ウマイヤ朝との講和
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 06:20 UTC 版)
「ユスティニアノス2世」の記事における「ウマイヤ朝との講和」の解説
685年、父の死により即位する。彼が即位した時、ウマイヤ朝は第二次内乱の最中であった。ユスティニアノスはレバノン山地にいた原住民のマルダイテス人を利用してシリアでゲリラ活動を行わせた。さらに688年にはキレナイカ地方のバルカを艦隊が急襲してイスラーム軍の指揮官を殺戮している。これらに苦慮したウマイヤ朝のカリフ・アブドゥルマリクは688年にユスティニアノス2世と和睦を結んだ。この時マルダイテス人の多くは小アジア半島南部へ移住させられた。またキプロスはこれ以降東ローマ帝国とイスラーム勢力の共有地となる。この状態はバシレイオス1世時代の一時期を除いて10世紀後半まで続いた。
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