キングウィリアム島とは? わかりやすく解説

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キングウィリアム島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 02:12 UTC 版)

キングウィリアム島の位置
キングウィリアム島の衛星写真

キングウィリアム島(King William Island)は、カナダヌナブト準州内、キティクメオト地域に属する。面積は13,111km2。人口は1,349人(2021年)。

東にはジェイムズロス海峡とレイ海峡を挟んでブーシア半島があり、西にはヴィクトリア海峡の向こうにヴィクトリア島がある。南には幅3km程度のシンプソン海峡を挟んでアデレード半島がある。南西にはクイーン・モード湾がある。

1830年スコットランド人の北極探検家ジョン・ロスは当時のイギリス国王ウィリアム4世の名前をこの島に付けた。

1847年6月にイギリスの北極探検家ジョン・フランクリンがキングウィリアム島の付近で死亡した。彼が率いた探検隊(フランクリン遠征隊)は1845年5月に北西航路探検航海に2隻のイギリス海軍の艦船で出発し、同年7月にバフィン湾で目撃されたのを最後に行方不明になっていた。1859年になって捜索隊がキングウィリアム島でフランクリン隊が残した文書を発見し、フランクリン隊の船がキングウィリアム島で二冬の間氷に閉じ込められフランクリンらが死亡したこと、残りの隊員は船を捨てたがキングウィリアム島からカナダ本土への行軍中に全滅したことが確認された。一行が用いた2隻の船は、2014年および2016年に島の沖合の海底から発見されている[1][2]

1903年ノルウェーの極地探検家ロアール・アムンセン(後に初めて南極点に到達)は、ヨア号(Gjoa)で北西航路探検航海を行っていたが海氷で先に進めなくなり、島の南東海岸に22ヶ月の間滞在してイヌイットの極北での生きる術を学んだ。この場所には現在は島唯一の集落であるGjoa Haven(グジョア・ヘイヴン)がある。

出典


キングウィリアム島(1994年–1995年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 00:48 UTC 版)

フランクリン遠征」の記事における「キングウィリアム島(1994年1995年)」の解説

1994年ウッドマンリチャード・コリンソン入り江からビクトリーポイントまでの陸地調査するチーム組織し率いて行った。これは当時イヌイット猟師スプンガーの証言で「地下貯蔵所」の存在伝えられていたからだった。10人のチーム10日間を費やし王立カナダ地理学会が後援しCBCカナダ放送協会)の「フォーカス・ノース」が撮影した地下貯蔵所の跡はみつからなかった。 1995年ウッドマン、ジョージ・ホブソン、およびアメリカ冒険家スティーブン・トラフトンが合同遠征チーム作り各隊が別々の調査計画していた。トラフトンの隊はクラレンス島行ってイヌイットの「白人ケアン」の話を調査したが、何も見つからなかった。ホブソン博士の隊には考古学者のマーガレット・バーチュリも同行し、ケープ・フェリックスの南数マイル見つかった「サマーキャンプ」調査しフランクリン隊の小さな遺物幾らか見つかったウッドマン2人仲間連れて、ウォールベイから南にビクトリーポイントに進みこの海岸沿いで宿営地になった可能性のある場所を全て探した。このときケープ・マリアルイザ近く未発見だった宿営地で、錆びた缶を僅かに発見した

※この「キングウィリアム島(1994年–1995年)」の解説は、「フランクリン遠征」の解説の一部です。
「キングウィリアム島(1994年–1995年)」を含む「フランクリン遠征」の記事については、「フランクリン遠征」の概要を参照ください。

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