うえだひでひととは? わかりやすく解説

うえだひでひと

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 12:59 UTC 版)

うえだ ひでひと(本名:植田 秀仁(読みは左記と同一)、1953年11月3日 - 2015年6月28日)は、日本男性アニメーション演出家アニメーション監督山梨県出身。「植田 秀仁」「ウエダ ヒデヒト」「綴爆(すぺるばく=スピルバーグのもじり)」「舞刀満」「鳥南乃」名義での活動もある。

経歴・人物

漫画家志望で、國學院大學在学中の1975年11月7日に研修生としてタツノコプロへ入社。作画も志望ではあったが、翌年3月に大学を卒業して正社員採用されると、演出部へ配属、同時採用の真下耕一と共に『タイムボカン』班の演出助手(第33話「ビックリ! 天女は宇宙人だペッチャ」)を務めることとなり、これがキャリアのスタートとなる。

同期の真下耕一、西久保瑞穂や2年遅れて入社した押井守らと「タツノコ四天王」と呼ばれ、演出部長の笹川ひろし総監督の下で『科学忍者隊ガッチャマンII』の演出を共同で担当した。以後、スタッフの流出が相次いだ1980年代のタツノコプロを演出家として支えたが、1987年にフリーに転じる。

その後も演出家として敏腕を振るっていたが、2015年6月30日の小山高生の公式サイトで、1年半前から体調を崩して闘病生活に入っており、癌のため同月28日に逝去したことが公表された[1]。享年61。

エピソード

『逆転イッパツマン』に登場する国分寺の屋台「うえだ屋」の親父のモデル。

パチスロ貴族 銀』の題字も書いている。

作品リスト

※特に表記がないものは、うえだひでひと名義での参加。

テレビアニメ

1975年
1976年
1977年
1978年
1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2014年

OVA

1988年
1989年
1990年
  • 毎日が日曜日(監督・脚本)
1991年
1992年
1993年
1997年
1999年
2003年
2004年
2007年

その他

1994年
  • オサムとムサシ(宝塚手塚治虫記念館上映作品)(演出)

脚注

関連項目





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