エジプト国内での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 21:36 UTC 版)
パレルモ石に記録されているエジプト国内でのサフラーの行動の大半は本質的に宗教に関するものである。石は彼の治世第5年の恐らくヘリオポリスの聖なる艀の建設と、王によって定められたラー、ハトホル、ネクベト、ウアジェトに対する日々の供物の正確な量、そして様々な神殿への寄進について述べている。考古学的な証拠は、サフラーの建築活動が彼は自身のピラミッドを建設したアブシールに集中している事を示している。そのすぐそばに恐らく彼の太陽神殿が位置していた 。この太陽神殿は第5王朝時代に作られた2番目の太陽神殿であり、未だ位置が特定されていない。その神殿はパレルモ石にある奉献碑文で知られており、「セケト・ラー(Sekhet Re)」とよばれていた。これは「ラーの平野」と言う意味である。かつて神殿を飾ったレリーフのある石灰岩のブロックが僅かにサフラーの4代後の後継者ニウセルラーの葬祭殿に埋め込まれているのが発見されている。これは、石灰岩のブロックが太陽神殿の建設時に残っていたか、或いはそれが未完成であったためニウセルラーがサフラーの神殿を建設資材の採石場として利用していたことを示している。 サフラーの「ウェトジェス・ネフェル・サフラー(Uetjes Neferu Sahure サフラーの栄光は天へと昇る)」と呼ばれていた王宮は、2011年2月にネフェルエフラーの葬祭殿で発見されたヘットの容器に刻まれた碑文から知られている。その神殿は恐らくアブシール湖の湖岸にあった。エルカブ(英語版)では2015年に王の名前を持つ彫像の断片が発見された。 南エジプト、下ヌビアのアブシンベルの北西にある閃緑岩の採石場で、サフラーの名前がある碑文が発見された。更に南でも、サフラーのカルトゥーシュが、トゥマス(Tumas)の落書きやナイル川第2急湍(英語版)のブヘン(英語版)で発見された印影から見つかっている。
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