アルベルト・ジラルディーノとは? わかりやすく解説

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アルベルト・ジラルディーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/22 15:42 UTC 版)

アルベルト・ジラルディーノ
2010年のジラルディーノ
名前
愛称 ジラ (Gila)
ラテン文字 Alberto Gilardino
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 (1982-07-05) 1982年7月5日(41歳)
出身地 ビエッラ
身長 184cm
体重 79kg
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 右足
ユース
コッサテーゼイタリア語版
1996-1997 ビエッレーゼイタリア語版
1997-1999 ピアチェンツァ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2000 ピアチェンツァ 17 (3)
2000-2002 ヴェローナ 39 (5)
2002-2005 パルマ 96 (50)
2005-2008 ミラン 94 (36)
2008-2012 フィオレンティーナ 118 (48)
2012-2014 ジェノア 50 (19)
2012-2013 ボローニャ (loan) 36 (13)
2014-2015 広州恒大 14 (5)
2015 フィオレンティーナ (loan) 14 (4)
2015-2016 パレルモ 33 (10)
2016 エンポリ 14 (0)
2017 ペスカーラ 3 (0)
2017-2018 スペツィア 16 (6)
通算 544 (199)
代表歴
2000-2004  イタリア U-21 30 (19)
2004-2013 イタリア 57 (19)
監督歴
2018-2019 レッツァート(TD兼任アシスタント)
2019-2020 FCプロ・ヴェルチェッリ
2020-2021 シエーナ
2021 シエーナ
2022 ジェノア プリマヴェーラ
2022- ジェノア
獲得メダル
男子競技サッカー
2004 男子競技サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アルベルト・ジラルディーノAlberto Gilardino, 1982年7月5日 - )は、イタリアピエモンテ州ビエッラ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。愛称は「ジラ」。

経歴

クラブ

6歳で生まれ故郷のASコッサテーゼ1946の下部組織に入団。その後FCVビエッレーゼ=ヴィリャーノの下部組織を経て、1997年にピアチェンツァ・カルチョに入団。2000年1月6日に17歳でトップチームデビュー。2000年3月25日、SSCヴェネツィア戦でプロ初ゴールを記録した。

2000年7月1日にピアチェンツァとの共同保有の条件でエラス・ヴェローナFCへ移籍。2002-03シーズンにはパルマFCへ移籍。当初は出番が少なかったが、2002-03シーズン終了後にアドリアーノアドリアン・ムトゥらが移籍した事で出場機会が増えた。2003-04シーズンには定位置を確保し23得点を記録、アンドリー・シェフチェンコに次ぐ得点ランキング2位(イタリア人では1位)という結果で終え、その知名度が一気に高まる。

2005年7月17日、ACミランに移籍。移籍当初は先発メンバーの座を奪取していた。しかし自身の伸び悩みやロナウドの加入、フィリッポ・インザーギの復活やアレシャンドレ・パトの台頭によって徐々に出場機会が減少。

2008年5月28日に、出場機会を求めてパルマ時代の恩師チェーザレ・プランデッリ監督が指揮するACFフィオレンティーナへの移籍が決定した。

移籍後初のシーズンとなった2008-09シーズンでは、相次ぐ主力の離脱に苦しむチームの中にありながらもリーグ戦19ゴールとチームを牽引し、チャンピオンズリーグ出場権獲得に大きく貢献した。また、この活躍やイタリア代表の監督にマルチェロ・リッピが再就任したこともあり代表にも復帰した。

2008年10月18日に行われたセリエA第7節レッジーナ戦に於いて、途中交代ながら2ゴールを決め、セリエA通算100ゴールを達成した。

2012年1月3日、ジェノアCFCに移籍。しかし14試合で4ゴールに留まり、クラブは最後まで残留争いに巻き込まれリーグ17位に終わった。2012年8月31日、マルコ・ボリエッロの加入に伴いマルコ・ディ・ヴァイオの後釜としてボローニャFCにレンタル移籍。

2014年7月11日、広州恒大足球倶楽部に移籍した[1]。背番号は38番を着用。

2015年1月26日、買い取りオプション付きレンタルで古巣のフィオレンティーナに復帰[2]。レンタル期間は2015年6月までとなっていた[3]。シーズンを終えオプションは行使されず広州恒大にも復帰しなかったが、2015年8月27日にUSチッタ・ディ・パレルモへ移籍することを発表した。

2016年7月7日にエンポリFCへ加入したが、スタメン出場は5試合で無得点と苦戦。翌年1月9日にクラブとの契約を解除し、シーズン後半はセリエA最下位に沈むデルフィーノ・ペスカーラ1936でプレーした[4]

2017-18シーズンはヴェネツィアFC移籍の噂もあったが無所属のまま開幕を迎える。2017年10月3日、セリエBのスペツィア・カルチョとの契約が発表された[5]。13試合6得点を記録したが、シーズン終了後に1年間残っていた契約を解除。2018年9月に現役を引退した[6]

代表

2004年のUEFA U-21欧州選手権ではダニエレ・デ・ロッシらとともに出場して優勝し、大会最優秀選手に輝いた。

同年のアテネオリンピックでは4得点を挙げ、U-23イタリア代表の銅メダル獲得に貢献した。この大会でイタリア代表はグループステージで日本代表と戦ったことから、日本におけるジラルディーノの存在が知れ渡ることになった。大会直前に、中村俊輔(当時セリエA・レッジーナ・カルチョ所属)が「イタリアのオリンピック代表チームで一番注意しなくてはいけないのはジラルディーノ」と断言したことも、その名前が日本に浸透する一因となった。

2004年8月30日にはイタリア代表に初選出され、9月4日ノルウェー戦(パレルモ)で代表デビューを飾った。同年10月13日ベラルーシ戦で代表初ゴールを記録した。

2006 FIFAワールドカップでは5試合に出場し1得点1アシストを記録、チームの24年振りのワールドカップ優勝に貢献した[7]

EURO2008には前述の所属クラブのACミランでの不調により、メンバーには選出されなかった。

2009年10月10日のW杯予選アイルランド戦において試合終了間際の同点ゴールでチームのW杯出場を決めると、続く10月14日キプロス戦では2点リードされた状態から3ゴールを決め逆転に貢献。代表では自身初のハットトリックを達成した。

2010 FIFAワールドカップ本大会では2試合に先発出場するも得点を挙げることができず、チームもグループリーグで大会を去ることとなった[8]

指導歴

2018年9月27日、UEFAのA級ライセンスを取得[9]。10月7日、セリエDに所属するSDLレッツァートACのアシスタントコーチ及びテクニカルディレクターに就任した[10]

22-23シーズンからジェノアのプリマヴェーラの監督に就任。12月にトップチームの監督のアレクサンダー・ブレシンが成績不振で解任されたことによりトップチームの監督(暫定)に就任すると、成績を回復させ2位フィニッシュで1シーズンでのセリエA復帰に導いた。

エピソード

個人成績

クラブでの成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯 期間通算
出場得点 出場得点 出場得点
イタリア リーグ戦 イタリア杯 期間通算
1999-00 ピアチェンツァ セリエA 17 3 0 0 17 3
2000-01 セリエB 0 0 3 2 3 2
ヴェローナ 30 セリエA 22+2 3+0 0 0 24 3
2001-02 9 17 2 2 1 19 3
2002-03 パルマ 18 24 4 2 1 26 5
2003-04 11 34 23 2 0 36 23
2004-05 38+1 23+1 1 0 40 24
2005-06 ミラン 34 17 3 2 37 19
2006-07 30 12 4 2 34 14
2007-08 30 7 1 0 31 7
2008-09 フィオレンティーナ 35 19 1 0 36 19
2009-10 36 15 3 0 39 15
2010-11 35 12 1 0 36 12
2011-12 12 2 1 1 13 3
ジェノア 82 14 4 0 0 14 0
2012-13 0 0 1 1 1 1
ボローニャ 10 36 13 1 0 37 13
2013-14 ジェノア 36 15 1 1 37 15
2014 広州恒大 超級 14 5 1 1 15 6
2014-15 フィオレンティーナ セリエA 14 4 0 0 14 4
2015-16 パレルモ 11 33 10 1 1 34 11
2016-17 エンポリ 3 0 0 0 3 0
2017-18 スペツィア セリエB 16 6 0 0 16 6
通算 イタリア セリエA 514 188 27 11 541 199
イタリア セリエB 16 6 3 2 19 8
中国 超級 14 5 1 1 15 6
総通算 544 199 31 14 575 213

試合数


イタリア代表国際Aマッチ
出場得点
2004 4 1
2005 8 4
2006 11 4
2007 2 0
2008 5 1
2009 9 6
2010 6 1
2011 2 0
2012 0 0
2013 10 2
通算 57 19

代表での得点

 #  日時 場所 対戦相手 スコア 最終結果 大会
1. 2004年10月13日 パルマ  ベラルーシ 4–3 Win 2006 FIFAワールドカップ予選
2. 2005年2月9日 カリャリ  ロシア 2–0 親善試合
3. 2005年8月17日 ダブリン  アイルランド 1–2
4. 2005年10月12日 レッチェ  モルドバ 2–1 2006 FIFAワールドカップ予選
5. 2005年11月12日 アムステルダム  オランダ 1–3 親善試合
6. 2006年3月1日 フィレンツェ  ドイツ 4–1
7. 2006年4月30日 ジュネーブ  スイス 1–1 Draw
8. 2006年6月17日 カイザースラウテルン  アメリカ合衆国 1–1 2006 FIFAワールドカップ
9. 2006年9月6日 サンドニ  フランス 1–3 Lose UEFA EURO 2008予選
10. 2008年8月20日 ニース  オーストリア 2–2 Draw 親善試合
11. 2009年6月10日 プレトリア  ニュージーランド 4–3 Win 親善試合
12. 4–3
13. 2009年10月10日 ダブリン  アイルランド 2–2 Draw 2010 FIFAワールドカップ予選
14. 2009年10月14日 パルマ  キプロス 1–2 Win
15. 2–2
16. 3–2
17. 2010年9月7日 フィレンツェ  フェロー諸島 1-0 UEFA EURO 2012予選
18. 2013年5月31日 ボローニャ  サンマリノ 2-0 親善試合
19. 2013年9月6日 パレルモ  ブルガリア 1-0 2014 FIFAワールドカップ予選

タイトル

クラブ

ミラン
広州恒大

代表

個人

脚注

関連項目

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