かもしれませんがね。二次資料を「優先」しろという主張ならば、一次資料と二次資料の同時に記載時は順番においても二次資料を「優先」すべきなのではないでしょうか?主張に一貫性がないように見えます。

「織田信長」の記事で、信長の死から書き出し年代をさかのぼっていくような書き方も可ということになります。

いいえ。現在議論している部分は年代に関わる内容の文を記載しているわけではなく、出典(研究者や評論家などの評論・見解)の年代の先後の話ですから、正確に状況を捉えて例を出しましょう。出典の年代の話をしているのですから、それを認識してください。文の内容とごちゃごちゃにしないように。

私がどのあたりで「東京朝日新聞の記事は信頼できない情報源だ」とか「一次情報源は信頼できない情報源だ」などと書きましたでしょうか?」という私の質問にあなたは答えていません

すでに応えておりますし、あなたもはそれに反応していることは前述したとおりです。「もういい」「ついで」と言えるレベルの質問に答えたくはないですが、もう一度はっきりと答えましょう。あなたの仰る発言は直接的にあなたは発言はしていないが、一次資料が多い記事において、冒頭での ①「舞台裏」の節は、新たな「信頼できる二次情報源」を使用して記述しなおす。 との提案は、「一次資料は信頼できないもので基づくべきでなく、除去しようとする発言」に見えるが違うのか?ということです。ちなみにwikipedia上、「一次・二次」と「信頼できる・信頼できない」を切って語るのはナンセンスです。一次・二次資料について「Wikipedia:信頼できる情報源」に説明が存在している通り、一次・二次資料が信頼できる情報源か否かが重要であり、信頼できない資料(独自研究)は「(その資料に)基づくべきではない(記載するべきではない)」としているため、Wikipedia上で「一次・二次」と「信頼できる・信頼できない」を分けて語っていると言ってしまうと、何を語るつもりなのか不明となってしまいます。あなたは「一次資料は信頼できない情報源だから記載すべきではない(だから除去して二次資料を優先する)」という主張だったのではないのですか?wikipedia上で「一次・二次」と「信頼できる・信頼できない」分けて何を主張されてきたというのでしょうか?あなたの主張が意味不明になる一つのものです。確認なのですが一次情報源も「信頼できる情報源(記載できる情報源)」に入るということでよろしいのでしょうか?

私が答えていない質問というのは具体的にどのあたりなんでしょうか?   でははっきりと応えていただけていない質問・指摘を履歴から一部抜き出して羅列してみましょう。明確な回答をお待ちしています。

  1. WIKIPEDIAにおいて賛成や反対の意思表示を1回しなかったら「賛成」となる根拠をご提示ください。(感想だったのならば、根拠のない感想だったとはっきりと、そして本文に記載したことは間違えだったのかはっきりとお答えください)
  2. 「異論者が出てはじめて文案を出す必要性が出る」という答えは理解していただけたのでしょうか?まさかあなたは、まだ反対者もいない内容について文案をすべて出してから本文に記載しろという主張ではないですよね?
  3. (あなたは「二次資料を『優先』しろ」と主張する。そしてその『優先』とは、順番の先後の話ではなくて、記載するか否かのことだと言うが)ということは、あなたはやはり一次資料を消して二次資料のみにするという主張なのでしょうか?あなたがもし「二次資料を『優先』しろ!(二次資料のみにして一次資料を消すのだ)」という主張ならば繰り返しお聞きしてますが「その根拠は何なのか?」明確にお願いします。
  4. 「(研究者や評論家などの評論・見解を)年代の古いものから順に文章を書いていくことが「普通」のことならば、その根拠を提示してくれ
  5. 4の根拠が出せないのならば、あなたは自身の記載文には「強い理由」がないにもかかわらず、私の記載文のみに「強い理由」を求めたという自己中心的な編集姿勢であったことになってしまいませんか?なぜ自身の編集も根拠がない(強い理由がない)中で相手へのみ「強い理由」を求めたのか?お答えください。

あなたは南京事件ではリバートしまくってませんでしたっけ?

確かにあなたが謝罪したおかしなリバート行為(ブロック者との認定がない中で勝手な自己判断による不正なリバート行為)と、あなたの出典のない独自研究表現をリバートはしましたね。編集合戦になりましたが。あなたは強行リバートする方ですから今回はリバートではなく、こちらのアドバイスどおりに修正することが正しい行動かなと判断したまでです。あなたは相変わらずリバート対応でしたが・・・。また、編集理由を示せば合意なき文を本文に記載できるというのは大きな勘違いですので気をつけましょう。文案というものは合意があって有効になるものであり、合意のない文を強行編集してしまうことは、文案を出さない編集に等しいことです。合意していない不満な文を本文に記載されてしまった場合は、リバートではなく修正対応しろとされおり、そのとおりにしたまでです。合意がないと荒れてしまう一例でしたね。お互いにしっかりと合意を得て行動しましょう。 --PSIA 2010年3月8日 (月) 16:50 (UTC)

>あなたはwikipediaに出現されていましたからね。議論となっていることらを優先すべきはずですが、なぜ放置しているのかなという素朴な疑問です。
その間に私が記述したのはここに対するコメント依頼だけですね。そちらの記述は短時間ですみますが、ここに記述するのは遥かに時間がかかるという、きわめて単純な話です。
>全体的にWikipediaの記事を見ても、文章を出典(本人や研究者、評論家などの評論・見解)の年代順どおりとなっている例はあまりみられません。
そうでしょうか? 「一方」でつなぐような並列の事柄の記載では、ほぼ同時期のようなものならともかく年代に相当な隔たりがあれば年代順が一般的かと思いますが。ただ、織田信長の例は確かにちょっと違いましたね。すいません。あと、あなたは相変わらず戦前のバイアスの問題について何も述べていませんが、そのことについてはどうお考えなのでしょうか?
>二次資料を「優先」しろという主張ならば、一次資料と二次資料の同時に記載時は順番においても二次資料を「優先」すべきなのではないでしょうか?
申し訳ありませんが、あなたの論理はまったく理解不能です。なぜ「記載は二次資料を優先すべき」と主張したら、「記載する順序は二次資料を先にするべき」という主張になるのでしょうか? 記載の有無と記述の順序は別の話だと思いますが?
冒頭の「①「舞台裏」の節は、新たな「信頼できる二次情報源」を使用して記述しなおす」という提案は、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源にある「一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。ほとんどの一次資料となる題材は、適切に用いるための訓練が必要です。特に歴史についての主題を扱う場合がそうです。」を念頭に置いたものです。この文章では一次資料を信頼できないとは言っていないし、私自身も言っていません。「信頼できる二次資料」とは、二次資料のうち「信頼できる情報源」であるもの、という意味でしょう。逆を言えば「信頼できない二次資料」もあるということです(ついでに言えば、一次資料・三次資料にも信頼できるものもあれば信頼できないものもあるということです)。「信頼できる情報源」の中には一次資料も二次資料もありますが、上記のとおり「ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべき」なのであり、「特に歴史についての主題を扱う場合がそう」なのです。「信頼できる・信頼できない」と「一次・二次」が別物だということがお分かりになりましたか?
あなたの質問について。
  1. すでにここで答えてますね。
  2. それについてもここここですでに述べています。それは私が聞いた質問と違うと。
  3. いい加減にしてください。もう何度も何度も答えている質問ですよ。
  4. 上記で回答済み。
  5. 上記で回答済み。
私が指摘したあなたによる南京事件のリバートとは、あなたが合意内容が自らの認識と違っていたと主張したときのことです。あなたはそのときは執拗にリバートを繰り返していたのに、なぜここでは同様に合意していないと主張しながらリバートをしないのか? あちらでのリバートについては、ノート:南京事件にも書きましたがいったん合意が成立しているのに、あなたがリバートした上で議論を再開しようとしたためです。それとも南京事件のリバート行為は誤っていたとお認めになっているのでしょうか? それと、編集理由を示さなかったことについても相変わらず返答がありませんね。あと、「ならば私も文案など提出せずにいきなり編集すべきでしたかね?」は単なる皮肉ですので、本気に受け取らないように。
節が長大になって読み込みが遅くなり使いにくくなったので節を改め、合意を目指すためにそこで新たな文案を示します。--ロンドル 2010年3月15日 (月) 13:37 (UTC)


「一方」でつなぐような並列の事柄の記載では、ほぼ同時期のようなものならともかく年代に相当な隔たりがあれば年代順が一般的

すいません、回答になっていません。「普通」「一般的」の根拠をずっと聞いてます。お願いですから「ない」ならば、自身の記載文には「強い理由」がないにもかかわらず、私の記載文のみに「強い理由」を求めたということについての説明なり釈明を求めます。「本人や研究者、評論家などの評論・見解(出典)」を年代の古いものから順に文章を書いていくことが「一般的」「普通」の根拠をお願いします。

戦前のバイアスの問題

白井、米沢の発言が「戦前のバイアス」がかかっていたのか否か、私には証拠を提示できません。白井の発言も一次資料のまま記載されている中で、一方のみ「戦前のバイアス」がかかっていると主張されるのであれば、その確実な根拠をお待ちしております。是非あなたには「強い理由」があったことをお示しください。

記載の有無と記述の順序は別の話だと思いますが?

「二次資料を優先すべき」と主張するならば「同時記載時」も「優先」させる主張が一貫性があるというものでしょう。「優先(先に扱うこと)」の日本語を理解してください。意味を間違えて使用したのならば、そういっていただければけっこうです。

一次資料・三次資料にも信頼できるものもあれば信頼できないものもあるということです

なるほど。一次資料にも信頼できる情報源もあるとの考えであり、あなたが一次資料だからとして除外しようとしていないことは理解し、安心いたしました。確かに、あなたが提示する草案(Wikipedia:信頼できる情報源#情報源)にも「信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態」の一次資料はOKとされていますからね。

質問1について

答えになっておりません。状況の説明ではなく、賛成や反対の意思表示を1回しなかったら「賛成」となる根拠を聞いています。ご提示ください。(根拠を聞いているのですから、yesかnoでまずお答えください。そして同意とあなたが考えたことは勘違いだったのか、はっきりとお示しください。)

質問2について

また答えになっていません。あなたは内容をスルーしています。なぜ答えられないのでしょう?改めて質問します。「異論者が出てはじめて文案を出す必要性が出る」という答えは理解していただけたのでしょうか?まさかあなたは、まだ反対者もいない内容について文案をすべて出してから本文に記載しろという主張ではないですよね?

質問3について

では、より具体的に。あなたは「一次資料」には信頼できるもの、できないものがあるというが、現在本文にある一次資料はどちらなのでしょうか? 「信頼できず除去すべき」という主張なのでしょうか?もしそうならば確実な方針上の根拠を教えてください。

4の質問について

根拠を聞いていますので「一般的」「普通」とする根拠を提示してください。

5の質問について

4の根拠がないならば「強い理由」を相手へのみ求めた説明が見当たりませんので、改めてお願いします。

信頼できる二次資料に頼るべき

その草案の「頼るべき」という言葉を、あなたがどのように扱っているのか知りませんが、「頼れ」ばいいのでは?その草案でも、また方針やガイドラインでも新聞出典、また一次資料を消さねばならないとする記載はなく、むしろ書けとなっているのですから。

Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料 ウィキペディアにある記事は全て、既に発表されている一次資料や二次資料に基づいていなければなりません。なお、現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は、もちろん強く奨励されています。そうした記述は「独自の研究」には当たりません。—それは「情報源に基づいた調査」であり、百科事典の執筆の基本です。

南京事件でのリバートについて

南京事件でリバートしたから、こちらでも「しろ」とでも仰るのでしょうか?あなたのようなリバート一辺倒も脳がないなと判断し、差し戻しや除去をするのではなく、記事内容を改善してみましょうHelp:以前の版にページを戻す方法#差し戻しを行う前に)に従って行動したまでで、同じようにリバートしないのはおかしいなどと言われても困ります。編集理由を示さなかったことはまずかったですね。「合意なき文が掲載されたため緊急修正。二次資料を『優先』させる書き方とする」と要約欄にでも書いておけば良かったと後悔しております。

新たな文案については、意見がぶつかっている部分をそのままにし、自伝『カメラと人生』(ユニ通信社、1983年、138ページ)はどこいっちゃったんでしょーか。一次資料の引用をしておきながら、二次資料のように見せかけて孫引きするかのような方法はいかがなものかと。--PSIA 2010年3月16日 (火) 05:45 (UTC)

あなたの質問はまたもすでに答えたものばかりです。これまでの議論をよく読み返してください。「優先」の意味についても間違えているのはあなたのほうです。わかっていないのか、わかっていてあえて屁理屈を押し通しているのか知りませんが、いい加減にしてください。なお、白井の発言は戦後になされたものなので、「戦前のバイアス」は当然ながらかかっていません。また一次資料ではなく、それが引用された二次資料の記述なのでまったく問題はありません。--ロンドル 2010年3月17日 (水) 15:50 (UTC)
返答するならば、質問に明確にお答えください。都合の良い部分のみ回答するのは(回答にもなっていないが)お止めください。また私は「優先」という言葉について辞書を持って根拠を提示して説明しています。意味が違うならば、根拠を持って説明してください(新質問Ⅰ)。米沢の発言が「戦前のバイアスがかかっている」という明確な根拠を聞いているのですが、またも回答が意味不明です。お答えください。白井の発言は戦後になされたものならば、「戦後のバイアス」がかかっていると、あなたのように根拠なく感想文を言ってみて良いですか?孫引きについては「問題がある」とまではいいませんが、引用して二次資料で解説している内容ならばまだしも、一次資料のままの記載であり、いかがなものなのでしょうかね。主張を誤魔化す恥ずかしい行為を、よくもまぁ堂々とするもんだな、という感想です。ともかく私の前回の質問に一つずつ明確にお答えください。--PSIA 2010年3月22日 (月) 16:01 (UTC)
丸一週間、回答をお待ちしていたことを提示しておきます。--PSIA 2010年3月29日 (月) 06:20 (UTC)
すでに答えたものを繰り返しはいたしません。もう1度言いますが、これまでの議論をよくお読み返しください。また、あなたの引用している辞書には、あなたの言っているようなことは書いていません。ある文を、文章の前のほうに持ってくることを「優先する」などとは表現しません。苦し紛れの屁理屈はいい加減にされますように。また、「南京撮影日誌」は、戦前(戦中)の著作物ですから、戦前(戦中)のバイアスがかかっている恐れがあるため慎重に取り扱わねばならない、と言っているのです(「戦後のバイアス」って何ですか?)。また、同じ記述であっても二次資料に掲載されているものならば、必要な精査がなされているので、まったく問題はありません。
なお、新年度から忙しくなるため、議論に継続的に参加することが困難となります。残念かつ申し訳ないのですが、議論の行く末については、残った方(といってもPSIAさんだけのようですが)にお任せいたします。どうぞ、ご自由になさってください。なお、記述が現状のままになると前提して、記述を一部のみ修正させていただきます(修正する部分について、くわしくは次節「新しい文案」に書いておきます)。--ロンドル 2010年3月29日 (月) 16:52 (UTC)
また都合の良い部分だけ答えるという「質問のつまみ食い」をしていますね。質問のつまみ食いの一つに「辞書」について、そんな意味はないと仰っていますが、では、同時記載の場合の「優先」とはどんな意味となるというのか?根拠を持ってお答えください(あなたの感想でなくお願いします)追加質問A。「戦後のバイアス」とはなんでしょうね。いわゆる戦後史観・自虐史観といわれるものかもしれませんね。あなたの「戦前のバイアス」と同じように意味不明なものであり、またそのバイアスがかかっているかどうか証明することはできませんよね。バイアスがかかってるかもしれないからどうのこうのなどと独自研究なこといわれても困るんですよ。バイアスがかかっていると主張し、相手に編集を規制するならば、まずバイアスがかかっている証拠を提示してから語ってください。ズレタ回答をして誤魔化さないでいただきたい。まあ、とにかくコチラの質問に明確に誠意を持ってひとつずつお答えください。最後の発言は議論を投げたと判断いたします。(回答を待っていることを提示した瞬間、回答するというのは、本当はずっといるような気がするのですが違うのでしょうかね)--PSIA 2010年4月8日 (木) 04:10 (UTC)

新たな文案

新たな文案です。本文についてはできるだけそのまま残し、一方で脚注をスリム化することにより記述量を削減しました。

== エピソード ==

  • 南京陥落は1937年12月13日とされているが、『南京』撮影班にとってその日は南京に入る前日であり、敗残兵の暴行の話を聞き、機材が略奪されることを恐れていた[1]。南京に入った翌14日は、南京城北部の掃討中[2]であり、撮影班は掃討と思しき激しい銃声を聞いている[3]。さらに翌15日から城内の撮影が開始され、訪れた挹江門(ゆうこうもん)の付近ではまだ掃討が行われていた[4]。同じ15日の南京城内ではすでに露天商が営業していたことが写真で伝えられている[5]。16日には撮影班は紫金山麓、郊外遊園地である中山陵と付近の音楽堂を撮影しているが、その際には犬が悠々と歩いていたことが記録されている[6]。12月23日には陶錫三委員長の下、南京自治委員会が設立され、治安はかなり回復したことが報告されている[7][8](写真)
  • 戦死した日本兵が戦友の手で火葬にされる場面では、火葬にされる生々しい音が同時録音で捉えられたが、現在残っているプリントではその部分は欠落している[9]。彼らの在りし日の姿を偲ぶと称して戦闘の再現場面も挿入されており[10]、城壁をよじ登り日章旗を立てるシーンを再現してもらって撮影がされた[11]。12月17日には日本軍による南京入城式が撮影され、そのフィルムは天覧に供するため直ちに空輸されている[12]。同時録音がされた入城式の場面は、はじめから天覧に供することが決まっていたという[13]。また、撮影班は映像に残されているように南京の避難民が非常に哀れであった状態を目の当たりにし、その場における優しい日本兵の対応も見ている[14]。水道設備の建設風景[15]や中国人捕虜に対する施療風景も撮影された[16][17]
  • 日中戦争中の新聞報道には、日本人カメラマンが自身も巻き込まれた接近戦で日本兵が中国兵を斬り倒す写真が掲載されているものもある[18]が、南京で行われた日本兵による中国人の殺害現場については報道関係者は恐怖感から撮影を行えない場合も多かったと言われる[19]。撮影の白井茂は、南京に到着した14日から銃殺のため処刑地の揚子江河畔に連行される長蛇の列を目撃したがカメラは廻せず、その目撃に憔悴し幾晩も悪夢にうなされたと、戦後になってから回顧録で述べている[20][21]
  • この時期には「新聞掲載事項許否判定要領」(1937年9月9日、陸軍省報道検閲係制定)に基づく陸軍の検閲制度が存在し、その検閲をパスしなければ報道・上映ができなかったと言われる[22][23]。具体的には以下のものが「掲載を許可せず」となっていた。「四 左に列記するものは掲載を許可せず (12)我軍に不利なる記事写真 (13)支那兵または支那人逮捕尋問等の記事写真中、虐待の感を与える虞(おそれ)あるもの (14)惨虐なる写真、ただし支那兵または支那人の惨虐性に関する記事は差し支えなし 五 映画は本要領に準じ検閲するものとす」[24]。だが現場では、日本人・中国人の区別なく死体は不許可であるとの認識しかなかったという証言もあり[25]、また、南京陥落の報道が早くなされて実際の陥落前に国内で祝賀行事が行われたことから、実際の検閲が甘かったとする意見もある[26]。なお当時の南京には日本の新聞記者やカメラマンが約120人も占領と同時に入城して取材にあたっていた[27]が、『南京』映画撮影班は軍特務部撮影班であったため新聞社ニュース班の撮れないところでも自由な撮影が許されたと製作事務の米沢は記している[28]。一方、撮影の白井は、見たもの全部を撮ったわけではなく撮ったものにも切られたものがあると、戦後になってから回顧録で述べている[29]

== 脚注 ==

  1. ^ 米沢秋吉「南京 撮影日誌」 『映画と演芸』15巻3号、1938年 所収、12月13日
  2. ^ 東京朝日新聞』1937年12月15日付朝刊二面
  3. ^ 米沢「南京 撮影日誌」
  4. ^ 米沢、12月15日
  5. ^ 鈴木明『「南京大虐殺」のまぼろし』文春文庫、1983年11月 ISBN 4167197022
  6. ^ 米沢、12月16日
  7. ^ 英国紙THE TIMES(タイムズ), Dec. 24 1937, Nanking's New Rulers/Autonomous Commission Set Up
  8. ^ “ブリタニカ国際年鑑 1938年版(Encyclopaedia Britannica Book of The Year 1938)”
  9. ^ 藤井仁子「上海・南京・北京―東宝文化映画部〈大陸都市三部作〉の地政学」  岩本憲児・編『日本映画史叢書② 映画と「大東亜共栄圏」』森話社、2004年 所収、114ページ
  10. ^ 藤井、114ページ
  11. ^ 土本典昭「亀井文夫・『上海』から『戦ふ兵隊』まで」 『講座日本映画5 戦後映画の展開』岩波書店、1987年 所収、331ページ
  12. ^ 米沢、「南京 撮影日誌」
  13. ^ 藤井、113ページ
  14. ^ 米沢、12月24日
  15. ^ 米沢、12月31日
  16. ^ 米沢、1月2日
  17. ^ 『東京朝日新聞』1938年2月23日付朝刊二面「新映画評 南京」
  18. ^ 『支那事変写真帖』読売新聞社、1938年
  19. ^ 佐藤振壽「従軍とは歩くこと」『南京戦史資料集Ⅱ』偕行社、1993年
  20. ^ 土本、330-331ページ
  21. ^ 佐藤真『ドキュメンタリー映画の地平(上)』凱風社、2001年、171-172ページ
  22. ^ 南京事件調査研究会・編『南京大虐殺否定論13のウソ』柏書房、1999年
  23. ^ 笠原十九司『南京事件論争史』平凡社新書、2007年
  24. ^ 『不許可写真1』毎日新聞社、1998年
  25. ^ 『不許可写真1』
  26. ^ 北村稔『「百人斬り訴訟」裁判記録集』 ISBN 978-4886563095
  27. ^ 田中正明『「南京事件」の総括』 ISBN 978-4094060027
  28. ^ 米沢、「南京 撮影日誌」
  29. ^ 藤井、115ページ

--ロンドル 2010年3月15日 (月) 14:14 (UTC)修正--ロンドル 2010年3月17日 (水) 15:53 (UTC)

新年度から忙しくなるため、議論に継続的に参加することが困難となります。残念かつ申し訳ないのですが、議論の行く末については、残った方にお任せいたします。どうぞご自由になさってください。なお、記述が現状のままになると前提して、記述を以下の二点のみ修正させていただきます。
  • 白井の発言部分の出典を一次資料から二次資料に切り替え。
  • 独自研究と思われる部分に要出典付与。
--ロンドル 2010年3月29日 (月) 17:00 (UTC)