アレクサンドロスの北伐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 02:40 UTC 版)
マケドニアのアレクサンドロス3世(在位:紀元前336年 - 紀元前323年)は東方遠征に先立ち、隣国のトラキア人とトリバッロイ人を征討した。このマケドニア軍の猛攻にトラキア人とトリバッロイ人は敗れて潰走し、イストロス河中のペウケという川中島に避難した。アレクサンドロスはその川中島に上陸を試みたが危険と判断し、代わってイストロス河対岸のゲタイ人討伐にかかった。対するゲタイ人はすでに大軍を率いて川岸の土手に集結し、マケドニア軍を待ち構えていたが、アレクサンドロスの一夜による渡河作戦と騎兵隊による突撃に怯み、イストロス河からおよそ1パラサンゲス(約5.3キロメートル)離れた彼らの町に逃げ込んでしまった。しかし、マケドニア軍が騎兵隊を差し向けて急進撃してくると聞いたゲタイ人たちは、その町を放棄し、運べる限りの女子供を馬の背に乗せてできるだけ遠くの荒野を目指して去っていった。その後、トリバッロイ王のシュルモスや周辺諸民族からアレクサンドロスのもとへ和親の使者が送られた。
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