トラッキー・トレイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/09 22:58 UTC 版)
「カリフォルニア・トレイル」の記事における「トラッキー・トレイル」の解説
シエラネバダ山脈を越えるトラッキー・トレイル(1844年にスティーブンス・マーフィー幌馬車隊が設立)は約50マイル (80 km) のフォーティマイル砂漠を通ってくる道だった。トラッキー川まで達すると現在のネバダ州ウォズウァース近くでほぼ真北に転じた。移民たちはそこの冷たくて甘い味のする水、草、および何百マイルも進んで来て初めて目にする樹木(ハコヤナギ)の涼しい木陰に感謝した。旅人達は先に進む前に自らと動物達を数日間休養させることが多かった。動物達にとっても木陰と草、さらに苦くなく石鹸の味もしないハンボルト川の水は素晴らしかった。トラッキー・トレイルはトラッキー川に沿って現在のネバダ州リノを過ぎ、西に進んで現在のネバダ州とカリフォルニア州の州境近くでトラッキー・キャニオンに出てきた。このキャニオンはカーソン山脈を越える道の1つだった。この狭く圧するようなキャニオンでは当初岩が詰まり冷たいトラッキー川を27箇所で渡る必要があった。1845年ケレイブ・グリーンウッドとその3人の息子達がトラッキー・キャニオンを迂回し、現在のネバダ州ベルディの町近くで川から離れ北西の谷をドッグ・バレーまで進んで、そこから南西に現在のスタンピードとプロッサー・クリーク貯水池を抜けて下り、現在のカリフォルニア州トラッキー近くで本道に合流する新しい経路を開発した。これは延長が約10マイル (16 km) 長いものだったが、トラッキー川を何度も渡る必要がなくなったので、トラッキー・トレイルの主要路になった。この道はタホ湖の北を通り、ドナー湖にいたってドナー峠(ドナー・パス)の険しい山道を登るものだった。当初の幾つかの経路(シエラネバダ越えのために時間の経過と共に幾つかの経路ができた)では荷車を分解して、動物を使い崖の上から荷車の部品や物資を吊り上げる方法が採られた。幾つかの崖は背の高い樹木を傾けて崖に預け、動物を使って急傾斜面を荷車を曳かせた。全ての経路は多くの動物に荷車を曳かせるか、荷車を分解して上げる必要があった。当初は標高7,000フィート (2,100 m) のドナー峠を越えていた。
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