キリスト教社会運動
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19世紀の労働者の貧困問題については、1848年革命やマルクス主義よりも、キリスト教社会運動が解決に大きく貢献した。1837年4月25日に国際法学者で議員のヨゼフ・ブスが「工場演説」で労働時間の短縮、日曜労働の禁止などの動議を提出した。1840年代にはケルンのアドルフ・コルピングが職人組合運動を開始、カトリック労働者同盟が組織された。1862年、ヴェストハーレン農民組合が結成された。 1848年のリヒノフスキー侯爵とアウアスヴァルト将軍暗殺事件についてマインツ司教ケテラーは、犯人は気高い朴訥なドイツ国民ではなく、キリスト教をあざ笑い、口汚く罵っている者、革命を原理として家庭を破壊しようとしている者、邪神の前に国民を拝ませようとしている者こそが真犯人であると演説し、評判になった。「労働者の司教」と呼ばれたマインツ司教ケテラーは、1864年の『労働者問題とキリスト教』で労働者窮乏化の原因を労働に対する資本の優位に求め、1869年の演説で、フランス革命以降、国民経済が各国へ浸透した結果、労働者は自由になったが孤立し、労働者が肉体しか持たない一方で、金銭は大金持ちに集中し、資本は適性に配分されていないし、ロスチャイルド家とはこうした国民経済の産物であり、労働者は恐るべき悲惨な境遇に陥ると述べ、労働時間の短縮、安息日の確保、児童労働の禁止、女性・少女の工場労働の禁止を要求した。 当時は、労働者運動はキリスト教社会運動が主導していたが、マルクスが1875年にドイツ社会主義労働者党のゴータ綱領を批判、特に1891年のエルフルト綱領を革命的ではなくて改良主義的で日和見主義であると批判して以降、マルクス主義が労働者運動の主導権を握っていった。ケテラーは未完の原稿で、ゴータ綱領について、労働者の状況を改善する実践的な要求、結社の自由などに賛成する一方で、人工的で強制的な設計による結社では、サンジュストの「立法の任務は、こうあれ、と自分たちが望むように人間を造りかえることにある」という言葉のように、自分たちを理性の化身とし、敵は無知蒙昧の反理性であり、人間改造を受け入れない者は抹殺されてしまうため、結社は自生的なものでなければならないし、また労働者の結社は政治扇動や夢想ではなく、経済的改善を目指すべきであると批判した。ケテラーはゴータ綱領は、具体的で実践的な要求が後退しているし、労働者の求めていない空想的な制度転覆やユートピアの夢想、そして暴力は暴力を呼び、不当であり、憎悪と報復の上に築かれた社会は自己崩壊するとして、労使協調を訴えて批判した。また、ケテラーは社会主義はすべての人が充分な餌を与えられる完全な福祉国家を提唱するが、それは奴隷国家であり、家畜小屋には精神的な自由も行動の自由もないと批判した。 キリスト教社会運動は、1880年に労働者福祉会、1882年全ドイツ的農民組合、1890年ドイツ・カトリック国民協会を結成し、カトリック国民協会は1913年には会員87万人でドイツ最大規模の団体になった。他方、反ユダヤ主義を掲げキリスト教社会党を結党したアドルフ・シュテッカー、またオーストリア・キリスト教社会党を率いたカール・ルエーガーもキリスト教社会運動の影響を受けた。 1891年、レオ13世が回勅『レールム・ノヴァールム(新しき事:資本主義の弊害と社会主義の幻想)』。この社会回勅で、労働者の境遇について意見され、また社会主義と対決するため,私的所有権を堅持し、市場による需給調整の欠陥を社会政策で補うとされた。20世紀の1967年に教皇パウロ6世は私有権は無条件の権利でも絶対的な権利もないとし、1981年には教皇ヨハネパウロ2世は回勅「働くことについて」で「資本と所有に対する労働の優位」を語った。
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