雑煮を食って、書斎に引き取ると、しばらくして三四人来た。いずれも若い男である。そのうちの一人がフロックを着ている。着なれないせいか、メルトンに対して妙に遠慮する傾きがある。あとのものは皆和服で、かつ不断着のままだからとんと正月らしくない。この連中がフロックを眺めて、やあ――やあと一ツずつ云った。みんな驚いた証拠である。自分も一番あとで、やあと云った。
フロックは白い手巾を出して、用もない顔を拭いた。そうして、しきりに屠蘇を飲んだ。ほかの連中も大いに膳のものを突ついている。ところへ虚子が車で来た。これは黒い羽織に黒い紋付を着て、極めて旧式にきまっている。あなたは黒紋付を持っていますが、やはり能をやるからその必要があるんでしょうと聞いたら、虚子が、ええそうですと答えた。そうして、一つ謡いませんかと云い出した。自分は謡ってもようござんすと応じた。
それから二人して東北と云うものを謡った。よほど以前に習っただけで、ほとんど復習と云う事をやらないから、ところどころはなはだ曖昧である。その上、我ながら覚束ない声が出た。ようやく謡ってしまうと、聞いていた若い連中が、申し合せたように自分をまずいと云い出した。中にもフロックは、あなたの声はひょろひょろしていると云った。この連中は元来謡のうの字も心得ないもの共である。だから虚子と自分の優劣はとても分らないだろうと思っていた。しかし、批評をされて見ると、素人でも理の当然なところだからやむをえない。馬鹿を云えという勇気も出なかった。
すると虚子が近来鼓を習っているという話しを始めた。謡のうの字も知らない連中が、一つ打って御覧なさい、是非御聞かせなさいと所望している。虚子は自分に、じゃ、あなた謡って下さいと依頼した。これは囃の何物たるを知らない自分にとっては、迷惑でもあったが、また斬新という興味もあった。謡いましょうと引き受けた。虚子は車夫を走らして鼓を取り寄せた。鼓がくると、台所から七輪を持って来さして、かんかんいう炭火の上で鼓の皮を焙り始めた。みんな驚いて見ている。自分もこの猛烈な焙りかたには驚いた。大丈夫ですかと尋ねたら、ええ大丈夫ですと答えながら、指の先で張切った皮の上をかんと弾いた。ちょっと好い音がした。もういいでしょうと、七輪からおろして、鼓の緒を締めにかかった。紋服の男が、赤い緒をいじくっているところが何となく品が好い。今度はみんな感心して見ている。
虚子はやがて羽織を脱いだ。そうして鼓を抱い込んだ。自分は少し待ってくれと頼んだ。第一彼がどこいらで鼓を打つか見当がつかないからちょっと打ち合せをしたい。虚子は、ここで掛声をいくつかけて、ここで鼓をどう打つから、おやりなさいと懇に説明してくれた。自分にはとても呑み込めない。けれども合点の行くまで研究していれば、二三時間はかかる。やむをえず、好い加減に領承した。そこで羽衣の曲を謡い出した。春霞たなびきにけりと半行ほど来るうちに、どうも出が好くなかったと後悔し始めた。はなはだ無勢力である。けれども途中から急に振るい出しては、総体の調子が崩れるから、萎靡因循のまま、少し押して行くと、虚子がやにわに大きな掛声をかけて、鼓をかんと一つ打った。
自分は虚子がこう猛烈に来ようとは夢にも予期していなかった。元来が優美な悠長なものとばかり考えていた掛声は、まるで真剣勝負のそれのように自分の鼓膜を動かした。自分の謡はこの掛声で二三度波を打った。それがようやく静まりかけた時に、虚子がまた腹いっぱいに横合から威嚇した。自分の声は威嚇されるたびによろよろする。そうして小さくなる。しばらくすると聞いているものがくすくす笑い出した。自分も内心から馬鹿馬鹿しくなった。その時フロックが真先に立って、どっと吹き出した。自分も調子につれて、いっしょに吹き出した。
それからさんざんな批評を受けた。中にもフロックのはもっとも皮肉であった。虚子は微笑しながら、仕方なしに自分の鼓に、自分の謡を合せて、めでたく謡い納めた。やがて、まだ廻らなければならない所があると云って車に乗って帰って行った。あとからまたいろいろ若いものに冷かされた。細君までいっしょになって夫を貶した末、高浜さんが鼓を御打ちなさる時、襦袢の袖がぴらぴら見えたが、大変好い色だったと賞めている。フロックはたちまち賛成した。自分は虚子の襦袢の袖の色も、袖の色のぴらぴらするところもけっして好いとは思わない。
木戸を開けて表へ出ると、大きな馬の足迹の中に雨がいっぱい湛っていた。土を踏むと泥の音が蹠裏へ飛びついて来る。踵を上げるのが痛いくらいに思われた。手桶を右の手に提げているので、足の抜き差に都合が悪い。際どく踏み応える時には、腰から上で調子を取るために、手に持ったものを放り出したくなる。やがて手桶の尻をどっさと泥の底に据えてしまった。危く倒れるところを手桶の柄に乗し懸って向うを見ると、叔父さんは一間ばかり前にいた。蓑を着た肩の後から、三角に張った網の底がぶら下がっている。この時被った笠が少し動いた。笠のなかからひどい路だと云ったように聞えた。蓑の影はやがて雨に吹かれた。
石橋の上に立って下を見ると、黒い水が草の間から推されて来る。不断は黒節の上を三寸とは超えない底に、長い藻が、うつらうつらと揺いて、見ても奇麗な流れであるのに、今日は底から濁った。下から泥を吹き上げる、上から雨が叩く、真中を渦が重なり合って通る。しばらくこの渦を見守っていた叔父さんは、口の内で、
「獲れる」と云った。
二人は橋を渡って、すぐ左へ切れた。渦は青い田の中をうねうねと延びて行く。どこまで押して行くか分らない流れの迹を跟けて一町ほど来た。そうして広い田の中にたった二人淋しく立った。雨ばかり見える。叔父さんは笠の中から空を仰いだ。空は茶壺の葢のように暗く封じられている。そのどこからか、隙間なく雨が落ちる。立っていると、ざあっと云う音がする。これは身に着けた笠と蓑にあたる音である。それから四方の田にあたる音である。向うに見える貴王の森にあたる音も遠くから交って来るらしい。
森の上には、黒い雲が杉の梢に呼び寄せられて奥深く重なり合っている。それが自然の重みでだらりと上の方から下って来る。雲の足は今杉の頭に絡みついた。もう少しすると、森の中へ落ちそうだ。
気がついて足元を見ると、渦は限なく水上から流れて来る。貴王様の裏の池の水が、あの雲に襲われたものだろう。渦の形が急に勢いづいたように見える。叔父さんはまた捲く渦を見守って、
「獲れる」とさも何物をか取ったように云った。やがて蓑を着たまま水の中に下りた。勢いの凄じい割には、さほど深くもない。立って腰まで浸るくらいである。叔父さんは河の真中に腰を据えて、貴王の森を正面に、川上に向って、肩に担いだ網をおろした。
二人は雨の音の中にじっとして、まともに押して来る渦の恰好を眺めていた。魚がこの渦の下を、貴王の池から流されて通るに違いない。うまくかかれば大きなのが獲れると、一心に凄い水の色を見つめていた。水は固より濁っている。上皮の動く具合だけで、どんなものが、水の底を流れるか全く分りかねる。それでも瞬もせずに、水際まで浸った叔父さんの手首の動くのを待っていた。けれどもそれがなかなかに動かない。
雨脚はしだいに黒くなる。河の色はだんだん重くなる。渦の紋は劇しく水上から回って来る。この時どす黒い波が鋭く眼の前を通り過そうとする中に、ちらりと色の変った模様が見えた。瞬を容さぬとっさの光を受けたその模様には長さの感じがあった。これは大きな鰻だなと思った。
途端に流れに逆らって、網の柄を握っていた叔父さんの右の手首が、蓑の下から肩の上まで弾ね返るように動いた。続いて長いものが叔父さんの手を離れた。それが暗い雨のふりしきる中に、重たい縄のような曲線を描いて、向うの土手の上に落ちた。と思うと、草の中からむくりと鎌首を一尺ばかり持上げた。そうして持上げたまま屹と二人を見た。
「覚えていろ」
声はたしかに叔父さんの声であった。同時に鎌首は草の中に消えた。叔父さんは蒼い顔をして、蛇を投げた所を見ている。
「叔父さん、今、覚えていろと云ったのはあなたですか」
叔父さんはようやくこっちを向いた。そうして低い声で、誰だかよく分らないと答えた。今でも叔父にこの話をするたびに、誰だかよく分らないと答えては妙な顔をする。
寝ようと思って次の間へ出ると、炬燵の臭がぷんとした。厠の帰りに、火が強過ぎるようだから、気をつけなくてはいけないと妻に注意して、自分の部屋へ引取った。もう十一時を過ぎている。床の中の夢は常のごとく安らかであった。寒い割に風も吹かず、半鐘の音も耳に応えなかった。熟睡が時の世界を盛り潰したように正体を失った。
すると忽然として、女の泣声で眼が覚めた。聞けばもよと云う下女の声である。この下女は驚いて狼狽えるといつでも泣声を出す。この間家の赤ん坊を湯に入れた時、赤ん坊が湯気に上って、引きつけたといって五分ばかり泣声を出した。自分がこの下女の異様な声を聞いたのは、それが始めてである。啜り上げるようにして早口に物を云う。訴えるような、口説くような、詫を入れるような、情人の死を悲しむような――とうてい普通の驚愕の場合に出る、鋭くって短い感投詞の調子ではない。
自分は今云う通りこの異様の声で、眼が覚めた。声はたしかに妻の寝ている、次の部屋から出る。同時に襖を洩れて赤い火がさっと暗い書斎に射した。今開ける瞼の裏に、この光が届くや否や自分は火事だと合点して飛び起きた。そうして、突然隔ての唐紙をがらりと開けた。
その時自分は顛覆返った炬燵を想像していた。焦げた蒲団を想像していた。漲ぎる煙と、燃える畳とを想像していた。ところが開けて見ると、洋灯は例のごとく点っている。妻と子供は常の通り寝ている。炬燵は宵の位地にちゃんとある。すべてが、寝る前に見た時と同じである。平和である。暖かである。ただ下女だけが泣いている。
下女は妻の蒲団の裾を抑えるようにして早口に物を云う。妻は眼を覚まして、ぱちぱちさせるばかりで別に起きる様子もない。自分は何事が起ったのかほとんど判じかねて、敷居際に突立ったまま、ぼんやり部屋の中を見回した。途端に下女の泣声のうちに、泥棒という二字が出た。それが自分の耳に這入るや否や、すべてが解決されたように自分はたちまち妻の部屋を大股に横切って、次の間に飛び出しながら、何だ――と怒鳴りつけた。けれども飛び出した次の部屋は真暗である。続く台所の雨戸が一枚外れて、美しい月の光が部屋の入口まで射し込んでいる。自分は真夜中に人の住居の奥を照らす月影を見て、おのずから寒いと感じた。素足のまま板の間へ出て台所の流元まで来て見ると、四辺は寂としている。表を覗くと月ばかりである。自分は、戸口から一歩も外へ出る気にならなかった。
引き返して、妻の所へ来て、泥棒は逃げた、安心しろ、何も窃られやしない、と云った。妻はこの時ようやく起き上っていた。何も云わずに洋灯を持って暗い部屋まで出て来て、箪笥の前に翳した。観音開きが取り外されている。抽斗が明けたままになっている。妻は自分の顔を見て、やっぱり窃られたんですと云った。自分もようやく泥棒が窃った後で逃げたんだと気がついた。何だか急に馬鹿馬鹿しくなった。片方を見ると、泣いて起しに来た下女の蒲団が取ってある。その枕元にもう一つ箪笥がある。その箪笥の上にまた用箪笥が乗っている。暮の事なので医者の薬礼その他がこの内に這入っているのだそうだ。妻に調べさせるとこっちの方は元の通りだと云う。下女が泣いて縁側の方から飛び出したので、泥棒もやむをえず仕事の中途で逃げたのかも知れない。
そのうち、ほかの部屋に寝ていたものもみんな起きて来た。そうしてみんないろいろな事を云う。もう少し前に小用に起きたのにとか、今夜は寝つかれないで、二時頃までは眼が冴えていたのにとか、ことごとく残念そうである。そのなかで、十になる長女は、泥棒が台所から這入ったのも、泥棒がみしみし縁側を歩いたのも、すっかり知っていると云った。あらまあとお房さんが驚いている。お房さんは十八で、長女と同じ部屋に寝る親類の娘である。自分はまた床へ這入って寝た。
明くる日はこの騒動で、例よりは少し遅く起きた。顔を洗って、朝食をやっていると、台所で下女が泥棒の足痕を見つけたとか、見つけないとか騒いでいる。面倒だから書斎へ引き取った。引き取って十分も経ったかと思うと、玄関で頼むと云う声がした。勇ましい声である。台所の方へ通じないようだから、自分で取次に出て見たら、巡査が格子の前に立っていた。泥棒が這入ったそうですねと笑っている。戸締りは好くしてあったのですかと聞くから、いや、どうもあまり好くありませんと答えた。じゃ仕方がない、締りが悪いとどこからでも這入りますよ、一枚一枚雨戸へ釘を差さなくちゃいけませんと注意する。自分ははあはあと返事をしておいた。この巡査に遇ってから、悪いものは、泥棒じゃなくって、不取締な主人であるような心持になった。
巡査は台所へ廻った。そこで妻を捉まえて、紛失した物を手帳に書き付けている。繻珍の丸帯が一本ですね、――丸帯と云うのは何ですか、丸帯と書いておけば解るですか、そう、それでは繻珍の丸帯が一本と、それから……
下女がにやにや笑っている。この巡査は丸帯も腹合せもいっこう知らない。すこぶる単簡な面白い巡査である。やがて紛失の目録を十点ばかり書き上げてその下に価格を記入して、すると〆て百五十円になりますねと念を押して帰って行った。
自分はこの時始めて、何を窃られたかを明瞭に知った。失くなったものは十点、ことごとく帯である。昨夜這入ったのは帯泥棒であった。御正月を眼前に控えた妻は異な顔をしている。子供が三箇日にも着物を着換える事ができないのだそうだ。仕方がない。
昼過には刑事が来た。座敷へ上っていろいろ見ている。桶の中に蝋燭でも立てて仕事をしやしないかと云って、台所の小桶まで検べていた。まあ御茶でもおあがんなさいと云って、日当りの好い茶の間へ坐らせて話をした。
泥棒はたいてい下谷、浅草辺から電車でやって来て、明くる日の朝また電車で帰るのだそうだ。たいていは捉まらないものだそうだ。捉まえると刑事の方が損になるものだそうだ。泥棒を電車に乗せると電車賃が損になる。裁判に出ると、弁当代が損になる。機密費は警視庁が半分取ってしまうのだそうだ。余りを各警察へ割りふるのだそうだ。牛込には刑事がたった三四人しかいないのだそうだ――警察の力ならたいていの事はできる者と信じていた自分は、はなはだ心細い気がした。話をして聞かせる刑事も心細い顔をしていた。
出入のものを呼んで戸締りを直そうと思ったら生憎、暮で用が立て込んでいて来られない。そのうちに夜になった。仕方がないから、元の通りにしておいて寝る。みんな気味が悪そうである。自分もけっして好い心持ではない。泥棒は各自勝手に取締るべきものであると警察から宣告されたと一般だからである。
それでも昨日の今日だから、まあ大丈夫だろうと、気を楽に持って枕に就いた。するとまた夜中に妻から起された。さっきから、台所の方ががたがた云っている。気味がわるいから起きて見て下さいと云う。なるほどがたがたいう。妻はもう泥棒が這入ったような顔をしている。
自分はそっと床を出た。忍び足に妻の部屋を横切って、隔ての襖の傍までくると、次の間では下女が鼾をかいている。自分はできるだけ静かに襖を開けた。そうして、真暗な部屋の中に一人立った。ごとりごとりと云う音がする。たしかに台所の入口である。暗いなかを影の動くように三歩ほど音のする方へ近くと、もう部屋の出口である。障子が立っている。そとはすぐ板敷になる。自分は障子に身を寄せて、暗がりで耳を立てた。やがて、ごとりと云った。しばらくしてまたごとりと云った。自分はこの怪しい音を約四五遍聞いた。そうして、これは板敷の左にある、戸棚の奥から出るに違ないという事をたしかめた。たちまち普通の歩調と、尋常の所作をして、妻の部屋へ帰って来た。鼠が何か噛っているんだ、安心しろと云うと、妻はそうですかとありがたそうな返事をした。それからは二人とも落ちついて寝てしまった。
朝になってまた顔を洗って、茶の間へ来ると、妻が鼠の噛った鰹節を、膳の前へ出して、昨夜のはこれですよと説明した。自分ははあなるほどと、一晩中無惨にやられた鰹節を眺めていた。すると妻は、あなたついでに鼠を追って、鰹節をしまって下されば好いのにと少し不平がましく云った。自分もそうすれば好かったとこの時始めて気がついた。
喜いちゃんと云う子がいる。滑らかな皮膚と、鮮かな眸を持っているが、頬の色は発育の好い世間の子供のように冴々していない。ちょっと見ると一面に黄色い心持ちがする。御母さんがあまり可愛がり過ぎて表へ遊びに出さないせいだと、出入りの女髪結が評した事がある。御母さんは束髪の流行る今の世に、昔風の髷を四日目四日目にきっと結う女で、自分の子を喜いちゃん喜いちゃんと、いつでも、ちゃん付にして呼んでいる。このお母さんの上に、また切下の御祖母さんがいて、その御祖母さんがまた喜いちゃん喜いちゃんと呼んでいる。喜いちゃん御琴の御稽古に行く時間ですよ。喜いちゃんむやみに表へ出て、そこいらの子供と遊んではいけませんなどと云っている。
喜いちゃんは、これがために滅多に表へ出て遊んだ事がない。もっとも近所はあまり上等でない。前に塩煎餅屋がある。その隣に瓦師がある。少し先へ行くと下駄の歯入と、鋳かけ錠前直しがある。ところが喜いちゃんの家は銀行の御役人である。塀のなかに松が植えてある。冬になると植木屋が来て狭い庭に枯松葉を一面に敷いて行く。
喜いちゃんは仕方がないから、学校から帰って、退屈になると、裏へ出て遊んでいる。裏は御母さんや、御祖母さんが張物をする所である。よしが洗濯をする所である。暮になると向鉢巻の男が臼を担いで来て、餅を搗く所である。それから漬菜に塩を振って樽へ詰込む所である。
喜いちゃんはここへ出て、御母さんや御祖母さんや、よしを相手にして遊んでいる。時には相手のいないのに、たった一人で出てくる事がある。その時は浅い生垣の間から、よく裏の長屋を覗き込む。
長屋は五六軒ある。生垣の下が三四尺崖になっているのだから、喜いちゃんが覗き込むと、ちょうど上から都合よく見下すようにできている。喜いちゃんは子供心に、こうして裏の長屋を見下すのが愉快なのである。造兵へ出る辰さんが肌を抜いで酒を呑んでいると、御酒を呑んでてよと御母さんに話す。大工の源坊が手斧を磨いでいると、何か磨いでてよと御祖母さんに知らせる。そのほか喧嘩をしててよ、焼芋を食べててよなどと、見下した通りを報告する。すると、よしが大きな声を出して笑う。御母さんも、御祖母さんも面白そうに笑う。喜いちゃんは、こうして笑って貰うのが一番得意なのである。
喜いちゃんが裏を覗いていると、時々源坊の倅の与吉と顔を合わす事がある。そうして、三度に一度ぐらいは話をする。けれども喜いちゃんと与吉だから、話の合う訳がない。いつでも喧嘩になってしまう。与吉がなんだ蒼ん膨れと下から云うと、喜いちゃんは上から、やあい鼻垂らし小僧、貧乏人、と軽侮ように丸い顎をしゃくって見せる。一遍は与吉が怒って下から物干竿を突き出したので、喜いちゃんは驚いて家へ逃げ込んでしまった。その次には、喜いちゃんが、毛糸で奇麗に縢った護謨毬を崖下へ落したのを、与吉が拾ってなかなか渡さなかった。御返しよ、放っておくれよ、よう、と精一杯にせっついたが与吉は毬を持ったまま、上を見て威張って突立っている。詫まれ、詫まったら返してやると云う。喜いちゃんは、誰が詫まるものか、泥棒と云ったまま、裁縫をしている御母さんの傍へ来て泣き出した。御母さんはむきになって、表向よしを取りにやると、与吉の御袋がどうも御気の毒さまと云ったぎりで毬はとうとう喜いちゃんの手に帰らなかった。
それから三日経って、喜いちゃんは大きな赤い柿を一つ持って、また裏へ出た。すると与吉が例の通り崖下へ寄って来た。喜いちゃんは生垣の間から赤い柿を出して、これ上げようかと云った。与吉は下から柿を睨めながら、なんでえ、なんでえ、そんなもの要らねえやとじっと動かずにいる。要らないの、要らなきゃ、およしなさいと、喜いちゃんは、垣根から手を引っ込めた。すると与吉は、やっぱりなんでえ、なんでえ、擲ぐるぞと云いながらなおと崖の下へ寄って来た。じゃ欲しいのと喜いちゃんはまた柿を出した。欲しいもんけえ、そんなものと与吉は大きな眼をして、見上げている。
こんな問答を四五遍繰返したあとで、喜いちゃんは、じゃ上げようと云いながら、手に持った柿をぱたりと崖の下に落した。与吉は周章て、泥の着いた柿を拾った。そうして、拾うや否や、がぶりと横に食いついた。
その時与吉の鼻の穴が震えるように動いた。厚い唇が右の方に歪んだ。そうして、食いかいた柿の一片をぺっと吐いた。そうして懸命の憎悪を眸の裏に萃めて、渋いや、こんなものと云いながら、手に持った柿を、喜いちゃんに放りつけた。柿は喜いちゃんの頭を通り越して裏の物置に当った。喜いちゃんは、やあい食辛抱と云いながら、走け出して家へ這入った。しばらくすると喜いちゃんの家で大きな笑声が聞えた。
眼が覚めたら、昨夜抱いて寝た懐炉が腹の上で冷たくなっていた。硝子戸越に、廂の外を眺めると、重い空が幅三尺ほど鉛のように見えた。胃の痛みはだいぶ除れたらしい。思い切って、床の上に起き上がると、予想よりも寒い。窓の下には昨日の雪がそのままである。
風呂場は氷でかちかち光っている。水道は凍り着いて、栓が利かない。ようやくの事で温水摩擦を済まして、茶の間で紅茶を茶碗に移していると、二つになる男の子が例の通り泣き出した。この子は一昨日も一日泣いていた。昨日も泣き続けに泣いた。妻にどうかしたのかと聞くと、どうもしたのじゃない、寒いからだと云う。仕方がない。なるほど泣き方がぐずぐずで痛くも苦しくもないようである。けれども泣くくらいだから、どこか不安な所があるのだろう。聞いていると、しまいにはこっちが不安になって来る。時によると小悪らしくなる。大きな声で叱りつけたい事もあるが、何しろ、叱るにはあまり小さ過ぎると思って、つい我慢をする。一昨日も昨日もそうであったが、今日もまた一日そうなのかと思うと、朝から心持が好くない。胃が悪いのでこの頃は朝飯を食わぬ掟にしてあるから、紅茶茶碗を持ったまま、書斎へ退いた。
火鉢に手を翳して、少し暖たまっていると、子供は向うの方でまだ泣いている。そのうち掌だけは煙が出るほど熱くなった。けれども、背中から肩へかけてはむやみに寒い。ことに足の先は冷え切って痛いくらいである。だから仕方なしにじっとしていた。少しでも手を動かすと、手がどこか冷たい所に触れる。それが刺にでも触ったほど神経に応える。首をぐるりと回してさえ、頸の付根が着物の襟にひやりと滑るのが堪えがたい感じである。自分は寒さの圧迫を四方から受けて、十畳の書斎の真中に竦んでいた。この書斎は板の間である。椅子を用いべきところを、絨氎を敷いて、普通の畳のごとくに想像して坐っている。ところが敷物が狭いので、四方とも二尺がたは、つるつるした板の間が剥き出しに光っている。じっとしてこの板の間を眺めて、竦んでいると、男の子がまだ泣いている。とても仕事をする勇気が出ない。
ところへ妻がちょっと時計を拝借と這入って来て、また雪になりましたと云う。見ると、細かいのがいつの間にか、降り出した。風もない濁った空の途中から、静かに、急がずに、冷刻に、落ちて来る。
「おい、去年、子供の病気で、煖炉を焚いた時には炭代がいくら要ったかな」
「あの時は月末に廿八円払いました」
自分は妻の答を聞いて、座敷煖炉を断念した。座敷煖炉は裏の物置に転がっているのである。
「おい、もう少し子供を静かにできないかな」
妻はやむをえないと云うような顔をした。そうして、云った。
「お政さんが御腹が痛いって、だいぶ苦しそうですから、林さんでも頼んで見て貰いましょうか」
お政さんが二三日寝ている事は知っていたがそれほど悪いとは思わなかった。早く医者を呼んだらよかろうと、こっちから促すように注意すると、妻はそうしましょうと答えて、時計を持ったまま出て行った。襖を閉てるとき、どうもこの部屋の寒い事と云った。
まだ、かじかんで仕事をする気にならない。実を云うと仕事は山ほどある。自分の原稿を一回分書かなければならない。ある未知の青年から頼まれた短篇小説を二三篇読んでおく義務がある。ある雑誌へ、ある人の作を手紙を付けて紹介する約束がある。この二三箇月中に読むはずで読めなかった書籍は机の横に堆かく積んである。この一週間ほどは仕事をしようと思って机に向うと人が来る。そうして、皆何か相談を持ち込んでくる。その上に胃が痛む。その点から云うと今日は幸いである。けれども、どう考えても、寒くて億劫で、火鉢から手を離す事ができない。
すると玄関に車を横付けにしたものがある。下女が来て長沢さんがおいでになりましたと云う。自分は火鉢の傍に竦んだまま、上眼遣をして、這入って来る長沢を見上げながら、寒くて動けないよと云った。長沢は懐中から手紙を出して、この十五日は旧の正月だから、是非都合してくれとか何とか云う手紙を読んだ。相変らず金の相談である。長沢は十二時過に帰った。けれども、まだ寒くてしようがない。いっそ湯にでも行って、元気をつけようと思って、手拭を提げて玄関へ出かかると、御免下さいと云う吉田に出っ食わした。座敷へ上げて、いろいろ身の上話を聞いていると、吉田はほろほろ涙を流して泣き出した。そのうち奥の方では医者が来て何だかごたごたしている。吉田がようやく帰ると、子供がまた泣き出した。とうとう湯に行った。
湯から上ったら始めて暖ったかになった。晴々して、家へ帰って書斎に這入ると、洋灯が点いて窓掛が下りている。火鉢には新しい切炭が活けてある。自分は座布団の上にどっかりと坐った。すると、妻が奥から寒いでしょうと云って蕎麦湯を持って来てくれた。お政さんの容体を聞くと、ことによると盲腸炎になるかも知れないんだそうですよと云う。自分は蕎麦湯を手に受けて、もし悪いようだったら、病院に入れてやるがいいと答えた。妻はそれがいいでしょうと茶の間へ引き取った。
妻が出て行ったらあとが急に静かになった。全くの雪の夜である。泣く子は幸いに寝たらしい。熱い蕎麦湯を啜りながら、あかるい洋灯の下で、継ぎ立ての切炭のぱちぱち鳴る音に耳を傾けていると、赤い火気が、囲われた灰の中で仄に揺れている。時々薄青い焔が炭の股から出る。自分はこの火の色に、始めて一日の暖味を覚えた。そうしてしだいに白くなる灰の表を五分ほど見守っていた。
始めて下宿をしたのは北の高台である。赤煉瓦の小じんまりした二階建が気に入ったので、割合に高い一週二磅の宿料を払って、裏の部屋を一間借り受けた。その時表を専領しているK氏は目下蘇格蘭巡遊中で暫くは帰らないのだと主婦の説明があった。
主婦と云うのは、眼の凹んだ、鼻のしゃくれた、顎と頬の尖った、鋭い顔の女で、ちょっと見ると、年恰好の判断ができないほど、女性を超越している。疳、僻み、意地、利かぬ気、疑惑、あらゆる弱点が、穏かな眼鼻をさんざんに弄んだ結果、こう拗ねくれた人相になったのではあるまいかと自分は考えた。
主婦は北の国に似合わしからぬ黒い髪と黒い眸をもっていた。けれども言語は普通の英吉利人と少しも違ったところがない。引き移った当日、階下から茶の案内があったので、降りて行って見ると、家族は誰もいない。北向の小さい食堂に、自分は主婦とたった二人差向いに坐った。日の当った事のないように薄暗い部屋を見回すと、マントルピースの上に淋しい水仙が活けてあった。主婦は自分に茶だの焼麺麭を勧めながら、四方山の話をした。その時何かの拍子で、生れ故郷は英吉利ではない、仏蘭西であるという事を打ち明けた。そうして黒い眼を動かして、後の硝子壜に挿してある水仙を顧りみながら、英吉利は曇っていて、寒くていけないと云った。花でもこの通り奇麗でないと教えたつもりなのだろう。
自分は肚の中でこの水仙の乏しく咲いた模様と、この女のひすばった頬の中を流れている、色の褪めた血の瀝とを比較して、遠い仏蘭西で見るべき暖かな夢を想像した。主婦の黒い髪や黒い眼の裏には、幾年の昔に消えた春の匂の空しき歴史があるのだろう。あなたは仏蘭西語を話しますかと聞いた。いいやと答えようとする舌先を遮って、二三句続け様に、滑らかな南の方の言葉を使った。こういう骨の勝った咽喉から、どうして出るだろうと思うくらい美しいアクセントであった。
その夕、晩餐の時は、頭の禿げた髯の白い老人が卓に着いた。これが私の親父ですと主婦から紹介されたので始めて主人は年寄であったんだと気がついた。この主人は妙な言葉遣をする。ちょっと聞いてもけっして英人ではない。なるほど親子して、海峡を渡って、倫敦へ落ちついたものだなと合点した。すると老人が私は独逸人であると、尋ねもせぬのに向うから名乗って出た。自分は少し見当が外れたので、そうですかと云ったきりであった。
部屋へ帰って、書物を読んでいると、妙に下の親子が気に懸ってたまらない。あの爺さんは骨張った娘と較べてどこも似た所がない。顔中は腫れ上ったように膨れている真中に、ずんぐりした肉の多い鼻が寝転んで、細い眼が二つ着いている。南亜の大統領にクルーゲルと云うのがあった。あれによく似ている。すっきりと心持よくこっちの眸に映る顔ではない。その上娘に対しての物の云い方が和気を欠いている。歯が利かなくって、もごもごしているくせに何となく調子の荒いところが見える。娘も阿爺に対するときは、険相な顔がいとど険相になるように見える。どうしても普通の親子ではない。――自分はこう考えて寝た。
翌日朝飯を食いに下りると、昨夕の親子のほかに、また一人家族が殖えている。新しく食卓に連なった人は、血色の好い、愛嬌のある、四十恰好の男である。自分は食堂の入口でこの男の顔を見た時、始めて、生気のある人間社会に住んでいるような心持ちがした。my brother と主婦がその男を自分に紹介した。やっぱり亭主では無かったのである。しかし兄弟とはどうしても受取れないくらい顔立が違っていた。
その日は中食を外でして、三時過ぎに帰って、自分の部屋へ這入ると間もなく、茶を飲みに来いと云って呼びにきた。今日も曇っている。薄暗い食堂の戸を開けると、主婦がたった一人煖炉の横に茶器を控えて坐っていた。石炭を燃してくれたので、幾分か陽気な感じがした。燃えついたばかりの燄に照らされた主婦の顔を見ると、うすく火熱った上に、心持御白粉を塗けている。自分は部屋の入り口で化粧の淋しみと云う事を、しみじみと悟った。主婦は自分の印象を見抜いたような眼遣いをした。自分が主婦から一家の事情を聞いたのはこの時である。
主婦の母は、二十五年の昔、ある仏蘭西人に嫁いで、この娘を挙げた。幾年か連れ添った後夫は死んだ。母は娘の手を引いて、再び独逸人の許に嫁いだ。その独逸人が昨夜の老人である。今では倫敦のウェスト・エンドで仕立屋の店を出して、毎日毎日そこへ通勤している。先妻の子も同じ店で働いているが、親子非常に仲が悪い。一つ家にいても、口を利いた事がない。息子は夜きっと遅く帰る。玄関で靴を脱いで足袋跣足になって、爺に知れないように廊下を通って、自分の部屋へ這入って寝てしまう。母はよほど前に失くなった。死ぬ時に自分の事をくれぐれも云いおいて死んだのだが、母の財産はみんな阿爺の手に渡って、一銭も自由にする事ができない。仕方がないから、こうして下宿をして小遣を拵えるのである。アグニスは――
主婦はそれより先を語らなかった。アグニスと云うのはここのうちに使われている十三四の女の子の名である。自分はその時今朝見た息子の顔と、アグニスとの間にどこか似たところがあるような気がした。あたかもアグニスは焼麺麭を抱えて厨から出て来た。
「アグニス、焼麺麭を食べるかい」
アグニスは黙って、一片の焼麺麭を受けてまた厨の方へ退いた。
一箇月の後自分はこの下宿を去った。
自分がこの下宿を出る二週間ほど前に、K君は蘇格蘭から帰って来た。その時自分は主婦によってK君に紹介された。二人の日本人が倫敦の山の手の、とある小さな家に偶然落ち合って、しかも、まだ互に名乗り換した事がないので、身分も、素性も、経歴も分らない外国婦人の力を藉りて、どうか何分と頭を下げたのは、考えると今もって妙な気がする。その時この老令嬢は黒い服を着ていた。骨張って膏の脱けたような手を前へ出して、Kさん、これがNさんと云ったが、全く云い切らない先に、また一本の手を相手の方へ寄せて、Nさん、これがKさんと、公平に双方を等分に引き合せた。
自分は老令嬢の態度が、いかにも、厳で、一種重要の気に充ちた形式を具えているのに、尠からず驚かされた。K君は自分の向に立って、奇麗な二重瞼の尻に皺を寄せながら、微笑を洩らしていた。自分は笑うと云わんよりはむしろ矛盾の淋しみを感じた。幽霊の媒妁で、結婚の儀式を行ったら、こんな心持ではあるまいかと、立ちながら考えた。すべてこの老令嬢の黒い影の動く所は、生気を失って、たちまち古蹟に変化するように思われる。誤ってその肉に触れれば、触れた人の血が、そこだけ冷たくなるとしか想像できない。自分は戸の外に消えてゆく女の足音に半ば頭を回らした。
老令嬢が出て行ったあとで、自分とK君はたちまち親しくなってしまった。K君の部屋は美くしい絨氎が敷いてあって、白絹の窓掛が下がっていて、立派な安楽椅子とロッキング・チェアが備えつけてある上に、小さな寝室が別に附属している。何より嬉しいのは断えず煖炉に火を焚いて、惜気もなく光った石炭を崩している事である。
これから自分はK君の部屋で、K君と二人で茶を飲むことにした。昼はよく近所の料理店へいっしょに出かけた。勘定は必ずK君が払ってくれた。K君は何でも築港の調査に来ているとか云って、だいぶ金を持っていた。家にいると、海老茶の繻子に花鳥の刺繍のあるドレッシング・ガウンを着て、はなはだ愉快そうであった。これに反して自分は日本を出たままの着物がだいぶ汚れて、見共ない始末であった。K君はあまりだと云って新調の費用を貸してくれた。
二週間の間K君と自分とはいろいろな事を話した。K君が、今に慶応内閣を作るんだと云った事がある。慶応年間に生れたものだけで内閣を作るから慶応内閣と云うんだそうである。自分に、君はいつの生れかと聞くから慶応三年だと答えたら、それじゃ、閣員の資格があると笑っていた。K君はたしか慶応二年か元年生れだと覚えている。自分はもう一年の事で、K君と共に枢機に参する権利を失うところであった。
こんな面白い話をしている間に、時々下の家族が噂に上る事があった。するとK君はいつでも眉をひそめて、首を振っていた。アグニスと云う小さい女が一番可愛想だと云っていた。アグニスは朝になると石炭をK君の部屋に持って来る。昼過には茶とバタと麺麭を持って来る。だまって持って来て、だまって置いて帰る。いつ見ても蒼褪めた顔をして、大きな潤のある眼でちょっと挨拶をするだけである。影のようにあらわれては影のように下りて行く。かつて足音のした試しがない。
ある時自分は、不愉快だから、この家を出ようと思うとK君に告げた。K君は賛成して、自分はこうして調査のため方々飛び歩いている身体だから、構わないが、君などは、もっとコンフォタブルな所へ落ち着いて勉強したらよかろうと云う注意をした。その時K君は地中海の向側へ渡るんだと云って、しきりに旅装をととのえていた。
自分が下宿を出るとき、老令嬢は切に思いとまるようにと頼んだ。下宿料は負ける、K君のいない間は、あの部屋を使っても構わないとまで云ったが、自分はとうとう南の方へ移ってしまった。同時にK君も遠くへ行ってしまった。
二三箇月してから、突然K君の手紙に接した。旅から帰って来た。当分ここにいるから遊びに来いと書いてあった。すぐ行きたかったけれども、いろいろ都合があって、北の果まで推しかける時間がなかった。一週間ほどして、イスリントンまで行く用事ができたのを幸いに、帰りにK君の所へ回って見た。
表二階の窓から、例の羽二重の窓掛が引き絞ったまま硝子に映っている。自分は暖かい煖炉と、海老茶の繻子の刺繍と、安楽椅子と、快活なK君の旅行談を予想して、勇んで、門を入って、階段を駆け上るように敲子をとんとんと打った。戸の向側に足音がしないから、通じないのかと思って、再び敲子に手を掛けようとする途端に、戸が自然と開いた。自分は敷居から一歩なかへ足を踏み込んだ。そうして、詫びるように自分をじっと見上げているアグニスと顔を合わした。その時この三箇月ほど忘れていた、過去の下宿の匂が、狭い廊下の真中で、自分の嗅覚を、稲妻の閃めくごとく、刺激した。その匂のうちには、黒い髪と黒い眼と、クルーゲルのような顔と、アグニスに似た息子と、息子の影のようなアグニスと、彼らの間に蟠まる秘密を、一度にいっせいに含んでいた。自分はこの匂を嗅いだ時、彼らの情意、動作、言語、顔色を、あざやかに暗い地獄の裏に認めた。自分は二階へ上がってK君に逢うに堪えなかった。
早稲田へ移ってから、猫がだんだん瘠せて来た。いっこうに小供と遊ぶ気色がない。日が当ると縁側に寝ている。前足を揃えた上に、四角な顎を載せて、じっと庭の植込を眺めたまま、いつまでも動く様子が見えない。小供がいくらその傍で騒いでも、知らぬ顔をしている。小供の方でも、初めから相手にしなくなった。この猫はとても遊び仲間にできないと云わんばかりに、旧友を他人扱いにしている。小供のみではない、下女はただ三度の食を、台所の隅に置いてやるだけでそのほかには、ほとんど構いつけなかった。しかもその食はたいてい近所にいる大きな三毛猫が来て食ってしまった。猫は別に怒る様子もなかった。喧嘩をするところを見た試しもない。ただ、じっとして寝ていた。しかしその寝方にどことなく余裕がない。伸んびり楽々と身を横に、日光を領しているのと違って、動くべきせきがないために――これでは、まだ形容し足りない。懶さの度をある所まで通り越して、動かなければ淋しいが、動くとなお淋しいので、我慢して、じっと辛抱しているように見えた。その眼つきは、いつでも庭の植込を見ているが、彼れはおそらく木の葉も、幹の形も意識していなかったのだろう。青味がかった黄色い瞳子を、ぼんやり一と所に落ちつけているのみである。彼れが家の小供から存在を認められぬように、自分でも、世の中の存在を判然と認めていなかったらしい。
それでも時々は用があると見えて、外へ出て行く事がある。するといつでも近所の三毛猫から追かけられる。そうして、怖いものだから、縁側を飛び上がって、立て切ってある障子を突き破って、囲炉裏の傍まで逃げ込んで来る。家のものが、彼れの存在に気がつくのはこの時だけである。彼れもこの時に限って、自分が生きている事実を、満足に自覚するのだろう。
これが度重なるにつれて、猫の長い尻尾の毛がだんだん抜けて来た。始めはところどころがぽくぽく穴のように落ち込んで見えたが、後には赤肌に脱け広がって、見るも気の毒なほどにだらりと垂れていた。彼れは万事に疲れ果てた、体躯を圧し曲げて、しきりに痛い局部を舐め出した。
おい猫がどうかしたようだなと云うと、そうですね、やっぱり年を取ったせいでしょうと、妻は至極冷淡である。自分もそのままにして放っておいた。すると、しばらくしてから、今度は三度のものを時々吐くようになった。咽喉の所に大きな波をうたして、嚏とも、しゃくりともつかない苦しそうな音をさせる。苦しそうだけれども、やむをえないから、気がつくと表へ追い出す。でなければ畳の上でも、布団の上でも容赦なく汚す。来客の用意に拵えた八反の座布団は、おおかた彼れのために汚されてしまった。
「どうもしようがないな。腸胃が悪いんだろう、宝丹でも水に溶いて飲ましてやれ」
妻は何とも云わなかった。二三日してから、宝丹を飲ましたかと聞いたら、飲ましても駄目です、口を開きませんという答をした後で、魚の骨を食べさせると吐くんですと説明するから、じゃ食わせんが好いじゃないかと、少し嶮どんに叱りながら書見をしていた。
猫は吐気がなくなりさえすれば、依然として、おとなしく寝ている。この頃では、じっと身を竦めるようにして、自分の身を支える縁側だけが便であるという風に、いかにも切りつめた蹲踞まり方をする。眼つきも少し変って来た。始めは近い視線に、遠くのものが映るごとく、悄然たるうちに、どこか落ちつきがあったが、それがしだいに怪しく動いて来た。けれども眼の色はだんだん沈んで行く。日が落ちて微かな稲妻があらわれるような気がした。けれども放っておいた。妻も気にもかけなかったらしい。小供は無論猫のいる事さえ忘れている。
ある晩、彼は小供の寝る夜具の裾に腹這になっていたが、やがて、自分の捕った魚を取り上げられる時に出すような唸声を挙げた。この時変だなと気がついたのは自分だけである。小供はよく寝ている。妻は針仕事に余念がなかった。しばらくすると猫がまた唸った。妻はようやく針の手をやめた。自分は、どうしたんだ、夜中に小供の頭でも噛られちゃ大変だと云った。まさかと妻はまた襦袢の袖を縫い出した。猫は折々唸っていた。
明くる日は囲炉裏の縁に乗ったなり、一日唸っていた。茶を注いだり、薬缶を取ったりするのが気味が悪いようであった。が、夜になると猫の事は自分も妻もまるで忘れてしまった。猫の死んだのは実にその晩である。朝になって、下女が裏の物置に薪を出しに行った時は、もう硬くなって、古い竈の上に倒れていた。
妻はわざわざその死態を見に行った。それから今までの冷淡に引き更えて急に騒ぎ出した。出入の車夫を頼んで、四角な墓標を買って来て、何か書いてやって下さいと云う。自分は表に猫の墓と書いて、裏にこの下に稲妻起る宵あらんと認めた。車夫はこのまま、埋めても好いんですかと聞いている。まさか火葬にもできないじゃないかと下女が冷かした。
小供も急に猫を可愛がり出した。墓標の左右に硝子の罎を二つ活けて、萩の花をたくさん挿した。茶碗に水を汲んで、墓の前に置いた。花も水も毎日取り替えられた。三日目の夕方に四つになる女の子が――自分はこの時書斎の窓から見ていた。――たった一人墓の前へ来て、しばらく白木の棒を見ていたが、やがて手に持った、おもちゃの杓子をおろして、猫に供えた茶碗の水をしゃくって飲んだ。それも一度ではない。萩の花の落ちこぼれた水の瀝りは、静かな夕暮の中に、幾度か愛子の小さい咽喉を潤おした。
猫の命日には、妻がきっと一切れの鮭と、鰹節をかけた一杯の飯を墓の前に供える。今でも忘れた事がない。ただこの頃では、庭まで持って出ずに、たいていは茶の間の箪笥の上へ載せておくようである。
風が高い建物に当って、思うごとく真直に抜けられないので、急に稲妻に折れて、頭の上から、斜に舗石まで吹きおろして来る。自分は歩きながら被っていた山高帽を右の手で抑えた。前に客待の御者が一人いる。御者台から、この有様を眺めていたと見えて、自分が帽子から手を離して、姿勢を正すや否や、人指指を竪に立てた。乗らないかと云う符徴である。自分は乗らなかった。すると御者は右の手に拳骨を固めて、烈しく胸の辺を打ち出した。二三間離れて聞いていても、とんとん音がする。倫敦の御者はこうして、己れとわが手を暖めるのである。自分はふり返ってちょっとこの御者を見た。剥げ懸った堅い帽子の下から、霜に侵された厚い髪の毛が食み出している。毛布を継ぎ合せたような粗い茶の外套の背中の右にその肱を張って、肩と平行になるまで怒らしつつ、とんとん胸を敲いている。まるで一種の器械の活動するようである。自分は再び歩き出した。
道を行くものは皆追い越して行く。女でさえ後れてはいない。腰の後部でスカートを軽く撮んで、踵の高い靴が曲るかと思うくらい烈しく舗石を鳴らして急いで行く。よく見ると、どの顔もどの顔もせっぱつまっている。男は正面を見たなり、女は傍目も触らず、ひたすらにわが志す方へと一直線に走るだけである。その時の口は堅く結んでいる。眉は深く鎖している。鼻は険しく聳えていて、顔は奥行ばかり延びている。そうして、足は一文字に用のある方へ運んで行く。あたかも往来は歩くに堪えん、戸外はいるに忍びん、一刻も早く屋根の下へ身を隠さなければ、生涯の恥辱である、かのごとき態度である。
自分はのそのそ歩きながら、何となくこの都にいづらい感じがした。上を見ると、大きな空は、いつの世からか、仕切られて、切岸のごとく聳える左右の棟に余された細い帯だけが東から西へかけて長く渡っている。その帯の色は朝から鼠色であるが、しだいしだいに鳶色に変じて来た。建物は固より灰色である。それが暖かい日の光に倦み果てたように、遠慮なく両側を塞いでいる。広い土地を狭苦しい谷底の日影にして、高い太陽が届く事のできないように、二階の上に三階を重ねて、三階の上に四階を積んでしまった。小さい人はその底の一部分を、黒くなって、寒そうに往来する。自分はその黒く動くもののうちで、もっとも緩漫なる一分子である。谷へ挟まって、出端を失った風が、この底を掬うようにして通り抜ける。黒いものは網の目を洩れた雑魚のごとく四方にぱっと散って行く。鈍い自分もついにこの風に吹き散らされて、家のなかへ逃げ込んだ。
長い廻廊をぐるぐる廻って、二つ三つ階子段を上ると、弾力じかけの大きな戸がある。身躯の重みをちょっと寄せかけるや否や、音もなく、自然と身は大きなガレリーの中に滑り込んだ。眼の下は眩いほど明かである。後をふり返ると、戸はいつの間にか締って、いる所は春のように暖かい。自分はしばらくの間、瞳を慣らすために、眼をぱちぱちさせた。そうして、左右を見た。左右には人がたくさんいる。けれども、みんな静かに落ちついている。そうして顔の筋肉が残らず緩んで見える。たくさんの人がこう肩を並べているのに、いくらたくさんいても、いっこう苦にならない。ことごとく互いと互いを和げている。自分は上を見た。上は大穹窿の天井で極彩色の濃く眼に応える中に、鮮かな金箔が、胸を躍らすほどに、燦として輝いた。自分は前を見た。前は手欄で尽きている。手欄の外には何にもない。大きな穴である。自分は手欄の傍まで近寄って、短い首を伸して穴の中を覗いた。すると遥の下は、絵にかいたような小さな人で埋っていた。その数の多い割に鮮に見えた事。人の海とはこの事である。白、黒、黄、青、紫、赤、あらゆる明かな色が、大海原に起る波紋のごとく、簇然として、遠くの底に、五色の鱗を并べたほど、小さくかつ奇麗に、蠢いていた。
その時この蠢くものが、ぱっと消えて、大きな天井から、遥かの谷底まで一度に暗くなった。今まで何千となくいならんでいたものは闇の中に葬られたぎり、誰あって声を立てるものがない。あたかもこの大きな闇に、一人残らずその存在を打ち消されて、影も形もなくなったかのごとくに寂としている。と、思うと、遥かの底の、正面の一部分が四角に切り抜かれて、闇の中から浮き出したように、ぼうっといつの間にやら薄明るくなって来た。始めは、ただ闇の段取が違うだけの事と思っていると、それがしだいしだいに暗がりを離れてくる。たしかに柔かな光を受けておるなと意識できるぐらいになった時、自分は霧のような光線の奥に、不透明な色を見出す事ができた。その色は黄と紫と藍であった。やがて、そのうちの黄と紫が動き出した。自分は両眼の視神経を疲れるまで緊張して、この動くものを瞬きもせず凝視ていた。靄は眼の底からたちまち晴れ渡った。遠くの向うに、明かな日光の暖かに照り輝く海を控えて、黄な上衣を着た美しい男と、紫の袖を長く牽いた美しい女が、青草の上に、判然あらわれて来た。女が橄欖の樹の下に据えてある大理石の長椅子に腰をかけた時に、男は椅子の横手に立って、上から女を見下した。その時南から吹く温かい風に誘われて、閑和な楽の音が、細く長く、遠くの波の上を渡って来た。
穴の上も、穴の下も、一度にざわつき出した。彼らは闇の中に消えたのではなかった。闇の中で暖かな希臘を夢みていたのである。
表へ出ると、広い通りが真直に家の前を貫いている。試みにその中央に立って見廻して見たら、眼に入る家はことごとく四階で、またことごとく同じ色であった。隣も向うも区別のつきかねるくらい似寄った構造なので、今自分が出て来たのははたしてどの家であるか、二三間行過ぎて、後戻りをすると、もう分らない。不思議な町である。
昨夕は汽車の音に包まって寝た。十時過ぎには、馬の蹄と鈴の響に送られて、暗いなかを夢のように馳けた。その時美しい灯の影が、点々として何百となく眸の上を往来した。そのほかには何も見なかった。見るのは今が始めてである。
二三度この不思議な町を立ちながら、見上、見下した後、ついに左へ向いて、一町ほど来ると、四ツ角へ出た。よく覚えをしておいて、右へ曲ったら、今度は前よりも広い往来へ出た。その往来の中を馬車が幾輛となく通る。いずれも屋根に人を載せている。その馬車の色が赤であったり黄であったり、青や茶や紺であったり、仕切りなしに自分の横を追い越して向うへ行く。遠くの方を透かして見ると、どこまで五色が続いているのか分らない。ふり返れば、五色の雲のように動いて来る。どこからどこへ人を載せて行くものかしらんと立ち止まって考えていると、後から背の高い人が追い被さるように、肩のあたりを押した。避けようとする右にも背の高い人がいた。左りにもいた。肩を押した後の人は、そのまた後の人から肩を押されている。そうしてみんな黙っている。そうして自然のうちに前へ動いて行く。
自分はこの時始めて、人の海に溺れた事を自覚した。この海はどこまで広がっているか分らない。しかし広い割には極めて静かな海である。ただ出る事ができない。右を向いても痞えている。左を見ても塞がっている。後をふり返ってもいっぱいである。それで静かに前の方へ動いて行く。ただ一筋の運命よりほかに、自分を支配するものがないかのごとく、幾万の黒い頭が申し合せたように歩調を揃えて一歩ずつ前へ進んで行く。
自分は歩きながら、今出て来た家の事を想い浮べた。一様の四階建の、一様の色の、不思議な町は、何でも遠くにあるらしい。どこをどう曲って、どこをどう歩いたら帰れるか、ほとんど覚束ない気がする。よし帰れても、自分の家は見出せそうもない。その家は昨夕暗い中に暗く立っていた。
自分は心細く考えながら、背の高い群集に押されて、仕方なしに大通を二つ三つ曲がった。曲るたんびに、昨夕の暗い家とは反対の方角に遠ざかって行くような心持がした。そうして眼の疲れるほど人間のたくさんいるなかに、云うべからざる孤独を感じた。すると、だらだら坂へ出た。ここは大きな道路が五つ六つ落ち合う広場のように思われた。今まで一筋に動いて来た波は、坂の下で、いろいろな方角から寄せるのと集まって、静かに廻転し始めた。
坂の下には、大きな石刻の獅子がある。全身灰色をしておった。尾の細い割に、鬣に渦を捲いた深い頭は四斗樽ほどもあった。前足を揃えて、波を打つ群集の中に眠っていた。獅子は二ついた。下は舗石で敷きつめてある。その真中に太い銅の柱があった。自分は、静かに動く人の海の間に立って、眼を挙げて、柱の上を見た。柱は眼の届く限り高く真直に立っている。その上には大きな空が一面に見えた。高い柱はこの空を真中で突き抜いているように聳えていた。この柱の先には何があるか分らなかった。自分はまた人の波に押されて広場から、右の方の通りをいずくともなく下って行った。しばらくして、ふり返ったら、竿のような細い柱の上に、小さい人間がたった一人立っていた。
御作さんは起きるが早いか、まだ髪結は来ないか、髪結は来ないかと騒いでいる。髪結は昨夕たしかに頼んでおいた。ほかさまでございませんから、都合をして、是非九時までには上りますとの返事を聞いて、ようやく安心して寝たくらいである。柱時計を見ると、もう九時には五分しかない。どうしたんだろうと、いかにも焦れったそうなので、見兼ねた下女は、ちょっと見て参りましょうと出て行った。御作さんは及び腰になって、障子の前に取り出した鏡台を、立ちながら覗き込んで見た。そうして、わざと唇を開けて、上下とも奇麗に揃った白い歯を残らず露わした。すると時計が柱の上でボンボンと九時を打ち出した。御作さんは、すぐ立ち上って、間の襖を開けて、どうしたんですよ、あなたもう九時過ぎですよ。起きて下さらなくっちゃ、晩くなるじゃありませんかと云った。御作さんの旦那は九時を聞いて、今床の上に起き直ったところである。御作さんの顔を見るや否や、あいよと云いながら、気軽に立ち上がった。
御作さんは、すぐ台所の方へ取って返して、楊枝と歯磨と石鹸と手拭を一と纏めにして、さあ、早く行っていらっしゃい、と旦那に渡した。帰りにちょっと髯を剃って来るよと、銘仙のどてらの下へ浴衣を重ねた旦那は、沓脱へ下りた。じゃ、ちょいと御待ちなさいと、御作さんはまた奥へ駆け込んだ。その間に旦那は楊枝を使い出した。御作さんは用箪笥の抽出から小さい熨斗袋を出して、中へ銀貨を入れて、持って出た。旦那は口が利けないものだから、黙って、袋を受取って格子を跨いだ。御作さんは旦那の肩の後へ、手拭の余りがぶら下がっているのを、少しの間眺めていたが、やがて、また奥へ引込んで、ちょっと鏡台の前へ坐って、再び我が姿を映して見た。それから箪笥の抽出を半分開けて、少し首を傾けた。やがて、中から何か二三点取り出して、それを畳の上へ置いて考えた。が、せっかく取り出したものを、一つだけ残して、あとは丁寧にしまってしまった。それからまた二番目の抽出を開けた。そうしてまた考えた。御作さんは、考えたり、出したり、またはしまったりするので約三十分ほど費やした。その間も始終心配そうに柱時計を眺めていた。ようやく衣裳を揃えて、大きな欝金木綿の風呂敷にくるんで、座敷の隅に押しやると、髪結が驚いたような大きな声を出して勝手口から這入って来た。どうも遅くなってすみません、と息を喘ませて言訳を云っている。御作さんは、本当に、御忙がしいところを御気の毒さまでしたねえと、長い煙管を出して髪結に煙草を呑ました。
梳手が来ないので、髪を結うのにだいぶ暇が取れた。旦那は湯に入って、髭を剃って、やがて帰って来た。その間に、御作さんは、髪結に今日は美いちゃんを誘って、旦那に有楽座へ連れて行って貰うんだと話した。髪結はおやおや私も御伴をしたいもんだなどと、だいぶ冗談交りの御世辞を使った末、どうぞごゆっくりと帰って行った。
旦那は欝金木綿の風呂敷を、ちょっと剥って見て、これを着て行くのかい、これよりか、この間の方がお前には似合うよと云った。でも、あれは、もう暮に、美いちゃんの所へ着て行ったんですものと御作さんが答えた。そうか、じゃこれが好いだろう。おれはあっちの綿入羽織を着て行こうか、少し寒いようだねと、旦那がまた云い出すと、およしなさいよ、見っともない、一つものばかり着てと、御作さんは絣の綿入羽織を出さなかった。
やがて、御化粧が出来上って、流行の鶉縮緬の道行を着て、毛皮の襟巻をして、御作さんは旦那といっしょに表へ出た。歩きながら旦那にぶら下がるようにして話をする。四つ角まで出ると交番の所に人が大勢立っていた。御作さんは旦那の廻套の羽根を捕まえて、伸び上がりながら、群集の中を覗き込んだ。
真中に印袢天を着た男が、立つとも坐るとも片づかずに、のらくらしている。今までも泥の中へ何度も倒れたと見えて、たださえ色の変った袢天がびたびたに濡れて寒く光っている。巡査が御前は何だと云うと、呂律の回らない舌で、お、おれは人間だと威張っている。そのたんびに、みんなが、どっと笑う。御作さんも旦那の顔を見て笑った。すると酔っ払いは承知しない。怖い眼をして、あたりを見廻しながら、な、なにがおかしい。おれが人間なのが、どこがおかしい。こう見えたって、と云って、だらりと首を垂れてしまうかと思うと、突然思い出したように、人間だいと大きな声を出す。
ところへまた印袢天を着た背の高い黒い顔をした男が荷車を引いてどこからか、やって来た。人を押し分けて巡査に何か小さな声で云っていたが、やがて、酔っ払いの方を向いて、さあ、野郎連れて行ってやるから、この上へ乗れと云った。酔払いは嬉しそうな顔をして、ありがてえと云いながら荷車の上に、どさりと仰向けに寝た。明かるい空を見て、しょぼしょぼした眼を、二三度ぱちつかせたが、箆棒め、こう見えたって人間でえと云った。うん人間だ、人間だからおとなしくしているんだよと、背の高い男は藁の縄で酔払いを荷車の上へしっかり縛りつけた。そうして屠られた豚のように、がらがらと大通りを引いて行った。御作さんはやっぱり廻套の羽根を捕まえたまま、注目飾りの間を、向うへ押されて行く荷車の影を見送った。そうして、これから美いちゃんの所へ行って、美いちゃんに話す種が一つ殖えたのを喜んだ。
五六人寄って、火鉢を囲みながら話をしていると、突然一人の青年が来た。名も聞かず、会った事もない、全く未知の男である。紹介状も携えずに、取次を通じて、面会を求めるので、座敷へ招じたら、青年は大勢いる所へ、一羽の山鳥を提げて這入って来た。初対面の挨拶が済むと、その山鳥を座の真中に出して、国から届きましたからといって、それを当座の贈物にした。
その日は寒い日であった。すぐ、みんなで山鳥の羹を拵えて食った。山鳥を料る時、青年は袴ながら、台所へ立って、自分で毛を引いて、肉を割いて、骨をことことと敲いてくれた。青年は小作りの面長な質で、蒼白い額の下に、度の高そうな眼鏡を光らしていた。もっとも著るしく見えたのは、彼の近眼よりも、彼の薄黒い口髭よりも、彼の穿いていた袴であった。それは小倉織で、普通の学生には見出し得べからざるほどに、太い縞柄の派出な物であった。彼はこの袴の上に両手を載せて、自分は南部のものだと云った。
青年は一週間ほど経ってまた来た。今度は自分の作った原稿を携えていた。あまり佳くできていなかったから、遠慮なくその旨を話すと、書き直して見ましょうと云って持って帰った。帰ってから一週間の後、また原稿を懐にして来た。かようにして彼れは来るたびごとに、書いたものを何か置いて行かない事はなかった。中には三冊続きの大作さえあった。しかしそれはもっとも不出来なものであった。自分は彼れの手に成ったもののうちで、もっとも傑れたと思われるのを、一二度雑誌へ周旋した事がある。けれども、それは、ただ編輯者の御情で誌上にあらわれただけで、一銭の稿料にもならなかったらしい。自分が彼の生活難を耳にしたのはこの時である。彼はこれから文を売って口を糊するつもりだと云っていた。
或時妙なものを持って来てくれた。菊の花を乾して、薄い海苔のように一枚一枚に堅めたものである。精進の畳鰯だと云って、居合せた甲子が、さっそく浸しものに湯がいて、箸を下しながら、酒を飲んだ。それから、鈴蘭の造花を一枝持って来てくれた事もある。妹が拵えたんだと云って、指の股で、枝の心になっている針金をぐるぐる廻転さしていた。妹といっしょに家を持っている事はこの時始めて知った。兄妹して薪屋の二階を一間借りて、妹は毎日刺繍の稽古に通っているのだそうである。その次来た時には御納戸の結び目に、白い蝶を刺繍った襟飾りを、新聞紙にくるんだまま、もし御掛けなさるなら上げましょうと云って置いて行った。それを安野が私に下さいと云って取って帰った。
そのほか彼は時々来た。来るたびに自分の国の景色やら、習慣やら、伝説やら、古めかしい祭礼の模様やら、いろいろの事を話した。彼の父は漢学者であると云う事も話した。篆刻が旨いという事も話した。御祖母さんは去る大名の御屋敷に奉公していた。申の年の生れだったそうだ。大変殿様の御気に入りで、猿に縁んだものを時々下さった。その中に崋山の画いた手長猿の幅がある。今度持って来て御覧に入れましょうと云った。青年はそれぎり来なくなった。
すると春が過ぎて、夏になって、この青年の事もいつか忘れるようになった或日、――その日は日に遠い座敷の真中に、単衣を唯一枚つけて、じっと書見をしていてさえ堪えがたいほどに暑かった。――彼れは突然やって来た。
相変らず例の派出な袴を穿いて、蒼白い額ににじんだ汗をこくめいに手拭で拭いている。少し瘠せたようだ。はなはだ申し兼ねたが金を二十円貸して下さいという。実は友人が急病に罹ったから、さっそく病院へ入れたのだが、差し当り困るのは金で、いろいろ奔走もして見たが、ちょっとできない。やむをえず上がった。と説明した。
自分は書見をやめて、青年の顔をじっと見た。彼は例のごとく両手を膝の上に正しく置いたまま、どうぞと低い声で云った。あなたの友人の家はそれほど貧しいのかと聞き返したら、いやそうではない、ただ遠方で急の間に合わないから御願をする、二週間経てば、国から届くはずだからその時はすぐと御返しするという答である。自分は金の調達を引き受けた。その時彼れは風呂敷包の中から一幅の懸物を取り出して、これがせんだって御話をした崋山の軸ですと云って、紙表装の半切ものを展べて見せた。旨いのか不味いのか判然とは解らなかった。印譜をしらべて見ると、渡辺崋山にも横山華山にも似寄った落款がない。青年はこれを置いて行きますと云うから、それには及ばないと辞退したが、聞かずに預けて行った。翌日また金を取りに来た。それっきり音沙汰がない。約束の二週間が来ても影も形も見せなかった。自分は欺されたのかも知れないと思った。猿の軸は壁へ懸けたまま秋になった。
袷を着て気の緊まる時分に、長塚が例のごとく金を借してくれと云って来た。自分はそうたびたび借すのが厭であった。ふと例の青年の事を思い出して、こう云う金があるが、もし、それを君が取りに行く気なら取りに行け、取れたら貸してやろうと云うと、長塚は頭を掻いて、少し逡巡していたが、やがて思い切ったと見えて、行きましょうと答えた。それから、せんだっての金をこの者に渡してくれろという手紙を書いて、それに猿の懸物を添えて、長塚に持たせてやった。
長塚はあくる日また車でやって来た。来るや否や懐から手紙を出したから、受け取って見ると昨日自分の書いたものである。まだ封が切らずにある。行かなかったのかと聞くと、長塚は額に八の字を寄せて、行ったんですけれども、とても駄目です、惨澹たるものです、汚ない所でしてね、妻君が刺繍をしていましてね、本人が病気でしてね、――金の事なんぞ云い出せる訳のものじゃないんだから、けっして御心配には及びませんと安心させて、掛物だけ帰して来ましたと云う。自分はへええ、そうかと少し驚ろいた。
翌る日、青年から、どうも嘘言を吐いてすまなかった、軸はたしかに受取ったと云う端書が来た。自分はその端書を他の信書といっしょに重ねて、乱箱の中に入れた。そうして、また青年の事を忘れるようになった。
そのうち冬が来た。例のごとく忙しい正月を迎えた。客の来ない隙間を見て、仕事をしていると、下女が油紙に包んだ小包を持って来た。どさりと音のする丸い物である。差出人の名前は、忘れていた、いつぞやの青年である。油紙を解いて新聞紙を剥ぐと、中から一羽の山鳥が出た。手紙がついている。その後いろいろの事情があって、今国へ帰っている。御恩借の金子は三月頃上京の節是非御返しをするつもりだとある。手紙は山鳥の血で堅まって容易に剥れなかった。
その日はまた木曜で、若い人の集まる晩であった。自分はまた五六人と共に、大きな食卓を囲んで、山鳥の羹を食った。そうして、派出な小倉の袴を着けた蒼白い青年の成功を祈った。五六人の帰ったあとで、自分はこの青年に礼状を書いた。そのなかに先年の金子の件御介意に及ばずと云う一句を添えた。
井深は日曜になると、襟巻に懐手で、そこいらの古道具屋を覗き込んで歩るく。そのうちでもっとも汚ならしい、前代の廃物ばかり並んでいそうな見世を選っては、あれの、これのと捻くり廻す。固より茶人でないから、好いの悪いのが解る次第ではないが、安くて面白そうなものを、ちょいちょい買って帰るうちには、一年に一度ぐらい掘り出し物に、あたるだろうとひそかに考えている。
井深は一箇月ほど前に十五銭で鉄瓶の葢だけを買って文鎮にした。この間の日曜には二十五銭で鉄の鍔を買って、これまた文鎮にした。今日はもう少し大きい物を目懸けている。懸物でも額でもすぐ人の眼につくような、書斎の装飾が一つ欲しいと思って、見廻していると、色摺の西洋の女の画が、埃だらけになって、横に立て懸けてあった。溝の磨れた井戸車の上に、何とも知れぬ花瓶が載っていて、その中から黄色い尺八の歌口がこの画の邪魔をしている。
西洋の画はこの古道具屋に似合わない。ただその色具合が、とくに現代を超越して、上昔の空気の中に黒く埋っている。いかにもこの古道具屋にあって然るべき調子である。井深はきっと安いものだと鑑定した。聞いて見ると一円と云うのに、少し首を捻ったが、硝子も割れていないし、額縁もたしかだから、爺さんに談判して、八十銭までに負けさせた。
井深がこの半身の画像を抱いて、家へ帰ったのは、寒い日の暮方であった。薄暗い部屋へ入って、さっそく額を裸にして、壁へ立て懸けて、じっとその前へ坐り込んでいると、洋灯を持って細君がやって来た。井深は細君に灯を画の傍へ翳さして、もう一遍とっくりと八十銭の額を眺めた。総体に渋く黒ずんでいる中に、顔だけが黄ばんで見える。これも時代のせいだろう。井深は坐ったまま細君を顧みて、どうだと聞いた。細君は洋灯を翳した片手を少し上に上げて、しばらく物も言わずに黄ばんだ女の顔を眺めていたが、やがて、気味の悪い顔です事ねえと云った。井深はただ笑って、八十銭だよと答えたぎりである。
飯を食ってから、踏台をして欄間に釘を打って、買って来た額を頭の上へ掛けた。その時細君は、この女は何をするか分らない人相だ。見ていると変な心持になるから、掛けるのは廃すが好いと云ってしきりに止めたけれども、井深はなあに御前の神経だと云って聞かなかった。
細君は茶の間へ下る。井深は机に向って調べものを始めた。十分ばかりすると、ふと首を上げて、額の中が見たくなった。筆を休めて、眼を転ずると、黄色い女が、額の中で薄笑いをしている。井深はじっとその口元を見つめた。全く画工の光線のつけ方である。薄い唇が両方の端で少し反り返って、その反り返った所にちょっと凹を見せている。結んだ口をこれから開けようとするようにも取れる。または開いた口をわざと、閉じたようにも取れる。ただしなぜだか分らない。井深は変な心持がしたが、また机に向った。
調べものとは云い条、半分は写しものである。大して注意を払う必要もないので、少し経ったら、また首を挙げて画の方を見た。やはり口元に何か曰くがある。けれども非常に落ちついている。切れ長の一重瞼の中から静かな眸が座敷の下に落ちた。井深はまた机の方に向き直った。
その晩井深は何遍となくこの画を見た。そうして、どことなく細君の評が当っているような気がし出した。けれども明る日になったら、そうでもないような顔をして役所へ出勤した。四時頃家へ帰って見ると、昨夕の額は仰向けに机の上に乗せてある。午少し過に、欄間の上から突然落ちたのだという。道理で硝子がめちゃめちゃに破れている。井深は額の裏を返して見た。昨夕紐を通した環が、どうした具合か抜けている。井深はそのついでに額の裏を開けて見た。すると画と背中合せに、四つ折の西洋紙が出た。開けて見ると、印気で妙な事が書いてある。
「モナリサの唇には女性の謎がある。原始以降この謎を描き得たものはダ ヴィンチだけである。この謎を解き得たものは一人もない。」
翌日井深は役所へ行って、モナリサとは何だと云って、皆に聞いた。しかし誰も分らなかった。じゃダ ヴィンチとは何だと尋ねたが、やっぱり誰も分らなかった。井深は細君の勧に任せてこの縁喜の悪い画を、五銭で屑屋に売り払った。
息が切れたから、立ち留まって仰向くと、火の粉がもう頭の上を通る。霜を置く空の澄み切って深い中に、数を尽くして飛んで来ては卒然と消えてしまう。かと思うと、すぐあとから鮮なやつが、一面に吹かれながら、追かけながら、ちらちらしながら、熾にあらわれる。そうして不意に消えて行く。その飛んでくる方角を見ると、大きな噴水を集めたように、根が一本になって、隙間なく寒い空を染めている。二三間先に大きな寺がある。長い石段の途中に太い樅が静かな枝を夜に張って、土手から高く聳えている。火はその後から起る。黒い幹と動かぬ枝をことさらに残して、余る所は真赤である。火元はこの高い土手の上に違ない。もう一町ほど行って左へ坂を上れば、現場へ出られる。
また急ぎ足に歩き出した。後から来るものは皆追越して行く。中には擦れ違に大きな声をかけるものがある。暗い路は自ずと神経的に活きて来た。坂の下まで歩いて、いよいよ上ろうとすると、胸を突くほど急である。その急な傾斜を、人の頭がいっぱいに埋めて、上から下まで犇いている。焔は坂の真上から容赦なく舞い上る。この人の渦に捲かれて、坂の上まで押し上げられたら、踵を回らすうちに焦げてしまいそうである。
もう半町ほど行くと、同じく左へ折れる大きな坂がある。上るならこちらが楽で安全であると思い直して、出合頭の人を煩わしく避けて、ようやく曲り角まで出ると、向うから劇しく号鈴を鳴らして蒸汽喞筒が来た。退かぬものはことごとく敷き殺すぞと云わぬばかりに人込の中を全速力で駆り立てながら、高い蹄の音と共に、馬の鼻面を坂の方へ一捻に向直した。馬は泡を吹いた口を咽喉に摺りつけて、尖った耳を前に立てたが、いきなり前足を揃えてもろに飛び出した。その時栗毛の胴が、袢天を着た男の提灯を掠めて、天鵞絨のごとく光った。紅色に塗った太い車の輪が自分の足に触れたかと思うほど際どく回った。と思うと、喞筒は一直線に坂を馳け上がった。
坂の中途へ来たら、前は正面にあった燄が今度は筋違に後の方に見え出した。坂の上からまた左へ取って返さなければならない。横丁を見つけていると、細い路次のようなのが一つあった。人に押されて入り込むと真暗である。ただ一寸のセキもないほど詰んでいる。そうして互に懸命な声を揚げる。火は明かに向うに燃えている。
十分の後ようやく路次を抜けて通りへ出た。その通りもまた組屋敷ぐらいな幅で、すでに人でいっぱいになっている。路次を出るや否や、さっき地を蹴って、馳け上がった蒸汽喞筒が眼の前にじっとしていた。喞筒はようやくここまで馬を動かしたが、二三間先きの曲り角に妨げられて、どうする事もできずに、焔を見物している。焔は鼻の先から燃え上がる。
傍に押し詰められているものは口々にどこだ、どこだと号ぶ。聞かれるものは、そこだそこだと云う。けれども両方共に焔の起る所までは行かれない。燄は勢いを得て、静かな空を煽るように、凄じく上る。……
翌日午過散歩のついでに、火元を見届ようと思う好奇心から、例の坂を上って、昨夕の路次を抜けて、蒸汽喞筒の留まっていた組屋敷へ出て、二三間先の曲角をまがって、ぶらぶら歩いて見たが、冬籠りと見える家が軒を並べてひそりと静まっているばかりである。焼け跡はどこにも見当らない。火の揚がったのはこの辺だと思われる所は、奇麗な杉垣ばかり続いて、そのうちの一軒からは微かに琴の音が洩れた。
昨宵は夜中枕の上で、ばちばち云う響を聞いた。これは近所にクラパム・ジャンクションと云う大停車場のある御蔭である。このジャンクションには一日のうちに、汽車が千いくつか集まってくる。それを細かに割りつけて見ると、一分に一と列車ぐらいずつ出入をする訳になる。その各列車が霧の深い時には、何かの仕掛で、停車場間際へ来ると、爆竹のような音を立てて相図をする。信号の灯光は青でも赤でも全く役に立たないほど暗くなるからである。
寝台を這い下りて、北窓の日蔽を捲き上げて外面を見おろすと、外面は一面に茫としている。下は芝生の底から、三方煉瓦の塀に囲われた一間余の高さに至るまで、何も見えない。ただ空しいものがいっぱい詰っている。そうして、それが寂として凍っている。隣の庭もその通りである。この庭には奇麗なローンがあって、春先の暖かい時分になると、白い髯を生した御爺さんが日向ぼっこをしに出て来る。その時この御爺さんは、いつでも右の手に鸚鵡を留まらしている。そうして自分の目を鸚鵡の嘴で突つかれそうに近く、鳥の傍へ持って行く。鸚鵡は羽搏きをして、しきりに鳴き立てる。御爺さんの出ないときは、娘が長い裾を引いて、絶え間なく芝刈器械をローンの上に転がしている。この記憶に富んだ庭も、今は全く霧に埋って、荒果てた自分の下宿のそれと、何の境もなくのべつに続いている。
裏通りを隔てて向う側に高いゴシック式の教会の塔がある。その塔の灰色に空を刺す天辺でいつでも鐘が鳴る。日曜はことにはなはだしい。今日は鋭く尖った頂きは無論の事、切石を不揃に畳み上げた胴中さえ所在がまるで分らない。それかと思うところが、心持黒いようでもあるが、鐘の音はまるで響かない。鐘の形の見えない濃い影の奥に深く鎖された。
表へ出ると二間ばかり先は見える。その二間を行き尽くすとまた二間ばかり先が見えて来る。世の中が二間四方に縮まったかと思うと、歩けば歩るくほど新しい二間四方が露われる。その代り今通って来た過去の世界は通るに任せて消えて行く。
四つ角でバスを待ち合せていると、鼠色の空気が切り抜かれて急に眼の前へ馬の首が出た。それだのにバスの屋根にいる人は、まだ霧を出切らずにいる。こっちから霧を冒して、飛乗って下を見ると、馬の首はもう薄ぼんやりしている。バスが行き逢うときは、行き逢った時だけ奇麗だなと思う。思う間もなく色のあるものは、濁った空の中に消えてしまう。漠々として無色の裡に包まれて行った。ウェストミンスター橋を通るとき、白いものが一二度眼を掠めて翻がえった。眸を凝らして、その行方を見つめていると、封じ込められた大気の裡に、鴎が夢のように微かに飛んでいた。その時頭の上でビッグベンが厳に十時を打ち出した。仰ぐと空の中でただ音だけがする。
ヴィクトリヤで用を足して、テート画館の傍を河沿にバタシーまで来ると、今まで鼠色に見えた世界が、突然と四方からばったり暮れた。泥炭を溶いて濃く、身の周囲に流したように、黒い色に染められた重たい霧が、目と口と鼻とに逼って来た。外套は抑えられたかと思うほど湿っている。軽い葛湯を呼吸するばかりに気息が詰まる。足元は無論穴蔵の底を踏むと同然である。
自分はこの重苦しい茶褐色の中に、しばらく茫然と佇立んだ。自分の傍を人が大勢通るような心持がする。けれども肩が触れ合わない限りははたして、人が通っているのかどうだか疑わしい。その時この濛々たる大海の一点が、豆ぐらいの大きさにどんよりと黄色く流れた。自分はそれを目標に、四歩ばかりを動かした。するとある店先の窓硝子の前へ顔が出た。店の中では瓦斯を点けている。中は比較的明かである。人は常のごとくふるまっている。自分はやっと安心した。
バタシーを通り越して、手探りをしないばかりに向うの岡へ足を向けたが、岡の上は仕舞屋ばかりである。同じような横町が幾筋も並行して、青天の下でも紛れやすい。自分は向って左の二つ目を曲ったような気がした。それから二町ほど真直に歩いたような心持がした。それから先はまるで分らなくなった。暗い中にたった一人立って首を傾けていた。右の方から靴の音が近寄って来た。と思うと、それが四五間手前まで来て留まった。それからだんだん遠退いて行く。しまいには、全く聞えなくなった。あとは寂としている。自分はまた暗い中にたった一人立って考えた。どうしたら下宿へ帰れるかしらん。
大刀老人は亡妻の三回忌までにはきっと一基の石碑を立ててやろうと決心した。けれども倅の痩腕を便に、ようやく今日を過すよりほかには、一銭の貯蓄もできかねて、また春になった。あれの命日も三月八日だがなと、訴えるような顔をして、倅に云うと、はあ、そうでしたっけと答えたぎりである。大刀老人は、とうとう先祖伝来の大切な一幅を売払って、金の工面をしようときめた。倅に、どうだろうと相談すると、倅は恨めしいほど無雑作にそれがいいでしょうと賛成してくれた。倅は内務省の社寺局へ出て四十円の月給を貰っている。女房に二人の子供がある上に、大刀老人に孝養を尽くすのだから骨が折れる。老人がいなければ大切な懸物も、とうに融通の利くものに変形したはずである。
この懸物は方一尺ほどの絹地で、時代のために煤竹のような色をしている。暗い座敷へ懸けると、暗澹として何が画いてあるか分らない。老人はこれを王若水の画いた葵だと称している。そうして、月に一二度ぐらいずつ袋戸棚から出して、桐の箱の塵を払って、中のものを丁寧に取り出して、直に三尺の壁へ懸けては、眺めている。なるほど眺めていると、煤けたうちに、古血のような大きな模様がある。緑青の剥げた迹かと怪しまれる所も微かに残っている。老人はこの模糊たる唐画の古蹟に対って、生き過ぎたと思うくらいに住み古した世の中を忘れてしまう。ある時は懸物をじっと見つめながら、煙草を吹かす。または御茶を飲む。でなければただ見つめている。御爺さん、これ、なあにと小供が来て指を触けようとすると、始めて月日に気がついたように、老人は、触ってはいけないよと云いながら、静かに立って、懸物を巻きにかかる。すると、小供が御爺さん鉄砲玉はと聞く。うん鉄砲玉を買って来るから、悪戯をしてはいけないよと云いながら、そろそろと懸物を巻いて、桐の箱へ入れて、袋戸棚へしまって、そうしてそこいらを散歩しに出る。帰りには町内の飴屋へ寄って、薄荷入の鉄砲玉を二袋買って来て、そら鉄砲玉と云って、小供にやる。倅が晩婚なので小供は六つと四つである。
倅と相談をした翌日、老人は桐の箱を風呂敷に包んで朝早くから出た。そうして四時頃になって、また桐の箱を持って帰って来た。小供が上り口まで出て、御爺さん鉄砲玉はと聞くと、老人は何にも云わずに、座敷へ来て、箱の中から懸物を出して、壁へ懸けて、ぼんやり眺め出した。四五軒の道具屋を持って廻ったら、落款がないとか、画が剥げているとか云って、老人の予期したほどの尊敬を、懸物に払うものがなかったのだそうである。
倅は道具屋は廃しになさいと云った。老人も道具屋はいかんと云った。二週間ほどしてから、老人はまた桐の箱を抱えて出た。そうして倅の課長さんの友達の所へ、紹介を得て見せに行った。その時も鉄砲玉を買って来なかった。倅が帰るや否や、あんな眼の明かない男にどうして譲れるものか、あすこにあるものは、みんな贋物だ、とさも倅の不徳義のように云った。倅は苦笑していた。
二月の初旬に偶然旨い伝手ができて、老人はこの幅を去る好事家に売った。老人は直に谷中へ行って、亡妻のために立派な石碑を誂えた。そうしてその余りを郵便貯金にした。それから五日ほど立って、常のごとく散歩に出たが、いつもよりは二時間ほど後れて帰って来た。その時両手に大きな鉄砲玉の袋を二つ抱えていた。売り払った懸物が気にかかるから、もう一遍見せて貰いに行ったら、四畳半の茶座敷にひっそりと懸かっていて、その前には透き徹るような臘梅が活けてあったのだそうだ。老人はそこで御茶の御馳走になったのだという。おれが持っているよりも安心かも知れないと老人は倅に云った。倅はそうかも知れませんと答えた。小供は三日間鉄砲玉ばかり食っていた。
南向きの部屋であった。明かるい方を背中にした三十人ばかりの小供が黒い頭を揃えて、塗板を眺めていると、廊下から先生が這入って来た。先生は背の低い、眼の大きい、瘠せた男で、顎から頬へ掛けて、髯が爺汚く生えかかっていた。そうしてそのざらざらした顎の触る着物の襟が薄黒く垢附いて見えた。この着物と、この髯の不精に延びるのと、それから、かつて小言を云った事がないのとで、先生はみなから馬鹿にされていた。
先生はやがて、白墨を取って、黒板に記元節と大きく書いた。小供はみんな黒い頭を机の上に押しつけるようにして、作文を書き出した。先生は低い背を伸ばして、一同を見廻していたが、やがて廊下伝いに部屋を出て行った。
すると、後から三番目の机の中ほどにいた小供が、席を立って先生の洋卓の傍へ来て、先生の使った白墨を取って、塗板に書いてある記元節の記の字へ棒を引いて、その傍へ新しく紀と肉太に書いた。ほかの小供は笑いもせずに驚いて見ていた。さきの小供が席へ帰ってしばらく立つと、先生も部屋へ帰って来た。そうして塗板に気がついた。
「誰か記を紀と直したようだが、記と書いても好いんですよ」と云ってまた一同を見廻した。一同は黙っていた。
記を紀と直したものは自分である。明治四十二年の今日でも、それを思い出すと下等な心持がしてならない。そうして、あれが爺むさい福田先生でなくって、みんなの怖がっていた校長先生であればよかったと思わない事はない。
「あっちは栗の出る所でしてね。まあ相場がざっと両に四升ぐらいのもんでしょうかね。それをこっちへ持って来ると、升に一円五十銭もするんですよ。それでね、私がちょうど向うにいた時分でしたが、浜から千八百俵ばかり注文がありました。旨く行くと一升二円以上につくんですから、さっそくやりましたよ。千八百俵拵えて、私が自分で栗といっしょに浜まで持って行くと、――なに相手は支那人で、本国へ送り出すんでさあ。すると、支那人が出て来て、宜しいと云うから、もう済んだのかと思うと、蔵の前へ高さ一間もあろうと云う大きな樽を持ち出して、水をその中へどんどん汲み込ませるんです。――いえ何のためだか私にもいっこう分らなかったんで。何しろ大きな樽ですからね、水を張るんだって容易なこっちゃありません。かれこれ半日かかっちまいました。それから何をするかと思って見ていると、例の栗をね、俵をほどいて、どんどん樽の中へ放り込むんですよ。――私も実に驚いたが、支那人てえ奴は本当に食えないもんだと後になって、ようやく気がついたんです。栗を水の中に打ち込むとね、たしかな奴は尋常に沈みますが、虫の食った奴だけはみんな浮いちまうんです。それを支那人の野郎笊でしゃくってね、ペケだって、俵の目方から引いてしまうんだからたまりません。私は傍で見ていてはらはらしました。何しろ七分通り虫が入ってたんだから弱りました。大変な損でさあ。――虫の食ったんですか。いまいましいから、みんな打遣って来ました。支那人の事ですから、やっぱり知らん顔をして、俵にして、おおかた本国へ送ったでげしょう。
「それから薩摩芋を買い込んだこともありまさあ。一俵四円で、二千俵の契約でね。ところが注文の来たのが月半、十四日でして二十五日までにと云うんだから、どう骨を折ったって二千俵と云う数が寄りっこありませんや。とうてい駄目だからって、一応断りました。実を云うと残念でしたがな。すると商館の番頭がいうには、否契約書には二十五日とあるけれども、けっしてその通りには厳行しないからと、再三勧めるもんだから、ついその気になりましてね。――いえ芋は支那へ行くんじゃありません。亜米利加でした。やッぱり亜米利加にも薩摩芋を食う奴があると見えるんですよ。妙な事があるもんで、――で、さっそく買収にかかりました。埼玉から川越の方をな。だが口でこそ二千俵ですが、いざ買い占めるとなるとなかなか大したもんですからな。でもようやくの事で、とうとう二十八日過ぎに約束通りの俵を持って、行きますと、――実に狡猾な奴がいるもんで、約定書のうちに、もしはなはだしい日限の違約があるときは、八千円の損害賠償を出すと云う項目があるんですよ。ところが彼はその条款を応用しちまって、どうしても代金を渡さないんです。もっとも手付は四千円取っておきましたがね。そうこうしている内に、先方では芋を船へ積み込んじまったから、どうする事もできない訳になりました。あんまり業腹だから、千円の保証金を納めましてね、現物取押を申請して、とうとう芋を取り押えてやりました。ところが上には上があるもんで、先方は八千円の保証金を納めて、構わず船を出しちまったんです。でいよいよ裁判になったにはなったんですが、何しろ約定書が入れてあるもんだから、しようがない。私は裁判官の前で泣きましたね。芋はただ取られる、裁判には負ける、こんな馬鹿な事はない、少しは、まあ私の身になって考えて見て下さいって。裁判官も腹のなかでは、だいぶ私の方に同情した様子でしたが、法律の力じゃ、どうする事もできないもんですからな。とうとう負けました」
ふと机から眼を上げて、入口の方を見ると、書斎の戸がいつの間にか〈[#「いつの間にか」は底本では「いつの間か」]〉、半分明いて、広い廊下が二尺ばかり見える。廊下の尽きる所は唐めいた手摺に遮られて、上には硝子戸が立て切ってある。青い空から、まともに落ちて来る日が、軒端を斜に、硝子を通して、縁側の手前だけを明るく色づけて、書斎の戸口までぱっと暖かに射した。しばらく日の照る所を見つめていると、眼の底に陽炎が湧いたように、春の思いが饒かになる。
その時この二尺あまりの隙間に、空を踏んで、手摺の高さほどのものがあらわれた。赤に白く唐草を浮き織りにした絹紐を輪に結んで、額から髪の上へすぽりと嵌めた間に、海棠と思われる花を青い葉ごと、ぐるりと挿した。黒髪の地に薄紅の莟が大きな雫のごとくはっきり見えた。割合に詰った顎の真下から、一襞になって、ただ一枚の紫が縁までふわふわと動いている。袖も手も足も見えない。影は廊下に落ちた日を、するりと抜けるように通った。後から、――
今度は少し低い。真紅の厚い織物を脳天から肩先まで被って、余る背中に筋違の笹の葉の模様を背負っている。胴中にただ一葉、消炭色の中に取り残された緑が見える。それほど笹の模様は大きかった。廊下に置く足よりも大きかった。その足が赤くちらちらと三足ほど動いたら、低いものは、戸口の幅を、音なく行き過ぎた。
第三の頭巾は白と藍の弁慶の格子である。眉廂の下にあらわれた横顔は丸く膨らんでいる。その片頬の真中が林檎の熟したほどに濃い。尻だけ見える茶褐色の眉毛の下が急に落ち込んで、思わざる辺から丸い鼻が膨れた頬を少し乗り越して、先だけ顔の外へ出た。顔から下は一面に黄色い縞で包まれている。長い袖を三寸余も縁に牽いた。これは頭より高い胡麻竹の杖を突いて来た。杖の先には光を帯びた鳥の羽をふさふさと着けて、照る日に輝かした。縁に牽く黄色い縞の、袖らしい裏が、銀のように光ったと思ったらこれも行き過ぎた。
すると、すぐ後から真白な顔があらわれた。額から始まって、平たい頬を塗って、顎から耳の附根まで遡ぼって、壁のように静かである。中に眸だけが活きていた。唇は紅の色を重ねて、青く光線を反射した。胸のあたりは鳩の色のように見えて、下は裾までばっと視線を乱している中に、小さなヴァイオリンを抱えて、長い弓を厳かに担いでいる。二足で通り過ぎる後には、背中へ黒い繻子の四角な片をあてて、その真中にある金糸の刺繍が、一度に日に浮いた。
最後に出たものは、全く小さい。手摺の下から転げ落ちそうである。けれども大きな顔をしている。その中でも頭はことに大きい。それへ五色の冠を戴いてあらわれた。冠の中央にあるぽっちが高く聳えているように思われる。身には井の字の模様のある筒袖に、藤鼠の天鵞絨の房の下ったものを、背から腰の下まで三角に垂れて、赤い足袋を踏んでいた。手に持った朝鮮の団扇が身体の半分ほどある。団扇には赤と青と黄で巴を漆で描いた。
行列は静かに自分の前を過ぎた。開け放しになった戸が、空しい日の光を、書斎の入口に送って、縁側に幅四尺の寂しさを感じた時、向うの隅で急にヴァイオリンを擦る音がした。ついで、小さい咽喉が寄り合って、どっと笑う声がした。
宅の小供は毎日母の羽織や風呂敷を出して、こんな遊戯をしている。
ピトロクリの谷は秋の真下にある。十月の日が、眼に入る野と林を暖かい色に染めた中に、人は寝たり起きたりしている。十月の日は静かな谷の空気を空の半途で包んで、じかには地にも落ちて来ぬ。と云って、山向へ逃げても行かぬ。風のない村の上に、いつでも落ちついて、じっと動かずに靄んでいる。その間に野と林の色がしだいに変って来る。酸いものがいつの間にか甘くなるように、谷全体に時代がつく。ピトロクリの谷は、この時百年の昔し、二百年の昔にかえって、やすやすと寂びてしまう。人は世に熟れた顔を揃えて、山の背を渡る雲を見る。その雲は或時は白くなり、或時は灰色になる。折々は薄い底から山の地を透かせて見せる。いつ見ても古い雲の心地がする。
自分の家はこの雲とこの谷を眺めるに都合好く、小さな丘の上に立っている。南から一面に家の壁へ日があたる。幾年十月の日が射したものか、どこもかしこも鼠色に枯れている西の端に、一本の薔薇が這いかかって、冷たい壁と、暖かい日の間に挟まった花をいくつか着けた。大きな弁は卵色に豊かな波を打って、萼から翻えるように口を開けたまま、ひそりとところどころに静まり返っている。香は薄い日光に吸われて、二間の空気の裡に消えて行く。自分はその二間の中に立って、上を見た。薔薇は高く這い上って行く。鼠色の壁は薔薇の蔓の届かぬ限りを尽くして真直に聳えている。屋根が尽きた所にはまだ塔がある。日はそのまた上の靄の奥から落ちて来る。
足元は丘がピトロクリの谷へ落ち込んで、眼の届く遥の下が、平たく色で埋まっている。その向う側の山へ上る所は層々と樺の黄葉が段々に重なり合って、濃淡の坂が幾階となく出来ている。明かで寂びた調子が谷一面に反射して来る真中を、黒い筋が横に蜿って動いている。泥炭を含んだ渓水は、染粉を溶いたように古びた色になる。この山奥に来て始めて、こんな流を見た。
後から主人が来た。主人の髯は十月の日に照らされて七分がた白くなりかけた。形装も尋常ではない。腰にキルトというものを着けている。俥の膝掛のように粗い縞の織物である。それを行灯袴に、膝頭まで裁って、竪に襞を置いたから、膝脛は太い毛糸の靴足袋で隠すばかりである。歩くたびにキルトの襞が揺れて、膝と股の間がちらちら出る。肉の色に恥を置かぬ昔の袴である。
主人は毛皮で作った、小さい木魚ほどの蟇口を前にぶら下げている。夜煖炉の傍へ椅子を寄せて、音のする赤い石炭を眺めながら、この木魚の中から、パイプを出す、煙草を出す。そうしてぷかりぷかりと夜長を吹かす。木魚の名をスポーランと云う。
主人といっしょに崖を下りて、小暗い路に這入った。スコッチ・ファーと云う常磐木の葉が、刻み昆布に雲が這いかかって、払っても落ちないように見える。その黒い幹をちょろちょろと栗鼠が長く太った尾を揺って、駆け上った。と思うと古く厚みのついた苔の上をまた一匹、眸から疾く駆け抜けたものがある。苔は膨れたまま動かない。栗鼠の尾は蒼黒い地を払子のごとくに擦って暗がりに入った。
主人は横をふり向いて、ピトロクリの明るい谷を指さした。黒い河は依然としてその真中を流れている。あの河を一里半北へ溯るとキリクランキーの峡間があると云った。
高地人と低地人とキリクランキーの峡間で戦った時、屍が岩の間に挟って、岩を打つ水を塞いた。高地人と低地人の血を飲んだ河の流れは色を変えて三日の間ピトロクリの谷を通った。
自分は明日早朝キリクランキーの古戦場を訪おうと決心した。崖から出たら足の下に美しい薔薇の花弁が二三片散っていた。
豊三郎がこの下宿へ越して来てから三日になる。始めの日は、薄暗い夕暮の中に、一生懸命に荷物の片づけやら、書物の整理やらで、忙しい影のごとく動いていた。それから町の湯に入って、帰るや否や寝てしまった。明る日は、学校から戻ると、机の前へ坐って、しばらく書見をして見たが、急に居所が変ったせいか、全く気が乗らない。窓の外でしきりに鋸の音がする。
豊三郎は坐ったまま手を延して障子を明けた。すると、つい鼻の先で植木屋がせっせと梧桐の枝をおろしている。可なり大きく延びた奴を、惜気もなく股の根から、ごしごし引いては、下へ落して行く内に、切口の白い所が目立つくらい夥しくなった。同時に空しい空が遠くから窓にあつまるように広く見え出した。豊三郎は机に頬杖を突いて、何気なく、梧桐の上を高く離れた秋晴を眺めていた。
豊三郎が眼を梧桐から空へ移した時は、急に大きな心持がした。その大きな心持が、しばらくして落ちついて来るうちに、懐かしい故郷の記憶が、点を打ったように、その一角にあらわれた。点は遥かの向にあるけれども、机の上に乗せたほど明らかに見えた。
山の裾に大きな藁葺があって、村から二町ほど上ると、路は自分の門の前で尽きている。門を這入る馬がある。鞍の横に一叢の菊を結いつけて、鈴を鳴らして、白壁の中へ隠れてしまった。日は高く屋の棟を照らしている。後の山を、こんもり隠す松の幹がことごとく光って見える。茸の時節である。豊三郎は机の上で今採ったばかりの茸の香を嗅いだ。そうして、豊、豊という母の声を聞いた。その声が非常に遠くにある。それで手に取るように明らかに聞える。――母は五年前に死んでしまった。
豊三郎はふと驚いて、わが眼を動かした。すると先刻見た梧桐の先がまた眸に映った。延びようとする枝が、一所で伐り詰められているので、股の根は、瘤で埋まって、見悪いほど窮屈に力が入っている。豊三郎はまた急に、机の前に押しつけられたような気がした。梧桐を隔てて、垣根の外を見下すと、汚ない長屋が三四軒ある。綿の出た蒲団が遠慮なく秋の日に照りつけられている。傍に五十余りの婆さんが立って、梧桐の先を見ていた。
ところどころ縞の消えかかった着物の上に、細帯を一筋巻いたなりで、乏しい髪を、大きな櫛のまわりに巻きつけて、茫然と、枝を透かした梧桐の頂辺を見たまま立っている。豊三郎は婆さんの顔を見た。その顔は蒼くむくんでいる。婆さんは腫れぼったい瞼の奥から細い眼を出して、眩しそうに豊三郎を見上げた。豊三郎は急に自分の眼を机の上に落した。
三日目に豊三郎は花屋へ行って菊を買って来た。国の庭に咲くようなのをと思って、探して見たが見当らないので、やむをえず花屋のあてがったのを、そのまま三本ほど藁で括って貰って、徳利のような花瓶へ活けた。行李の底から、帆足万里の書いた小さい軸を出して、壁へ掛けた。これは先年帰省した時、装飾用のためにわざわざ持って来たものである。それから豊三郎は座蒲団の上へ坐って、しばらく軸と花を眺めていた。その時窓の前の長屋の方で、豊々と云う声がした。その声が調子と云い、音色といい、優しい故郷の母に少しも違わない。豊三郎はたちまち窓の障子をがらりと開けた。すると昨日見た蒼ぶくれの婆さんが、落ちかかる秋の日を額に受けて、十二三になる鼻垂小僧を手招きしていた。がらりと云う音がすると同時に、婆さんは例のむくんだ眼を翻えして下から豊三郎を見上げた。
劇烈な三面記事を、写真版にして引き伸ばしたような小説を、のべつに五六冊読んだら、全く厭になった。飯を食っていても、生活難が飯といっしょに胃の腑まで押し寄せて来そうでならない。腹が張れば、腹がせっぱ詰って、いかにも苦しい。そこで帽子を被って空谷子の所へ行った。この空谷子と云うのは、こういう時に、話しをするのに都合よく出来上った、哲学者みたような占者みたような、妙な男である。無辺際の空間には、地球より大きな火事がところどころにあって、その火事の報知が吾々の眼に伝わるには、百年もかかるんだからなあと云って、神田の火事を馬鹿にした男である。もっとも神田の火事で空谷子の家が焼けなかったのはたしかな事実である。
空谷子は小さな角火鉢に倚れて、真鍮の火箸で灰の上へ、しきりに何か書いていた。どうだね、相変らず考え込んでるじゃないかと云うと、さも面倒くさそうな顔つきをして、うん今金の事を少し考えているところだと答えた。せっかく空谷子の所へ来て、また金の話なぞを聞かされてはたまらないから、黙ってしまった。すると空谷子が、さも大発見でもしたように、こう云った。
「金は魔物だね」
空谷子の警句としてははなはだ陳腐だと思ったから、そうさね、と云ったぎり相手にならずにいた。空谷子は火鉢の灰の中に大きな丸を描いて、君ここに金があるとするぜ、と丸の真中を突ッついた。
「これが何にでも変化する。衣服にもなれば、食物にもなる。電車にもなれば宿屋にもなる」
「下らんな。知れ切ってるじゃないか」
「否、知れ切っていない。この丸がね」とまた大きな丸を描いた。
「この丸が善人にもなれば悪人にもなる。極楽へも行く、地獄へも行く。あまり融通が利き過ぎるよ。まだ文明が進まないから困る。もう少し人類が発達すると、金の融通に制限をつけるようになるのは分り切っているんだがな」
「どうして」
「どうしても好いが、――例えば金を五色に分けて、赤い金、青い金、白い金などとしても好かろう」
「そうして、どうするんだ」
「どうするって。赤い金は赤い区域内だけで通用するようにする。白い金は白い区域内だけで使う事にする。もし領分外へ出ると、瓦の破片同様まるで幅が利かないようにして、融通の制限をつけるのさ」
もし空谷子が初対面の人で、初対面の最先からこんな話をしかけたら、自分は空谷子をもって、あるいは脳の組織に異状のある論客と認めたかも知れない。しかし空谷子は地球より大きな火事を想像する男だから、安心してその訳を聞いて見た。空谷子の答はこうであった。
「金はある部分から見ると、労力の記号だろう。ところがその労力がけっして同種類のものじゃないから、同じ金で代表さして、彼是相通ずると、大変な間違になる。例えば僕がここで一万噸の石炭を掘ったとするぜ。その労力は器械的の労力に過ぎないんだから、これを金に代えたにしたところが、その金は同種類の器械的の労力と交換する資格があるだけじゃないか。しかるに一度この器械的の労力が金に変形するや否や、急に大自在の神通力を得て、道徳的の労力とどんどん引き換えになる。そうして、勝手次第に精神界が攪乱されてしまう。不都合極まる魔物じゃないか。だから色分にして、少しその分を知らしめなくっちゃいかんよ」
自分は色分説に賛成した。それからしばらくして、空谷子に尋ねて見た。
「器械的の労力で道徳的の労力を買収するのも悪かろうが、買収される方も好かあないんだろう」
「そうさな。今のような善知善能の金を見ると、神も人間に降参するんだから仕方がないかな。現代の神は野蛮だからな」
自分は空谷子と、こんな金にならない話をして帰った。
二階の手摺に湯上りの手拭を懸けて、日の目の多い春の町を見下すと、頭巾を被って、白い髭を疎らに生やした下駄の歯入が垣の外を通る。古い鼓を天秤棒に括りつけて、竹のへらでかんかんと敲くのだが、その音は頭の中でふと思い出した記憶のように、鋭いくせに、どこか気が抜けている。爺さんが筋向の医者の門の傍へ来て、例の冴え損なった春の鼓をかんと打つと、頭の上に真白に咲いた梅の中から、一羽の小鳥が飛び出した。歯入は気がつかずに、青い竹垣をなぞえに向の方へ廻り込んで見えなくなった。鳥は一摶に手摺の下まで飛んで来た。しばらくは柘榴の細枝に留っていたが、落ちつかぬと見えて、二三度身ぶりを易える拍子に、ふと欄干に倚りかかっている自分の方を見上げるや否や、ぱっと立った。枝の上が煙るごとくに動いたと思ったら、小鳥はもう奇麗な足で手摺の桟を踏まえている。
まだ見た事のない鳥だから、名前を知ろうはずはないが、その色合が著るしく自分の心を動かした。鶯に似て少し渋味の勝った翼に、胸は燻んだ、煉瓦の色に似て、吹けば飛びそうに、ふわついている。その辺には柔かな波を時々打たして、じっとおとなしくしている。怖すのは罪だと思って、自分もしばらく、手摺に倚ったまま、指一本も動かさずに辛抱していたが、存外鳥の方は平気なようなので、やがて思い切って、そっと身を後へ引いた。同時に鳥はひらりと手摺の上に飛び上がって、すぐと眼の前に来た。自分と鳥の間はわずか一尺ほどに過ぎない。自分は半ば無意識に右手を美しい鳥の方に出した。鳥は柔かな翼と、華奢な足と、漣の打つ胸のすべてを挙げて、その運命を自分に託するもののごとく、向うからわが手の中に、安らかに飛び移った。自分はその時丸味のある頭を上から眺めて、この鳥は……と思った。しかしこの鳥は……の後はどうしても思い出せなかった。ただ心の底の方にその後が潜んでいて、総体を薄く暈すように見えた。この心の底一面に煮染んだものを、ある不可思議の力で、一所に集めて判然と熟視したら、その形は、――やっぱりこの時、この場に、自分の手のうちにある鳥と同じ色の同じ物であったろうと思う。自分は直に籠の中に鳥を入れて、春の日影の傾くまで眺めていた。そうしてこの鳥はどんな心持で自分を見ているだろうかと考えた。
やがて散歩に出た。欣々然として、あてもないのに、町の数をいくつも通り越して、賑かな往来を行ける所まで行ったら、往来は右へ折れたり左へ曲ったりして、知らない人の後から、知らない人がいくらでも出て来る。いくら歩いても賑かで、陽気で、楽々しているから、自分はどこの点で世界と接触して、その接触するところに一種の窮屈を感ずるのか、ほとんど想像も及ばない。知らない人に幾千人となく出逢うのは嬉しいが、ただ嬉しいだけで、その嬉しい人の眼つきも鼻つきもとんと頭に映らなかった。するとどこかで、宝鈴が落ちて廂瓦に当るような音がしたので、はっと思って向うを見ると、五六間先の小路の入口に一人の女が立っていた。何を着ていたか、どんな髷に結っていたか、ほとんど分らなかった。ただ眼に映ったのはその顔である。その顔は、眼と云い、口と云い、鼻と云って、離れ離れに叙述する事のむずかしい――否、眼と口と鼻と眉と額といっしょになって、たった一つ自分のために作り上げられた顔である。百年の昔からここに立って、眼も鼻も口もひとしく自分を待っていた顔である。百年の後まで自分を従えてどこまでも行く顔である。黙って物を云う顔である。女は黙って後を向いた。追いついて見ると、小路と思ったのは露次で、不断の自分なら躊躇するくらいに細くて薄暗い。けれども女は黙ってその中へ這入って行く。黙っている。けれども自分に後を跟けて来いと云う。自分は身を穿めるようにして、露次の中に這入った。
黒い暖簾がふわふわしている。白い字が染抜いてある。その次には頭を掠めるくらいに軒灯が出ていた。真中に三階松が書いて下に本とあった。その次には硝子の箱に軽焼の霰が詰っていた。その次には軒の下に、更紗の小片を五つ六つ四角な枠の中に並べたのが懸けてあった。それから香水の瓶が見えた。すると露次は真黒な土蔵の壁で行き留った。女は二尺ほど前にいた。と思うと、急に自分の方をふり返った。そうして急に右へ曲った。その時自分の頭は突然先刻の鳥の心持に変化した。そうして女に尾いて、すぐ右へ曲った。右へ曲ると、前よりも長い露次が、細く薄暗く、ずっと続いている。自分は女の黙って思惟するままに、この細く薄暗く、しかもずっと続いている露次の中を鳥のようにどこまでも跟いて行った。
二人は二畳敷の二階に机を並べていた。その畳の色の赤黒く光った様子がありありと、二十余年後の今日までも、眼の底に残っている。部屋は北向で、高さ二尺に足らぬ小窓を前に、二人が肩と肩を喰っつけるほど窮屈な姿勢で下調をした。部屋の内が薄暗くなると、寒いのを思い切って、窓障子を明け放ったものである。その時窓の真下の家の、竹格子の奥に若い娘がぼんやり立っている事があった。静かな夕暮などはその娘の顔も姿も際立って美しく見えた。折々はああ美しいなと思って、しばらく見下していた事もあった。けれども中村には何にも言わなかった。中村も何にも言わなかった。
女の顔は今は全く忘れてしまった。ただ大工か何かの娘らしかったという感じだけが残っている。無論長屋住居の貧しい暮しをしていたものの子である。我ら二人の寝起する所も、屋根に一枚の瓦さえ見る事のできない古長屋の一部であった。下には学僕と幹事を混ぜて十人ばかり寄宿していた。そうして吹き曝しの食堂で、下駄を穿いたまま、飯を食った。食料は一箇月に二円であったが、その代りはなはだ不味いものであった。それでも、隔日に牛肉の汁を一度ずつ食わした。もちろん肉の膏が少し浮いて、肉の香が箸に絡まって来るくらいなところであった。それで塾生は幹事が狡猾で、旨いものを食わせなくっていかんとしきりに不平をこぼしていた。
中村と自分はこの私塾の教師であった。二人とも月給を五円ずつ貰って、日に二時間ほど教えていた。自分は英語で地理書や幾何学を教えた。幾何の説明をやる時に、どうしてもいっしょになるべき線が、いっしょにならないで困った事がある。ところが込みいった図を、太い線で書いているうちに、その線が二つ、黒板の上で重なり合っていっしょになってくれたのは嬉しかった。
二人は朝起きると、両国橋を渡って、一つ橋の予備門に通学した。その時分予備門の月謝は二十五銭であった。二人は二人の月給を机の上にごちゃごちゃに攪き交ぜて、そのうちから二十五銭の月謝と、二円の食料と、それから湯銭若干を引いて、あまる金を懐に入れて、蕎麦や汁粉や寿司を食い廻って歩いた。共同財産が尽きると二人とも全く出なくなった。
予備門へ行く途中両国橋の上で、貴様の読んでいる西洋の小説のなかには美人が出て来るかと中村が聞いた事がある。自分はうん出て来ると答えた。しかしその小説は何の小説で、どんな美人が出て来たのか、今ではいっこう覚えない。中村はその時から小説などを読まない男であった。
中村が端艇競争のチャンピヨンになって勝った時、学校から若干の金をくれて、その金で書籍を買って、その書籍へある教授が、これこれの記念に贈ると云う文句を書き添えた事がある。中村はその時おれは書物なんかいらないから、何でも貴様の好なものを買ってやると云った。そうしてアーノルドの論文と沙翁のハムレットを買ってくれた。その本はいまだに持っている。自分はその時始めてハムレットと云うものを読んで見た。ちっとも分らなかった。
学校を出ると中村はすぐ台湾に行った。それぎりまるで逢わなかったのが、偶然倫敦の真中でまたぴたりと出喰わした。ちょうど七年ほど前である。その時中村は昔の通りの顔をしていた。そうして金をたくさん持っていた。自分は中村といっしょに方々遊んで歩いた。中村も以前と異って、貴様の読んでいる西洋の小説には美人が出て来るかなどとは聞かなかった。かえって向うから西洋の美人の話をいろいろした。
日本へ帰ってからまた逢わなくなった。すると今年の一月の末、突然使をよこして、話がしたいから築地の新喜楽まで来いと云って来た。正午までにという注文だのに、時計はもう十一時過である。そうしてその日に限って北風が非常に強く吹いていた。外へ出ると、帽子も車も吹き飛ばされそうな勢いである。自分はその日の午後に是非片づけなくてはならない用事を控えていた。妻に電話を懸けさせて、明日じゃ都合が悪いかと聞かせると、明日になると出立の準備や何かで、こっちも忙しいから……と云うところで、電話が切れてしまった。いくら、どうしても懸らない。おおかた風のせいでしょうと、妻が寒い顔をして帰って来た。それでとうとう逢わずにしまった。
昔の中村は満鉄の総裁になった。昔の自分は小説家になった。満鉄の総裁とはどんな事をするものかまるで知らない。中村も自分の小説をいまだかつて一頁も読んだ事はなかろう。
クレイグ先生は燕のように四階の上に巣をくっている。舗石の端に立って見上げたって、窓さえ見えない。下からだんだんと昇って行くと、股の所が少し痛くなる時分に、ようやく先生の門前に出る。門と申しても、扉や屋根のある次第ではない。幅三尺足らずの黒い戸に真鍮の敲子がぶら下がっているだけである。しばらく門前で休息して、この敲子の下端をこつこつと戸板へぶつけると、内から開けてくれる。
開けてくれるものは、いつでも女である。近眼のせいか眼鏡をかけて、絶えず驚いている。年は五十くらいだから、ずいぶん久しい間世の中を見て暮したはずだが、やっぱりまだ驚いている。戸を敲くのが気の毒なくらい大きな眼をしていらっしゃいと云う。
這入ると女はすぐ消えてしまう。そうして取附の客間――始めは客間とも思わなかった。別段装飾も何もない。窓が二つあって、書物がたくさん並んでいるだけである。クレイグ先生はたいていそこに陣取っている。自分の這入って来るのを見ると、やあと云って手を出す。握手をしろという相図だから、手を握る事は握るが、向ではかつて握り返した事がない。こっちもあまり握り心地が好い訳でもないから、いっそ廃したらよかろうと思うのに、やっぱりやあと云って毛だらけな皺だらけな、そうして例によって消極的な手を出す。習慣は不思議なものである。
この手の所有者は自分の質問を受けてくれる先生である。始めて逢った時報酬はと聞いたら、そうさな、とちょっと窓の外を見て、一回七志じゃどうだろう。多過ぎればもっと負けても好いと云われた。それで自分は一回七志の割で月末に全額を払う事にしていたが、時によると不意に先生から催促を受ける事があった。君、少し金が入るから払って行ってくれんかなどと云われる。自分は洋袴の隠しから金貨を出して、むき出しにへえと云って渡すと、先生はやあすまんと受取りながら、例の消極的な手を拡げて、ちょっと掌の上で眺めたまま、やがてこれを洋袴の隠しへ収められる。困る事には先生けっして釣を渡さない。余分を来月へ繰り越そうとすると、次の週にまた、ちょっと書物を買いたいからなどと催促される事がある。
先生は愛蘭土の人で言葉がすこぶる分らない。少し焦きこんで来ると、東京者が薩摩人と喧嘩をした時くらいにむずかしくなる。それで大変そそっかしい非常な焦きこみ屋なんだから、自分は事が面倒になると、運を天に任せて先生の顔だけ見ていた。
その顔がまたけっして尋常じゃない。西洋人だから鼻は高いけれども、段があって、肉が厚過ぎる。そこは自分に善く似ているのだが、こんな鼻は一見したところがすっきりした好い感じは起らないものである。その代りそこいら中むしゃくしゃしていて、何となく野趣がある。髯などはまことに御気の毒なくらい黒白乱生していた。いつかベーカーストリートで先生に出合った時には、鞭を忘れた御者かと思った。
先生の白襯衣や白襟を着けたのはいまだかつて見た事がない。いつでも縞のフラネルをきて、むくむくした上靴を足に穿いて、その足を煖炉の中へ突き込むくらいに出して、そうして時々短い膝を敲いて――その時始めて気がついたのだが、先生は消極的の手に金の指輪を嵌めていた。――時には敲く代りに股を擦って、教えてくれる。もっとも何を教えてくれるのか分らない。聞いていると、先生の好きな所へ連れて行って、けっして帰してくれない。そうしてその好きな所が、時候の変り目や、天気都合でいろいろに変化する。時によると昨日と今日で両極へ引越しをする事さえある。わるく云えば、まあ出鱈目で、よく評すると文学上の座談をしてくれるのだが、今になって考えて見ると、一回七志ぐらいで纏った規則正しい講義などのできる訳のものではないのだから、これは先生の方がもっともなので、それを不平に考えた自分は馬鹿なのである。もっとも先生の頭も、その髯の代表するごとく、少しは乱雑に傾いていたようでもあるから、むしろ報酬の値上をして、えらい講義をして貰わない方がよかったかも知れない。
先生の得意なのは詩であった。詩を読むときには顔から肩の辺が陽炎のように振動する。――嘘じゃない。全く振動した。その代り自分に読んでくれるのではなくって、自分が一人で読んで楽んでいる事に帰着してしまうからつまりはこっちの損になる。いつかスウィンバーンのロザモンドとか云うものを持って行ったら、先生ちょっと見せたまえと云って、二三行朗読したが、たちまち書物を膝の上に伏せて、鼻眼鏡をわざわざはずして、ああ駄目駄目スウィンバーンも、こんな詩を書くように老い込んだかなあと云って嘆息された。自分がスウィンバーンの傑作アタランタを読んでみようと思い出したのはこの時である。
先生は自分を小供のように考えていた。君こう云う事を知ってるか、ああ云う事が分ってるかなどと愚にもつかない事をたびたび質問された。かと思うと、突然えらい問題を提出して急に同輩扱に飛び移る事がある。いつか自分の前でワトソンの詩を読んで、これはシェレーに似た所があると云う人と、全く違っていると云う人とあるが、君はどう思うと聞かれた。どう思うたって、自分には西洋の詩が、まず眼に訴えて、しかる後耳を通過しなければまるで分らないのである。そこで好い加減な挨拶をした。シェレーに似ている方だったか、似ていない方だったか、今では忘れてしまった。がおかしい事に、先生はその時例の膝を叩いて僕もそう思うと云われたので、大いに恐縮した。
ある時窓から首を出して、遥かの下界を忙しそうに通る人を見下しながら、君あんなに人間が通るが、あの内で詩の分るものは百人に一人もいない、可愛相なものだ。いったい英吉利人は詩を解する事のできない国民でね。そこへ行くと愛蘭土人はえらいものだ。はるかに高尚だ。――実際詩を味う事のできる君だの僕だのは幸福と云わなければならない。と云われた。自分を詩の分る方の仲間へ入れてくれたのははなはだありがたいが、その割合には取扱がすこぶる冷淡である。自分はこの先生においていまだ情合というものを認めた事がない。全く器械的にしゃべってる御爺さんとしか思われなかった。
けれどもこんな事があった。自分のいる下宿がはなはだ厭になったから、この先生の所へでも置いて貰おうかしらと思って、ある日例の稽古を済ましたあと、頼んで見ると、先生たちまち膝を敲いて、なるほど、僕のうちの部屋を見せるから、来たまえと云って、食堂から、下女部屋から、勝手から、一応すっかり引っ張り回して見せてくれた。固より四階裏の一隅だから広いはずはない。二三分かかると、見る所はなくなってしまった。先生はそこで、元の席へ帰って、君こういう家なんだから、どこへも置いて上げる訳には行かないよと断るかと思うと、たちまちワルト・ホイットマンの話を始めた。昔ホイットマンが来て自分の家へしばらく逗留していた事がある――非常に早口だから、よく分らなかったが、どうもホイットマンの方が来たらしい――で、始めあの人の詩を読んだ時はまるで物にならないような心持がしたが、何遍も読み過しているうちにだんだん面白くなって、しまいには非常に愛読するようになった。だから……
書生に置いて貰う件は、まるでどこかへ飛んで行ってしまった。自分はただ成行に任せてへえへえと云って聞いていた。何でもその時はシェレーが誰とかと喧嘩をしたとか云う事を話して、喧嘩はよくない、僕は両方共好きなんだから、僕の好きな二人が喧嘩をするのははなはだよくないと故障を申し立てておられた。いくら故障を申し立てても、もう何十年か前に喧嘩をしてしまったのだから仕方がない。
先生はそそっかしいから、自分の本などをよく置き違える。そうしてそれが見当らないと、大いに焦きこんで、台所にいる婆さんを、ぼやでも起ったように、仰山な声をして呼び立てる。すると例の婆さんが、これも仰山な顔をして客間へあらわれて来る。
「お、おれの『ウォーズウォース』はどこへやった」
婆さんは依然として驚いた眼を皿のようにして一応書棚を見廻しているが、いくら驚いてもはなはだたしかなもので、すぐに、「ウォーズウォース」を見つけ出す。そうして、「ヒヤ、サー」と云って、いささかたしなめるように先生の前に突きつける。先生はそれを引ったくるように受け取って、二本の指で汚ない表紙をぴしゃぴしゃ敲きながら、君、ウォーズウォースが……とやり出す。婆さんは、ますます驚いた眼をして台所へ退って行く。先生は二分も三分も「ウォーズウォース」を敲いている。そうしてせっかく捜して貰った「ウォーズウォース」をついに開けずにしまう。
先生は時々手紙を寄こす。その字がけっして読めない。もっとも二三行だから、何遍でも繰返して見る時間はあるが、どうしたって判定はできない。先生から手紙がくれば差支があって稽古ができないと云うことと断定して始めから読む手数を省くようにした。たまに驚いた婆さんが代筆をする事がある。その時ははなはだよく分る。先生は便利な書記を抱えたものである。先生は、自分に、どうも字が下手で困ると嘆息していられた。そうして君の方がよほど上手だと云われた。
こう云う字で原稿を書いたら、どんなものができるか心配でならない。先生はアーデン・シェクスピヤの出版者である。よくあの字が活版に変形する資格があると思う。先生は、それでも平気に序文をかいたり、ノートをつけたりして済している。のみならず、この序文を見ろと云ってハムレットへつけた緒言を読まされた事がある。その次行って面白かったと云うと、君日本へ帰ったら是非この本を紹介してくれと依頼された。アーデン・シェクスピヤのハムレットは自分が帰朝後大学で講義をする時に非常な利益を受けた書物である。あのハムレットのノートほど周到にして要領を得たものはおそらくあるまいと思う。しかしその時はさほどにも感じなかった。しかし先生のシェクスピヤ研究にはその前から驚かされていた。
客間を鍵の手に曲ると六畳ほどな小さな書斎がある。先生が高く巣をくっているのは、実を云うと、この四階の角で、その角のまた角に先生にとっては大切な宝物がある。――長さ一尺五寸幅一尺ほどな青表紙の手帳を約十冊ばかり併べて、先生はまがな隙がな、紙片に書いた文句をこの青表紙の中へ書き込んでは、吝坊が穴の開いた銭を蓄るように、ぽつりぽつりと殖やして行くのを一生の楽みにしている。この青表紙が沙翁字典の原稿であると云う事は、ここへ来出してしばらく立つとすぐに知った。先生はこの字典を大成するために、ウェールスのさる大学の文学の椅子を抛って、毎日ブリチッシ・ミュージアムへ通う暇をこしらえたのだそうである。大学の椅子さえ抛つくらいだから、七志の御弟子を疎末にするのは無理もない。先生の頭のなかにはこの字典が終日終夜槃桓磅礴しているのみである。
先生、シュミッドの沙翁字彙がある上にまだそんなものを作るんですかと聞いた事がある。すると先生はさも軽蔑を禁じ得ざるような様子でこれを見たまえと云いながら、自己所有のシュミッドを出して見せた。見ると、さすがのシュミッドが前後二巻一頁として完膚なきまで真黒になっている。自分はへえと云ったなり驚いてシュミッドを眺めていた。先生はすこぶる得意である。君、もしシュミッドと同程度のものを拵えるくらいなら僕は何もこんなに骨を折りはしないさと云って、また二本の指を揃えて真黒なシュミッドをぴしゃぴしゃ敲き始めた。
「全体いつ頃から、こんな事を御始めになったんですか」
先生は立って向うの書棚へ行って、しきりに何か捜し出したが、また例の通り焦れったそうな声でジェーン、ジェーン、おれのダウデンはどうしたと、婆さんが出て来ないうちから、ダウデンの所在を尋ねている。婆さんはまた驚いて出て来る。そうしてまた例のごとくヒヤ、サーと窘めて帰って行くと、先生は婆さんの一拶にはまるで頓着なく、餓じそうに本を開けて、うんここにある。ダウデンがちゃんと僕の名をここへ挙げてくれている。特別に沙翁を研究するクレイグ氏と書いてくれている。この本が千八百七十……年の出版で僕の研究はそれよりずっと前なんだから……自分は全く先生の辛抱に恐れ入った。ついでに、じゃいつ出来上るんですかと尋ねて見た。いつだか分るものか、死ぬまでやるだけの事さと先生はダウデンを元の所へ入れた。
自分はその後しばらくして先生の所へ行かなくなった。行かなくなる少し前に、先生は日本の大学に西洋人の教授は要らんかね。僕も若いと行くがなと云って、何となく無常を感じたような顔をしていられた。先生の顔にセンチメントの出たのはこの時だけである。自分はまだ若いじゃありませんかといって慰めたら、いやいやいつどんな事があるかも知れない。もう五十六だからと云って、妙に沈んでしまった。
日本へ帰って二年ほどしたら、新着の文芸雑誌にクレイグ氏が死んだと云う記事が出た。沙翁の専門学者であると云うことが、二三行書き加えてあっただけである。自分はその時雑誌を下へ置いて、あの字引はついに完成されずに、反故になってしまったのかと考えた。
この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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