アンナ・グウォグフスカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 09:45 UTC 版)
アンナ・グウォグフスカ Anna głogowska | |
---|---|
アンナ(右)と夫ルートヴィヒ2世、夫の最初の妃マリー(中央) | |
出生 | 1250/2年 |
死去 | 1271年6月25日 |
配偶者 | バイエルン公ルートヴィヒ2世 |
子女 | マリア ルートヴィヒ |
家名 | シロンスク・ピャスト家 |
父親 | グウォグフ公コンラト1世 |
母親 | サロメア・オドニツヴナ |
アンナ・グウォグフスカ(ポーランド語:Anna głogowska, 1250/2年 - 1271年6月25日)は、グウォグフ公コンラト1世とサロメア・オドニツヴナの長子。バイエルン公ルートヴィヒ2世の2番目の妃。ドイツ語名はアンナ・フォン・グロガウ(Anna von Glogau)。
家族
アンナの父方の祖父母は、ヘンリク2世敬虔公とその妃アンナ・プシェミシリトカ、母方の祖父はヴィエルコポルスカ公ヴワディスワフ・オドニツである。また、弟妹にシレジア=グロガウ公ヘンリク3世、ゲルツ伯アルブレヒト1世と結婚したエウフェミア、コンラト2世ガルバティ、および戦死したプシェムコがいる。
結婚
1260年、アンナはバイエルン公ルートヴィヒ2世と結婚した[1]。ルートヴィヒ2世にとって、マリー・ド・ブラバンとの最初の結婚に次ぐ2度目の結婚であったが、ルートヴィヒ2世はマリーが不倫をしていると信じてマリーを処刑した。ルートヴィヒ2世と最初の妃マリーとの間には子供がいなかった。
ルートヴィヒ2世とアンナとの間には2子が生まれた。
アンナの息子ルートヴィヒはバイエルン公になるはずであったが、馬上槍試合において父に先だって亡くなった。アンナ自身も1271年に死去した。夫ルートヴィヒ2世はマティルデ・フォン・ハプスブルクと結婚した。マティルデは2男を産み、次男が神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世となる。
脚注
- ^ Kersken 2021, p. 218.
参考文献
- Kersken, Norbert (2021). “Poland and the Polish People in Late Medieval German Historiography”. Germans and Poles in the Middle Ages. Brill
- アンナ・グウォグフスカのページへのリンク