クルサード金貨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/12 07:25 UTC 版)
「クルサード (ポルトガルの貨幣)」の記事における「クルサード金貨」の解説
最初のクルサード金貨が鋳造されたのは国王アルフォンソ5世時代の1457年であり、名前の通り、裏面はシンプルな十字(cruz)をあしらっている。金の含有率は1000分の989であり、これは当時のイタリア半島諸国で鋳造されて国際的に流通していたドゥカート金貨との競争を意識した物だった。 裏面の十字架は、 オスマン帝国に対する十字軍に加わり、 コンスタンティノープルを解放するという教皇カリストス3世の訴えに対する回答の一部だった。1458年の教皇の死によって軍事計画は放棄された。 アルギン島からポルトガルに流れる金に裏打ちされた通貨は、80年以上にわたってポルトガルの主要な商業通貨となり、 キリスト教世界だけでなくイスラム教世界でも受け入れられた。 アフォンソ5世の治世では、クルサード金貨は253レアルの価値があった。 1472年には324レアルになった。1489年、ジョアン2世時代は380レアルの価値がありました。 1496年、マヌエル1世時代では、390レアル。 1517年は400レアルの価値があった。その鋳造は1555年に終わったが、安定した通貨として人気があったクルサード金貨はポルトガルイーザ(ドイツ語: Portugaleser)の名でドイツ(主にハンブルク造幣局)で模倣品が鋳造され、北ドイツやバルト海沿岸地域で流通していた。
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