アラブ民族主義の高まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 01:23 UTC 版)
「イラク王国」の記事における「アラブ民族主義の高まり」の解説
19世紀の末、オスマン帝国とイランが衰え西洋列強による侵略がすすむと、アラブでは民族主義が高まりを見せた。第一次世界大戦が勃発すると、アラブ地域の独立運動が戦争と並行して進み、イギリスはオスマン帝国への牽制として、メッカの太守であるフサイン・イブン・アリーとイギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンとの間でフサイン=マクマホン協定が結ばれ、戦争協力と引き換えにアラブ地域の独立を約束した。こうして1916年6月アラブの独立を宣言したメッカの太守ハーシム家の指導によるアラブ反乱が起きた。このアラブ反乱軍は1917年7月にアカバを、12月にはエルサレムを攻略し、1918年10月にはダマスカスに入城した。
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