ソーボワ治世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 02:51 UTC 版)
マンラーイ王の子孫らはソーボワ(英語版)(藩王)として代々チャイントン藩を世襲統治してきた。19世紀のビルマがイギリス領インド帝国編入後も、シャン州英国人弁務長官のもと、引き続きソーボワによる自治が認められた。1905年、当時のソーボワ・サオ・コン・キャオ・インタレンによって、ノントゥン湖畔に西洋風の宮殿が築かれた。1942年に日本軍のビルマ侵攻を受けた後、チャイントン藩はタイ王国に割譲された。戦後、パンロン協定でシャン州各藩とともに、ソーボワ制存続と自由離脱権限を条件にビルマ連邦へ加入するが、後のアウンサン暗殺と1962年の軍事クーデターにより、その取り決めは反故にされ、ソーボワ制は終焉した。チャイントン藩最後のソーボワ・サオ・サイ・ロン(タイ語版)は軍事政権によって投獄された後に釈放されたが、故郷チャイントンに帰らぬまま首都ヤンゴンで死去した。1991年、ミャンマー政府によりノントゥン湖畔の宮殿も爆破・解体された。
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