エミール・シニョル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/18 08:36 UTC 版)
エミール・シニョル Émile Signol | |
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シニョル作「1099年の十字軍によるエルサレムの占領」(1847) | |
生誕 | 1804年5月8日 パリ |
死没 | 1892年10月4日 (88歳) モンモランシー |
エミール・シニョル(Émile Signol、1804年5月8日 - 1892年10月4日)は、フランスの画家である。新古典派のスタイルの画家で[1]、宗教画や歴史画を描いた。
略歴
パリで生まれた。パリ国立高等美術学校で、メリー=ジョゼフ・ブロンデルやアントワーヌ=ジャン・グロに学んだ[2]。1824年からパリのサロンに出展し、1829年にローマ留学の奨学金が得られるローマ賞を受賞した。1835年までローマに滞在し、音楽部門のローマ賞を受賞しローマに留学中の作曲家のエクトル・ベルリオーズの肖像画も描いている。
1842年に完成したマドレーヌ教会の壁画を制作し、その後、サン=ロック教会(Église Saint-Roch)やサン=セヴェラン教会(Église Saint-Séverin)、サントゥスタッシュ教会(église Saint-Eustache)、サントーギュスタン教会(Église Saint-Augustin)の装飾画を描いた[2] 。
1860年に芸術アカデミーの会員に選ばれ、1841年にレジオンドヌール勲章(シュバリエ)、1865年にレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲した[2] 。
シャルル・グレールとともにパリ国立高等美術学校やエコール・デュ・ルーヴルで教え、シニョールの指導を受けた学生には、エティエンヌ=プロスペル・ベルン=ベルクール、マリー・ブラックモン、エドゥアール・カストレ(Edouard Castres)、エドモン・グランジャン(Edmond Grandjean)、ジャン=ジュール=アントワーヌ・ルコント・デュ・ヌイ、ジュール・ルイ・マシャール(Jules Louis Machard)、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、ピエール=オーギュスト・ルノワールらがいる。
作品
エクトル・ベルリオーズ(1832)
ヴィラ・メディチ蔵第2回十字軍を勧誘する説教を行う聖ベルナール
脚注
参考文献
- Schwartz, Emmanuel (2005). The Legacy of Homer: Four Centuries of Art from the École Nationale Supérieure Des Beaux-Arts, Paris. Yale University Press. ISBN 0300109180
- Viardot, Louis (1883). The masterpieces of French art illustrated: being a biographical history of art in France, from the earliest period to and including the Salon of 1882, Volume 1
- The Hector Berlioz Website
- Guggenheim Hermitage Museum
- エミール・シニョルのページへのリンク