ソ連崩壊とは? わかりやすく解説

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ソれん‐ほうかい〔‐ホウクワイ〕【ソ連崩壊】


ソビエト連邦の崩壊

(ソ連崩壊 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/02 04:48 UTC 版)

ソビエト連邦の崩壊(ソビエトれんぽうのほうかい、ソ連崩壊[1])とは、1988年エストニアによる主権宣言から1991年ソビエト連邦最高会議による連邦解散宣言にかけてソビエト社会主義共和国連邦が内部分裂を起こし、単一の主権国家としての存続を終了した出来事である。


  1. ^ ソ連とは何だったのか あの「崩壊」から30年、大著で迫る全体像:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2022年7月10日閲覧。
  2. ^ (ロシア語) Declaration № 142-Н of the Soviet of the Republics of the Supreme Soviet of the Soviet Union, formally establishing the dissolution of the Soviet Union as a state and subject of international law.
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  6. ^ ロシア、欧米と深い亀裂 25日でソ連崩壊30年―権威主義を強化、軍事的圧力:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2022年7月12日閲覧。
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  12. ^ "Who Lost Russia?", The New York Times, October 8, 2000
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  17. ^ Breslauer, George (2002). Gorbachev and Yeltsin as Leaders. Cambridge: Cambridge University Press. pp. 274–275. ISBN 978-0521892445 
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ソ連崩壊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 06:30 UTC 版)

エドゥアルド・シェワルナゼ」の記事における「ソ連崩壊」の解説

1991年8月クーデターでは、いち早くホワイトハウス駆け込みエリツィン支持独裁反対訴えクリミア半島フォロスの別荘軟禁状態にあったゴルバチョフ救出することに成功したクーデター後アレクサンドル・ベススメルトヌイフ外相後任には、クーデター批判的な態度鮮明にした駐チェコスロバキア大使ボリス・パンキン就任したが、パンキン政治手腕ソ連外交主導するためには余りにも不安だったため、再びシェワルナゼ外相復帰した。しかし、シェワルナゼらの努力虚しく、ソ連崩壊とともに外相辞任した

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ソ連崩壊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 14:40 UTC 版)

ロシアの宇宙開発」の記事における「ソ連崩壊」の解説

ロシア連邦ソ連中核であったロシア・ソビエト連邦社会主義共和国中心に生まれた国家である。ソ連崩壊によって、旧ソ連諸国混乱しており、ロシアの経済大きく沈降していた。このあおりは、ロシアの宇宙開発費にも直撃した。これによってブラン計画など多く宇宙開発中止となったまた、クルスなど一部技術ソ連構成国だったウクライナのものとなり、バイコヌール宇宙基地カザフスタンになったこのためウクライナクルス値段吊り上げることが可能になり、バイコヌールには貸借料が発生するようになった。これはロシア固有の自動ドッキングシステムの喪失であり、後に開発中であったTORUによるミールでの事故にもかかわっている。 予算的にミール独力で維持ができなかったため、大型宇宙ステーション計画の進むアメリカ共同シャトル・ミール計画行った。これはアメリカから宇宙開発費を手に入れ大きな手段となったが、アメリカではロシア資金流しているだけという批判大きく1998年まで終了したまた、ミール行き宇宙旅行アメリカのミールコープ(英語版)で行われる予定であったが、ミール放棄決定し2001年3月23日太平洋上に落下した。 新宇宙ステーション計画 (ミール2(英語版)) があったもののこれも予算からは厳しくミール2用に開発したモジュール利用して多国間共同開発の進むISS参加することになった1998年11月20日にその始めとしてザーリャ打ち上げられミール2のコアモジュールとなる予定であったズヴェズダ2000年7月12日打ち上げられた。ISSではミールから使われているアンドロジナスドッキング機構プログレスでの輸送使われた。 宇宙探査ではロシアとして初の火星探査計画マルス96があったものの、これは打ち上げ失敗した

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ソ連崩壊

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スペツナズ」の記事における「ソ連崩壊」の解説

ソ連末期からその崩壊にかけてスペツナズは、大規模騒擾分離主義集団鎮圧のためにソ連各地投入されることとなった1980年代末から1990年代初めにかけ、第173支隊オセチア・イングーシ紛争時に北オセチア共和国バクーならびにナゴルノ・カラバフ自治州投入された。1992年、第22独立特殊任務旅団北カフカーズ軍管区移管された。 1992年モスクワ軍管区旅団の2個支隊秩序維持のためタジキスタン共和国派遣された。1988年から1989年にかけ、ザカフカーズ軍管区の第12特殊任務旅団の3個支隊は、アゼルバイジャンのザカタリ地区及びトビリシ市における秩序維持参加し1991年ナゴルノ・カラバフ州及び北オセチア投入された。1991年ドイツ駐屯していたスペツナズ旅団撤収し、沿ヴォルガ軍管区移管された。 ソ連崩壊後ソ連軍分割結果CIS諸国には、以下の部隊移管された。 ウクライナ10独立特殊任務旅団ロシア語版)(オデッサ軍管区クリミア):現ウクライナ特殊作戦軍第3独立特殊任務連隊ウクライナ語版、ロシア語版) 第9独立特殊任務旅団ロシア語版)(キエフ軍管区キロヴォグラード):1992年に第50特殊訓練分遣隊ウクライナ語版)として再編されるも、2013年解隊。 第8独立特殊任務旅団ロシア語版)(沿カルパチア軍管区、イジャスラヴリ):現ウクライナ特殊作戦軍第8独立特殊任務連隊ウクライナ語版、ロシア語版ベラルーシ第5独立特殊任務旅団ベラルーシ語版、ロシア語版英語版ウズベキスタン15独立特殊任務旅団ロシア語版): 第459独立特殊任務中隊:現独立特殊任務支隊 特殊任務教育連隊 1992年10月1日ヴィリニュス市に駐屯していた第4独立特殊任務旅団解散された。ペチョーラ特殊任務教育連隊解散された。1992年7月25日、第901独立空中襲撃旅団と第218独立特殊任務大隊に基づき空挺軍第45独立特殊任務連隊編成された。

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ソ連崩壊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 08:49 UTC 版)

超大国」の記事における「ソ連崩壊」の解説

1991年ソ連崩壊した後、米国唯一の超大国として残る一極集中型の世界であると考えられ米国に「極超大国(hyperpower)」という言葉使われるようになった。この言葉は、1990年代後半フランスユベール・ヴェドリーヌ外相広めたのであるが、アメリカこのように分類することの妥当性には議論がある。 この理論反対する著名な人物としてサミュエル・P・ハンティントンがおり、彼はこの理論否定して多極的な勢力均衡支持している。ヘンリー・キッシンジャーのような国際関係論者は、西ヨーロッパ日本など、かつてアメリカ支配していた地域にはソ連脅威がもはや存在しないため、冷戦終結後アメリカの影響力は低下しているにすぎないとしている。なぜなら、そのような地域はもはや保護を必要とせず、アメリカと必ずしも似たような外交政策とらないからである。

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ソ連崩壊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 06:40 UTC 版)

社会主義国」の記事における「ソ連崩壊」の解説

1953年ソ連及び社会主義陣営絶対的な影響力持っていたソ連最高指導者ヨシフ・スターリン死去すると、1950年代半ば以降社会主義諸国の間でもさまざまな紛争起こり軍事負担西側経済封鎖影響もあり、「共産主義一枚の岩の如き団結」という宣伝短期間崩壊した社会主義国同士は「近い未来、共に共産主義実現せよ」と言いながら、1956年スターリン批判とハンガリー動乱米ソ平和共存路線反対する形での中ソ対立1968年ソ連チェコスロバキアへ軍事介入1978年からのソ連のアフガニスタン侵攻1979年中越戦争などに激突していた。 他方資本主義諸国では、アメリカ合衆国ニューディール政策イギリスの福祉国家更には北欧諸国社会民主主義政策など、教育水準の向上が社会流動性もたらし社会保障等の福祉制度充実生産力の向上が、貧困克服一定の社会成熟安定もたらした。この背景には、国際的に国内的に社会保障面で社会主義勢力対抗する必要があったこと、各国社会民主主義勢力役割などが挙げられる1980年代後半にはソ連共産党による体制消耗見せベルリンの壁崩壊などの東欧諸国民主化ペレストロイカ経て1991年にはソ連崩壊した重し外れたヨーロッパ社会主義国次々社会体制改め、現在ヨーロッパにはソ連型社会主義国は残っていない。

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ソ連崩壊

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ナゴルノ・カラバフ自治州」の記事における「ソ連崩壊」の解説

その後5月頃にはゴスプランにも変化生じたため、アゼルバイジャン側はこれを利用して自治州経済を完全に掌握することに成功した一方で5月アルメニア最高会議選挙自治州にも選挙区置いた反面9月アゼルバイジャン最高会議選挙自治州での実施不可となっていた。2国内ではアゼルバイジャン人民戦線アルメニア全国民運動などの民族主義政党が力を伸ばし衝突激しさ増していった。1991年夏にモスクワ発生した保守派クーデター失敗に終わると、その直後8月30日アゼルバイジャン共和国が、9月21日アルメニア共和国が、相次いでソ連からの独立宣言したアルメニア人たちは、今や独立国家化したアゼルバイジャン対し領土主張を行うことで国際的な非難を受けることを恐れた。そこで、自治州ソビエトシャウミャノフスク地区ソビエト合同しアゼルバイジャン独立から3日後の9月2日歴史家のアルトゥル・ムクルトチャン(アルメニア語版)を初代元首として、独立国家ナゴルノ・カラバフ共和国」となることを宣言した一方新生アゼルバイジャン議会はこれに対しナゴルノ・カラバフにおける自治制度を廃止するとともに行政区画解体しステパナケルトもかつての名称であったハンケンディ」へ戻すことを11月26日決議した (en)。 しかし、ナゴルノ・カラバフでは12月10日独立是非を問う住民投票国際監視員立会いのもと(しかし、アゼルバイジャン人関与しない形で)実施され、総投票数10万8736票(投票率にして82.5パーセント)のうち、賛成10万8615票、反対24票で独立宣言受け入れられた。

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ソ連崩壊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 08:12 UTC 版)

コルホーズ」の記事における「ソ連崩壊」の解説

1991年ソビエト連邦解体されると、コルホーズ存在意義問われるようになったソ連型社会主義からの脱却指向するウクライナなどの各国ではコルホーズ解体され自営農民復活向けた動き進んだ。その一方共同体意識強く残るロシア農村などでは従来コルホーズが形を変えながら維持されているとの指摘もある[誰?]。

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