サマルカンドの開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 04:40 UTC 版)
ティムールは都に定めたサマルカンドに強い愛着を抱いており、多くの施設を建設した。モスク、マドラサ、武器工房が建設され、灌漑水路も整備された。大規模な工事現場にはティムール自身も視察に現れ、建築家や商人を叱咤激励した。ティムール統治中のサマルカンドにおける代表的な建築物として、グーリ・アミール廟、ビービー・ハーヌム・モスクが挙げられる。また、サマルカンド近郊にはソルターニーイェ、シーラーズ、バグダードなどの西方の都市の名前を冠した村が建設された。村の中にはミスル(カイロ)、ダマスカス、バグダードといったかつて存在したイスラム国家の首都の名前を持つものもあり、命名の裏にはそれらの古都でさえもサマルカンドの威光には及ばないことを示す意図があったと思われる。 さらにティムールは交易を奨励するためにバザールと隊商宿(キャラバンサライ)の建設、道路の修繕を行い、サマルカンドは東西交易の一大中継地点へと発展した。 サマルカンド、ひいてはマー・ワラー・アンナフル全体の発展のため、ティムールは経済力の高い都市へと遠征した。征服地からは財産と物資がかき集められ、都市に居住していた学者、芸術家、職工がサマルカンドに連行された。サマルカンドに連行された人々は住まいを与えられ、活動に必要な資金が貸し付けられた。イラン、シリア、中国から呼び寄せた職人も加わってサマルカンドの手工業は発達するが、人材の流出を防ぐために職人の中央アジア外への移動は厳しく制限されていた。 また、サマルカンドが発展した一方で、ティムールによって多くの人材が連行されたダマスカスでは数世紀にわたって技術と文化の発展が停滞した。
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