『実はあの曲が超大事だった!関ジャム流 平成音楽史』 2019年4月21日(日)放送内で紹介した平成を代表する曲たち
まもなく改元。これに伴い各ラジオ・テレビでも平成を振り返る名曲特集が放送されていますが、『関ジャム』では少しだけ切り口を変えて、『実はあの曲が超大事だった!関ジャム流 平成音楽史』の大特集が4月21日に放送!
解説ゲストは3名。
ヒャダイン
番組の解説ゲストとしてはもうお馴染み。ニコニコ動画に”ヒャダイン”名義で動画投稿し、ゲームのBGMをアレンジし自作の詞で歌った曲はネット上で徐々に広がりJ-POPやアイドル・アニソンなど幅広いジャンルの楽曲を手掛ける。ジャニーズ関連、ももいろクローバーZ、私立恵比寿中学、でんぱ組.incなどヒット曲を多数生み出しながら、その巧みな話術や頭の回転の速さを駆使してタレントとしても大活躍。
スガシカオ
デビュー20周年を迎える音楽界の求道者。タイトルのインパクトがすごすぎる最新アルバム『労働なんかしないで 光合成だけで生きたい』が4月17日にリリースしたばかり。努力、苦労、挫折などを人一倍経験してきたスガシカオの存在は、今までの、そして今後の音楽界にとっての財産。
松尾潔
早稲田大学在学中にR&B/HIPHOPを主な対象として執筆を開始。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後プロデュースした平井堅、CHEMISTRYにミリオンセラーをもたらして彼らをスターダムに押し上げた。その他、プロデューサー、ソングライターとしてEXILE、JUJU、由紀さおり、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲制作に携わる。
番組では、平成の音楽史・ヒット曲を並べつつ解説ゲストと、コメントゲストで登場する有識者が挙げる『実はあの曲が超大事だった!』という楽曲を紹介。「関ジャム」ならではの抜群の解説&深堀りで納得の名曲達を是非改めて聴いてください。
【平成前半で松尾潔 が挙げる大事な曲】
「DA.YO.NE」(94年・平成6年)/EAST END × YURI
(作詞:作詞:GAKU-MC、Mummy-D 作曲:YOGGY)
【推薦ポイント】
ヒップホップがメジャーではなかった平成初期。当時ヒップホップはアイドルファンから一番遠い音楽だったが、アングラなヒップホップとメジャーなアイドルの組み合わせがアリなんだと気付かされた曲。また、サンプリングという技法もこの曲がきっかけ。(元ネタはジョージ・ベンソン「Turn Your Love Around」)。日本人制作によるヒップホップCDで初となるミリオンセラーを記録し、各地方の方言verもリリースされるほど。さらに、アイドル×ラップという相性の良さのきっかけにもなり、安室奈美恵「Chase the Chance」、SPEED「Body & Soul」などでもこのヒットに起因してラップが起用されたといわれている。
<「DA.YO.NE」各地方Ver一覧>
「DA.BE.SA」/ NORTH END x AYUMI from SAPPORO(北海道弁バージョン)
「DA.CHA.NE」 / NORTH EAST x MAI from SENDAI(東北弁バージョン)
「DA.GA.NE」 / CHUBU END x SATOMI from NAGOYA(名古屋弁バージョン)
「HO.JA.NE」 / OYSTER END x YUKA from HIROSHIMA(広島弁バージョン)
「SO.TA.I」 / SOUTH END x YUKA from FUKUOKA(博多弁バージョン)
【平成前半でヒャダイン が挙げる大事な曲】
「これが私の生きる道」(96年・平成8年)/PUFFY
(作詞・作曲:奥田民生)
【推薦ポイント】
TK(小室哲哉)サウンド、ビーイングサウンド全盛時代に、「キーが高くない」「上手く歌おうとしていない」というPUFFYのスタイルが斬新で、これがカラオケ文化の幅を広げたと推測。プロデュースした奥田民生ならではの「脱力感」が女性にも見事にハマった。逆に、この脱力している感じがカッコ良くみえる時代でもあった。
【平成前半でスガシカオ が挙げる大事な曲】
「幸せであるように」(90年・平成2年)/FLYING KIDS
( 作詞・作曲:浜崎貴司、編曲:FLYING KIDS)
【推薦ポイント】
「三宅裕司のいかすバンド天国」で注目を浴びた。この楽曲はそれまでの日本のファンクはお笑いやエンタメの要素が強かった歴史の中、ファンクと文学的な歌詞を融合させ、ファンクをポップミュージックまで押し上げた。スガシカオは当時自分やりたいことを全部やられたと感じ、「もうやることないじゃん」と、しばらく音楽をやめたという。
<「三宅裕司のいかすバンド天国」出演の主なバンド>
・FLYING KIDS
・ジッタリン・ジン
・BEGIN
・たま
・BLANKEY JET CITY
【平成前半で松尾潔 が挙げる大事な曲(R&B部門)】
「Choo Choo TRAIN」(91年・平成3年)/ZOO
(作詞:佐藤ありす、作曲:中西圭三)
【推薦ポイント】
大人数グループの先駆け的存在。また、ボーカルとダンサーの分業制を打ち出して成功した最初の例とも言える。音楽的にはサビをコーラスにするR&Bの様式美に忠実で、さらに女性ボーカルがサビでは歌わないという斬新さある。歌詞では英語の日本語の折衷具合がもはや語感のみを重要にしており、内容は意味不明という驚きの点も。この後にブームとなるtrfやm-floにつながるルーツがここにあった。
【音楽プロデューサー本間昭光 が挙げる平成30年で大事な曲】
「罪と罰」(00年・平成12年)/椎名林檎
( 作詞・作曲:椎名林檎)
【推薦ポイント】
ドラムとベースを極限まで歪ませるアレンジと、みんなが一緒になって歌えるメロディー。だけどそれがまったく古くない。椎名林檎がデビューした1998年はaiko、浜崎あゆみ、MISIA、宇多田ヒカルとともに今も活躍する女性ヒットアーティストが多く世に出た年だった。
【ピエール中野(凛として時雨)が挙げる平成30年で大事な曲】
「チョコレイト・ディスコ」(07年・平成19年)/Perfume
( 作詞・作曲:中田ヤスタカ)
【推薦ポイント】
女性グループはビジュアルを売りにするグループが多かった中、Perfumeは楽曲のクオリティー・パフォーマンス共にレベルの高いものを打ち出し、「ストイックでかっこいい」という新しい女性ユニットの形を生み出した。
【アニソン評論家 冨田明宏が挙げる平成30年で大事な曲】
「Agape」(04年・平成16年)/メロキュア
( 作詞・作曲:岡崎律子、編曲:西脇辰弥)
【推薦ポイント】
『残酷な天使のテーゼ』とともに平成アニソン大賞を受賞した曲。テレビアニメ「円盤皇女ワるきゅーレ」挿入歌であり、主題歌やオープニング/エンディング曲ではないにもかかわらず本気で作られているのがひしひしと伝わり、アニソンのレベルの底上げをしたきっかけの作品と言っても過言ではない
【平成後半で松尾潔 が挙げる大事な曲】
「My Gift to You」(02年・平成14年)/CHEMISTRY
(作詞:小山内舞 and S.O.S. / 作曲:S.O.S. )
【推薦ポイント】
音楽の聴き方が変わる最初の曲と言っても過言ではない、世界初の着うたソング。再生は30秒のみだった。当時は場を盛り上げるBGMとしてダウンロードされていたのかもしれないが、その後着うたフルができ、マスタリング時には携帯電話で聞きやすい音に調整した時代だった。音楽の聴き方はカセットテープからMDになりCD-Rになりダウンロードになり、そして今サブスクリプション配信に移り変わっている。
【平成後半でスガシカオ が挙げる大事な曲】
「ドレスを脱げ」(13年・平成25年)/ゲスの極み乙女。
(作詞・ 作曲:MC.K )
【推薦ポイント】
全く意味不明で様々なジャンルをごちゃ混ぜにしながらも、結果的にはなんとなく1個のジャンルを確立する方程式を川谷絵音は持っていると、嫉妬にも似たような表現で絶賛。普通だったらこの後の2作目は作れないし、ポップソングにならないが、川谷絵音はそれを成し遂げられることが新しかった。
【平成後半でヒャダイン が挙げる大事な曲】
「メルト」(07年・平成19年)/supercell feat.初音ミク
(作詞・作曲:ryo 編曲:Yasuo Matsumoto )
【推薦ポイント】
ボカロの最初の曲としてsupercell feat.初音ミクでみんなでプロデュースすることでボカロPが増えたきっかけになった。さらに”歌い手”というボカロ曲を肉声で歌う文化もできた源流がここにあった。現在ではヒットチャートにボカロが登場することが珍しく、米津玄師も「ハチ」名義でボカロPとして活躍していたのは有名な話。これらを知らないのは”遅れている”のではなく、音楽の聴き方の多様化と、趣味の細分化が理由でもある。この技術の発達によってプロの道が大きく広がったとも言われている。