サンフレッチェ広島社長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 07:14 UTC 版)
2007年12月8日、サンフレッチェ広島のJ1・J2入れ替え戦の第2戦が広島ビッグアーチで行われ、広島のJ2降格が決定した。試合終了後、当時球団社長だった久保はロッカールームに入り、当時監督だったミハイロ・ペトロヴィッチに直接監督継続を要請した。ペトロヴィッチは降格の責任を取って辞任するつもりだったが、決定直後の状況下で要請してきたクラブの心意気に感動し継続を決意、異例の監督続投となった。これが奏功して主力の流出を最小限にとどめ、翌年のJ2を席巻、J1昇格、そしてその後のチームの成熟へと繋がった。 久保は後のインタビューで、やっているサッカーが間違っていないこと、ペトロヴィッチが選手に慕われているため、監督を替えることより継続を選んだ、と話している。なお、降格の責任は久保以下フロントスタッフが役員降格等でおこなっている。
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