インターナショナルF3リーグとは? わかりやすく解説

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インターナショナルF3リーグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/10 05:27 UTC 版)

1990年度勝者のミハエル・シューマッハレイナードF903・VW

ユーロ-マカオ-ジャパン チャレンジカップ インターナショナルF3リーグEURO-MACAU-JAPAN CHALLENGE CUP INTERNATIONAL F3 LEAGUE )は、かつて存在したフォーミュラ3 (F3) の国際レース。通称「インターF3リーグ」。1990年から1993年まで日本の富士スピードウェイで計4回開催された。

概要

ヨーロッパ各国F3のヤングドライバー達が参戦するマカオグランプリから1週間後、マカオの市街地コースから富士の高速コースへと舞台を移し、全日本F3選手権の選手も交えて「F3世界一決定戦第2ラウンド[1]」を行うという趣旨のもと発足した。インターTECと同じくビクトリー・サークルクラブ (VICIC) とフジテレビが共催し、決勝の模様はフジテレビ系列で録画放送された。また、全日本F3のシリーズスポンサーである松下電器産業(パナソニック)が冠スポンサーとなった。

大会初代ウィナーのミハエル・シューマッハを始めとして、のちにF1CARTなどのトップカテゴリで名を成すドライバーが数多く参戦した。本大会に出走したジャック・ヴィルヌーヴエディ・アーバインミカ・サロリカルド・リデルミハエル・クルムペドロ・デ・ラ・ロサらはこの大会参戦を契機に日本のレーシングチームとの接点が生まれ[2]、全日本F3や全日本F3000に参戦することになる。

エントリー台数は多い時には60台以上に達し、富士名物のロングストレートを蛇行しながらスリップストリームを使い合い、コーナーでは数台が並んでブレーキング競争を仕掛けるという激しいバトルを展開した。また、トップスピードを稼ぐためにリアウィングを外すマシンが現れ、日本のレース関係者を驚かせた[3]。大会のレベルは高かったが、各国のF3トップランカーの集結といえど当時の日本ではまだ一般的な知名度がない選手が中心のラインナップ、富士の裾野で気温が冷え込む11月末開催というハンディもあって観客動員は最高でも4万人程度に留まっていたこと、バブル崩壊直後の景気の冷え込みによる大会スポンサーの減少、それに伴い運営側による欧州チームの渡航費負担が困難となるなど要因が重なり[4]、1993年の第4回大会を最後に終了した。

開催方式

  • タイヤはブリヂストンのワンメイク(※マカオGPはヨコハマのワンメイク)。
  • 海外選手はマカオGPの順位、全日本F3選手はその年のランキングをもとに、A組・B組に振り分ける。
  • 決勝前日(土曜)に各組の予選を行い、決勝日(日曜)午前にそれぞれ15周の選抜トーナメントレースを行う。
  • 各選抜レースの上位12名(計24名)は決勝進出が決定。12位以下の中から予選順位が上の3名(計6名)も救済され、24+6=30名により20周の決勝レースが行われる。
  • 各選抜レース1位のフィニッシュタイムを比較し、早い方の組がイン側(ポールポジション・3・5・7…)、遅い方の組がアウト側(2・4・6・8…)のグリッドに並ぶ。
  • アクシデントにより赤旗中断となった場合は、2ヒートの合計タイムで順位を決定する。

大会勝者

決勝日 ドライバー マシン 所属選手権
1 1990年12月2日 ミハエル・シューマッハ レイナードF903・VW ドイツF3
2 1991年12月1日 ホルディ・ヘネ ラルトRT35・無限 イギリスF3
3 1992年11月29日 ロベルト・コルチアーゴ ダラーラF392・オペル イタリアF3
4 1993年11月28日 トム・クリステンセン トムス033F・トヨタ 全日本F3

出場した主なドライバー

姓50音順。括弧内は獲得したシリーズタイトル、もしくはマカオGPやマスターズF3での優勝。その後F1経験者は(F1)と明記。

エピソード

  • 第1回(1990年)は前週のマカオGPで優勝争いの果てに接触したミハエル・シューマッハとミカ・ハッキネンの再戦として注目された(参照)。シューマッハは選抜レースA組1位、決勝優勝と活躍したが、ハッキネンは選抜レースB組でクラッシュに巻き込まれて0周リタイアに終わり、決勝進出もならなかった。
  • 第1回の選抜レースB組1位、決勝の序盤でシューマッハとトップ争いを演じたスティーブ・ロバートソンは、レーサーを引退後にキミ・ライコネンのマネージャーとなる[5]。ライコネンはシューマッハの後釜として2007年フェラーリに加入した。
  • 1991年は全日本F3000第8戦決勝が台風の影響で延期となり、第2回インターF3リーグの予選日(11月30日)に振り替え開催となった。この時の観客数37,200人[6]がインターF3リーグの最多入場記録となった。

脚注

  1. ^ 1991年にはオランダのザントフォールトでマールボロマスターズ(マスターズF3)も始まり、F3のカップ戦が年3回となった。
  2. ^ 「もうひとりのミカ」インタビュー ミカ・サロ Racing On No.193 90-93頁 1995年6月9日発行
  3. ^ "YOKOHAMAが贈るアルミホイールの世界 vol.3 ドライバーとして培った"経験と知識"". 横浜ゴム. 2013年9月29日閲覧。
  4. ^ F3選手権の歴史 1995車両規定変更 オートスポーツ No.709 12-16頁 三栄書房 1996年9月1日発行
  5. ^ クイズ! 日本の名レース写真100選!! 問題001 - オートスポーツweb(2010年2月9日)2012年9月24日閲覧。
  6. ^ 大会結果 - 日本自動車連盟 2012年9月24日閲覧。

参考文献

  • 『日本の名レース100選 Vol.035 '90 インターF3リーグ』 イデア、2006年、ISBN 9784779600241
  • 『日本の名レース100選 Vol.066 '91 FUJI INTER / インターF3リーグ』 イデア、2012年、ISBN 9784779615054 

関連項目

外部リンク


インターナショナルF3リーグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 09:27 UTC 版)

全日本F3選手権」の記事における「インターナショナルF3リーグ」の解説

詳細は「インターナショナルF3リーグ」を参照 「F3世界一決定戦」とも呼ばれるマカオグランプリ出場した各国F3の精鋭達をそのまま来日させて富士スピードウェイレースを行うという、ビクトリーサークルクラブ(VICIC)のアイデアを基に開催された。全日本選手権には含まれない大会自体国内レース関係者多大な影響与えた上に、深夜枠ながらレースフジテレビジョン放送されたが、出場するのは翌年翌々年にF1に参戦するような有望株ミカ・ハッキネンミハエル・シューマッハデビッド・クルサードオリビエ・ベレッタ井上隆智穂高木虎之介など)ながらも、参戦時には一般に無名若手選手であり、そういった選手サーキットまで足を運んで観戦するような人は少なく1990年から1993年までの4回の開催をもって幕を閉じた

※この「インターナショナルF3リーグ」の解説は、「全日本F3選手権」の解説の一部です。
「インターナショナルF3リーグ」を含む「全日本F3選手権」の記事については、「全日本F3選手権」の概要を参照ください。

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