ケンカ十段の異名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 05:19 UTC 版)
劇画空手バカ一代で、ケンカ十段という異名と池袋で10数人とケンカした武勇伝を、原作者の梶原一騎は芦原英幸のものとして紹介したが、後年、男の星座で、実は安田英治の事だと訂正し、誌面で発表している。実際のところ、安田によるとケンカした場は池袋ではなく浅草で、友人が7、8人のヤクザにからまれていた事からケンカが始まり、あとからヤクザに助っ人が10人ほどきて、大騒ぎになったという。 大山倍達はその喧嘩ぶりと強さを「安田英治は強かった。学生チャンピオンでもあった。同時に喧嘩のコツを心得ていたし、喧嘩におけるところの阿吽の呼吸をよく理解していた。彼の喧嘩についての考え方を聞いた事があるが、喧嘩におけるところの美学、芸術としての喧嘩を考えていた。浅草の喧嘩は六区ができて以来、初めてだという大きな喧嘩だった。なにしろ警察が感心するほどに鮮やかだった。普通、喧嘩というと、互いに血を流して修羅場のような状況になるが、安田は素手で戦って、自分も相手も殆ど血を流さなかった。これが本当の喧嘩だろう。喧嘩というものは、相手に血を流させないで、気絶をさせて勝つものだ。それが喧嘩の美学である。安田英治の喧嘩がまさにそれだった。彼と同じころ入門し、同じ歳で体重も身長も同じ人間がいたが、組手をやらせたら大人と子供であった。全く問題にならない。それほど強かった」と評している。
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