デウスエクスマキナ
「デウスエクスマキナ」は、古代ギリシアの演劇における物語の展開および演出として多用された手法を指す用語である。今日では小説・映画・マンガ等の創作物語における「ご都合主義的な決着の着け方」の類型を指す語として用いられている。
「デウスエクスマキナ」の基本的な意味
「デウスエクスマキナ」は、本来的には演劇の用語である。物語の収拾がつかなくなった(風呂敷を畳めなくなった)状況において、圧倒的な存在たる「神」を登場させ、神が取り計らったことにして難局を打開してしまう、という決着の着け方を指す。神の思し召しを阻止する者はおらず、神の超越的な力をもってすればいかなる障壁や困難も解消される。ハッピーエンドになりそうにもなかった波乱づくしの物語も、神威によってハッピーエンドを迎えるわけである。
「デウスエクスマキナ」の語源・由来
「デウスエクスマキナ」は、ラテン語の「deus ex machina」をカタカナ表記した表現である。「デウスエクスマキナ」を直訳すると「機械から(機会仕掛けで)登場する神」という意味になる。この呼び名の通り、古代ギリシアの演劇における「デウスエクスマキナ」は、からくり舞台装置を用いて神(に扮した役者)を登場させる手法を典型とした。
現代におけるデウス・エクス・マキナ
今日では「デウスエクスマキナ」は、創作物語全般について、「物語の作者が求める終わり方」と「それまでの話の展開」との間に生じた矛盾を解消するために、作者が導入した、やや無理のある理屈やイベントなどを指す語として用いられることがままある。物語が風呂敷を広げすぎたことで収拾がつかなくなった場合の終え方だけでなく、物語が(打ち切り連載終了などで)不本意に終局を迎える場合のケリのつけ方としても、「デウスエクスマキナ」は用いられやすい。
「デウスエクスマキナ」は基本的には「無理のある展開」として受け止められ、ネガティブな評価を受けやすい。とはいえ、物語の性質・進め方・演出その他の工夫次第では、「デウスエクスマキナ」を上手く活用して好評を得ることも不可能ではない。「デウスエクスマキナ」というステレオタイプを利用して読者の裏をかいたり、ギャグにしたりもできる。
作品によっては「神を模した(あるいは神的能力をもつ)機械式のキャラクター」や「機械を司るキャラクター」の名として「デウスエクスマキナ(機械仕掛けの神)」という呼び名が付けられることもある。
「デウスエクスマキナ(ブランド)」とは
「デウスエクスマキナ」は、オーストラリア発のファッションブランドの名称でもある。モーターサイクルやサーフィン、スケートボードなどの文化を取り入れた製品を手掛けている。Tシャツやキャップをはじめとするカジュアルな品を多く揃える。サーフボードや自動車に貼るステッカーは有名である。同ブランドを愛好する芸能人も少なくない。「デウスエクスマキナ(映画の登場人物)」とは
映画「マトリックス」に登場する「デウスエクスマキナ」は、マシンシティの統括者たる「統合知性体」の呼び名である。機械のパーツを用いて作った、人間の幼児の顔を自らのアバターとして用いている。デウス‐エクス‐マキナ【(ラテン)deus ex machina】
デウス・エクス・マキナ
*関連項目→〔神〕
★1.機械仕掛けの神。苦境にある作中人物の所へ現れて、一瞬のうちにすべてを解決してくれる神。
『オレステス』(エウリピデス) オレステスは、母殺し(*→〔母殺し〕1の『エレクトラ』)の罪で死刑を宣告される。彼は自らの正当性を訴え、自分を助けようとしなかった叔父メネラオスを恨んで、その妻ヘレナを殺し、娘ヘルミネオを人質として、死刑を免れようとする。その時、高所にアポロン神が現れ、ヘレナは無事で天界にいること、オレステスは国外に去ってヘルミネオを妻とすべきことを告げ、メネラオスとオレステスを和解させる。
『タウリケのイピゲネイア』(エウリピデス) イピゲネイアがタウロイの国の神社の巫女となっているところへ、弟オレステスとその友ピュラデスが生贄にされるべく、捕らわれて連れて来られる。イピゲネイアはタウロイの王を欺いて、弟たちとともに船で逃げ、王は怒って後を追おうとする。その時上空に女神アテナが現れ、「すべて神意であり天命であるゆえ、イピゲネイアらをそのままアテナイへ行かせよ」と説く。
『天道さん金ん綱』(昔話) 山姥が、3人の子供のうちの1人を食い、2人が逃げて桃の木の上に登る。山姥も木を登って来るので、子供たちが空を見上げ「天道さん、金ん綱」と呼ぶと、がらがらと音がして天から鉄の鎖が下がる。子供たちは鎖につかまって天に昇る。
*神のごとき存在であるライオンが、猫たちのトラブルを一蹴する→〔猫〕10。
★2.苦境にある作中人物に救いの手を差しのべる、貴人・超人など神のごとき存在。
『廓文章』 遊蕩ゆえ勘当された藤屋伊左衛門が、落ちぶれた紙衣姿で、師走の餅つきの日に吉田屋を訪れ、恋人夕霧に逢う。伊左衛門は、「夕霧が心変わりした」と恨みを言い、2人は痴話喧嘩をする。そこへ、「勘当が許された」との知らせとともに、夕霧を身請けするための千両箱が運びこまれる。
『三文オペラ』(ブレヒト) 盗賊団長マクヒスが乞食頭ピーチャムの娘ポリーと結婚する。ピーチャムは怒って警察にマクヒスの居所を密告し、マクヒスは逮捕されて絞首台に立つ。そこへ女王の使者が来て、マクヒスを恩赦し、さらに、「マクヒスを貴族に任じ、年金を与える」と告げる。
『タルチュフ』(モリエール) 富裕な市民オルゴンは偽善者タルチュフにだまされ、全財産を取り上げられる。さらにタルチュフは、オルゴンを国王陛下に告訴し、警吏を連れて来てオルゴンを逮捕させようとする。しかし国王陛下は、タルチュフが手配中の詐欺師であることを先刻承知だった。警吏は国王陛下から、「オルゴンでなくタルチュフを逮捕せよ」との命令を受けており、オルゴンは危ういところを救われ、財産も失わずにすんだ。
『天守物語』(泉鏡花) 姫路城の天守夫人富姫と姫川図書之助(*→〔鷹〕1b)を討つべく、兵たちが天守閣の最上層へ攻め上る。富姫と図書之助は、獅子頭の母衣(ほろ)に入って、討手に立ち向かう。討手は獅子頭の目をつぶし、それと同時に富姫と図書之助の目も見えなくなる。2人が自害しようとするところへ、老工人近江之丞桃六が現れる。彼が鑿(のみ)で獅子頭の目を開けると、富姫と図書之助の目も開く。
デウス・エクス・マキナ
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デウス・エクス・マキナ(deus ex machina、羅: deus ex māchinā デウス・エクス・マーキナー[注 1])とは、演出技法の一つである。古代ギリシアの演劇において、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させるという手法を指した。
注釈
出典
- ^ 「デウス・エクス・マキナ」 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』 2014、Britannica Japan。
- ^ 佐々木健一 「デウス・エクス・マキナ」 『日本大百科全書』 小学館。
- ^ 手塚治虫 『漫画の描き方 似顔絵から長編まで』1977年,光文社
- ^ “What Happened to Deus ex Machina after Euripides?”. ablemedia.com. 2011年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年11月1日閲覧。
- 1 デウス・エクス・マキナとは
- 2 デウス・エクス・マキナの概要
- 3 由来
- 4 評価
- 5 脚注
デウス・エクス・マキナ
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「センチュリオ」の記事における「デウス・エクス・マキナ」の解説
コンスラーレとインペラトールにのみ実装された機能。3機のコンスラーレ(もしくはインペラトールとコンスラーレ2機)が目標を取り囲む様に移動し、その後目標を中心として広範囲に渡ってナノマシンを散布する。厳密には武装ではなく3機のセンチュリオによる必殺技といえる。フィールド・インペリウムよりも広範囲にナノマシンを散布するため、回避や防御などはまず不可能である。
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デウス・エクス・マキナ
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「WIXOSS DIVA(A)LIVE」の記事における「デウス・エクス・マキナ」の解説
WIXOSSLANDの現トップディーヴァチーム。 エクセル・水無月(エクセル・みなづき) / エクス 声 - 富田美憂 デウス・エクス・マキナのリーダー。明るく自由奔放な性格で、平和と同様に夢限少女に憧れてバトルを始めた。 臼木 ダイナ(うすき ダイナ) / デウス 声 - 峯田茉優 デウス・エクス・マキナのメンバー。チーム最年少ながらチームのブレーンを務める。 空知 真紀奈(そらち まきな) / マキナ 声 - 高柳知葉 デウス・エクス・マキナのメンバー。 チームで一番大人っぽい容姿が特徴。
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デウス・エクス・マキナ
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「プロット・デバイス」の記事における「デウス・エクス・マキナ」の解説
デウス・エクス・マキナ(deus ex machina)という言葉は、物語の結末において、ありえない出来事を利用して、問題となっている状況をすべて解決し、物語を(一般的にはハッピーな)結末に導くことを意味している。 ラテン語の "deus ex machina(デウス・エクス・マキナ)"という言葉は、ギリシア悲劇の慣例に由来しており、劇の終わりに神々を演じる役者をmechane (クレーン)で舞台に降ろす場面や状況を指している。 ギリシャ悲劇詩人のエウリピデスは、絶望的な状況を解決する手段としてこのプロット・デバイスを使ったことで有名である。たとえば、エウリピデスの戯曲『アルケスティス』では、タイトルキャラクターのアルケスティスが、夫のアドメートスの命を助ける代わりに、自分の命を死に捧げることに同意する。しかし、そうすることで、アドメートスは彼女が亡くなった悲しみが消えないことを知り、自分の選択を後悔するようになる。アドメートスは罪悪感と悲しみに襲われ、彼女を引き留めたい、彼女と一緒に死にたいと望むが、子供を育てる義務に縛られてしまう。しかし、最後にヘーラクレースが現れてアルケースティスを死から救い出して彼女を生き返らせ、アドメートスを覆いつくす悲しみから彼を解放する。デウス・エクス・マキナのもう一つの例は、『ホビットの冒険』のガンダルフである。ガンダルフは、無限ともいえる魔法の力を使って、物語における他の主要人物たちを様々なトラブルから救い出す。このプロット・デバイス(デウス・エクス・マキナ)を最初に批判した人物はアリストテレスで、彼は『詩学』の中で、「筋書きにおける問題の解決策は、劇中のそれまでの行動に続いて、内部から生じるものでなければならない」と主張している。
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