アンナ・ツィレイスカとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 后妃 > ポーランドの后妃 > アンナ・ツィレイスカの意味・解説 

アンナ・ツィレイスカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/24 06:21 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
アンナ・ツィレイスカ
Anna Cylejska
ポーランド王妃
アンナと夫ヴワディスワフ
在位 1402年 - 1416年

出生 1381年
死去 1416年5月21日
ポーランド王国クラクフ
埋葬 ポーランド王国クラクフヴァヴェル大聖堂
配偶者 ポーランド王ヴワディスワフ2世
子女 ヤドヴィガ
家名 ツェリェ家
父親 ツェリェ伯ヴィルヘルム
母親 アンナ・カジミェジュヴナ
テンプレートを表示

アンナ・ツィレイスカポーランド語:Anna Cylejska, 1381年 - 1416年5月21日)は、リトアニア大公を兼ねたポーランド王ヴワディスワフ2世ヨガイラの2番目の妃。スロヴェニア語名はアナ・ツェリスカ(Ana Celjska)。

生涯

スロヴェニアのツェリェ伯ヴィルヘルムと、ポーランド王カジミェシュ3世の娘アンナとの間に生まれた。同族の従妹に神聖ローマ皇帝ジギスムントの2番目の妃バルバラがいる。

1399年、ヴワディスワフ2世の最初の妃で、アンナの又従姉にあたるヤドヴィガ女王が急死すると、ヴワディスワフ2世はポーランド王国の相続権を持つ女性との結婚に迫られた。すでに50歳を過ぎていた国王は1402年、16歳のアンナと再婚した。母親であるツェリェ伯夫人アンナは、生まれてくる孫のためにポーランドにおける影響力を強めようと画策した。王妃アンナは1408年に王女ヤドヴィガを出産したが、1416年に亡くなった。娘ヤドヴィガも早くに死亡したため、ピャスト朝の流れをくむ後継者をこの結婚によって得ようとしたヴワディスワフの狙いは、果たされぬまま終わった。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アンナ・ツィレイスカ」の関連用語

アンナ・ツィレイスカのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アンナ・ツィレイスカのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアンナ・ツィレイスカ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS