チューク諸島
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チューク諸島(チュークしょとう、Chuuk Lagoon)は、西太平洋、カロリン諸島内に位置する島々。周囲200キロメートルに及ぶ世界最大級の堡礁・チューク環礁(チュークかんしょう、Chuuk Atoll)と、その中に位置する複数の火山島群からなり、248もの島々が存在する。かつてはトラック諸島(Truk Islands、都洛)またはトラック島と呼ばれていた。
- ^ “An abandoned dream?”. Pacific Island Times. (2022年2月8日) 2022年11月3日閲覧。
- ^ 南洋トラック島の王子来朝 新聞集成明治編年史第八卷、林泉社、1936 - 1940
- ^ 『南洋群島概観』南洋庁長官官房調査課、南洋庁、1938
- ^ 「トラック諸島の旧海軍沈没船、油流出防止を支援」『読売新聞』、2017年7月22日、夕刊。オリジナルの2017年7月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ フォトエッセイ『South-ing JEEP ISLAND』吉田宏司・文、宮地岩根・写真(ISBN 4-88380-589-1、ISBN-13:978-4-88380-589-1)
- ^ 写真集『ジープ島』中村征夫(ISBN 978-488320-411-3)
- 1 チューク諸島とは
- 2 チューク諸島の概要
- 3 自然
- 4 交通
- 5 関連項目
- 6 外部リンク
トラック島
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第三図南丸は太平洋戦争中に数度、米潜水艦の雷撃を受けた。1943年7月24日にティノサ(USS Tinosa, SS-283)の魚雷を受けた際には、ティノサは合計15本の魚雷を発射しそのうち12本が命中したが、魚雷の信管の不良のため、爆発したのは2本のみで、残りは全て不発だった(当時のアメリカ海軍は、信管の不良に悩まされていた)。しかし爆発した魚雷がスクリューにダメージを与えたため自力航行が出来ず、トラック島まで曳航された。損害の大きさから、第三図南丸は油槽船(タンカー)としてではなく海に浮かぶ重油タンクとしてしばらくトラック島にとどまる事になる。なおこの時、船体に魚雷が突き刺さったままの姿が髪にかんざしを差した花魁(おいらん)のようであった事から、「花魁船」と言われた。 トラック島で工作艦明石が長期にわたる修理を実施した結果、1943年11月に再び「船」として復帰し、輸送任務に就くことになった。1944年(昭和19年)2月17日、アメリカ軍によるトラック島空襲に遭遇して被弾炎上し、19日2時10分に沈没した。
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