アヴィニョン - カルパントラ - コルシカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 03:05 UTC 版)
「ジャン・アンリ・ファーブル」の記事における「アヴィニョン - カルパントラ - コルシカ」の解説
1840年にファーブルはアヴィニョンに滞在していた時に、そこの師範学校で学生を募集していることを知り、入学試験を受け首位で合格する。3年後には師範学校を首席で卒業、1842年の春、小学校上級教員免状を取得した。その後、もう一段上の仕事へ付くために、独学で数学と物理、化学をも習得した。しかし、こんな間にも昆虫のことは頭から離れなかった。 カルパントラのビクトル・ユーゴー学院で数学と物理学の教師になり、1844年、21歳で同じ学院の教師である2歳年上のマリー・セザリーヌ・ヴィアーヌと結婚する。両親はこの結婚に酷く反対した。この時期に最初の娘と息子を儲けるも、幼いうちに亡くしている。その後コルシカ島の大学に進み数学を研究しながらも、昆虫学に傾倒していく。
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