ナーズム・ヒクメットとは? わかりやすく解説

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ナーズム・ヒクメット

(ナーズム・ヒクメト から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/11 23:13 UTC 版)

ナーズム・ヒクメットNâzım Hikmet, 1901年/1902年[注釈 1] - 1963年6月3日)は、トルコ出身の詩人劇作家共産主義者革命運動家。本名は、メフメト・ナーズム・ラン (Mehmet Nâzım Ran)であり、多種の筆名を使用した[注釈 2]。日本語では、ナズム・ヒクメト・ランナジム・ヒクメットなどとも表記する[注釈 3]


  1. ^ 1901年11月20日に生まれたが、家族と周囲が40日間の差で1歳年上と見なされないよう、1902年1月15日で出生届を提出したため[1]、後者が戸籍上の誕生日である[2]
  2. ^ オルハン・セリム (Orhan Selim)、アドスズ・ヤズジュ (Adsız Yazıcı, 無名文屋)、アフメト・ジェヴァト (Ahmet Cevat)、アフメト・オーウズ・サルーハン (Ahmet Oğuz Saruhan)、ベン (Ben, 私)、ベンデニズ (Bendeniz, 貴方の下僕、臣某)、エルジュメント・エル (Ercüment Er)、フクラジュ (Fıkracı, 噺家)、イブラヒム・サブリ (İbrahim Sabri)、イルハン・コザ (İlhan Koza)、イムザースズ・アダム (İmzasız Adaım, 無署名男)、H.イフサン (H.İhsan)、カルタル (Kartal, 鷹)、マズハル・リュトフィ (Mazhar Lütfi)、ミュムターズ・オスマン (Mümtaz Osman)、オスマン・ジェマル (Osman Cemal)、サル・ムラト (Sarı Murat)、スュレイマン・サブル・ラン (Süleyman Sabur Ran)などの筆名を使用した[2]
  3. ^ このほか、各種資料によりナジム・ヒクメト、ナズム・ヒクメト、ナーズム・ヒクメト、ナズム・ヒクメット、ヒクメト・ランなど。本稿の記事名は現在のトルコ語発音及び近年の出版実績に依った。詳細はノート:ナーズム・ヒクメット参照。
  4. ^ 幼児期に死亡。
  5. ^ セイダー・ヤルトゥルムと結婚しSamiye Yaltırımとなる。
  6. ^ プロシア出身の海軍見習い士官ユリアン・ディートリヒ (ルートヴィヒ・カルル・フリードリヒ・デトロワと記されることもある)だったメフメド・アリとチェルケス・ハーフズの娘アイシェ・スドゥカの間には四人の娘が生まれ、全員がオスマン帝国軍の高級将校と結婚した。長女ハイリイェ (Hayriye)はヒュセイン・ヒュスヌ (Hüseyin Hüsnü Paşa)と結婚し、ニーメト、ムフスィン、タフスィン (メフメト・アリ・アイバルの父)を生み、三女ゼキーイェ・ハティージェ (Zekiye Hatice)はイスマイル・ファーズル (İsmail Fazıl Paşa)と結婚しメフメド・アリとアリ・フアドを生み、四女アドヴィイェ (Adviye)はテヴフィクと結婚した。
  7. ^ 日本語の資料は「1918年に海軍学校を中途退学した」とされている記述が多いが、トルコ側の資料には前述のように卒業の記録が残っており、海軍除籍と混同した誤りである可能性が高い。
  8. ^ ナーズムの伝記を書いたメメト・フアトは、ピラーイェ・ハヌムの連れ子で、父親はメフメト・アリ・パシャの息子ヴェダート・オルフィ (Vedat Örfi Bengü)であった[13]
  9. ^ 訳により『人生のパノラマ』『人間のパノラマ』『わが祖国の人間風景』とも表記。
  10. ^ 訳によりボルゼツキ、ボルゼスキーとも表記。
  11. ^ 訳により『深夜舞い込んだ電報』とも表記。
  12. ^ 訳により『ベドレディンにかんする詩』とも表記。
  1. ^ Memet Fuat, Nâzım Hikmet: Yaşamı, Ruhsal Yapısı, Davaları, Tartışmaları, Dünya görüşü, Şiirinin gelişmeleri, Adam, 2000, ISBN 9789754186321, p. 11. (トルコ語)
  2. ^ a b "Nâzım Hikmet", Tanzimat'tan Bugüne Edebiyatçılar Ansiklopedi, Cilt II, K-Z, Yapı Kredi Yayınları - 1810, İstanbul, 2001, ISBN 975-08-0569-0, p. 709. (トルコ語)
  3. ^ a b c d e f 集英社『世界文学大事典 3』
  4. ^ a b c d e f 『新潮世界文学辞典』
  5. ^ Kemal Sülker, Nâzım Hikmet'in Gerçek Yaşamı, İleri Yayınları, 2005, ISBN 9789756288467, p. 18. (トルコ語)
  6. ^ Osman Selim Kocahanoğlu, "Bir Osmanlı Ailesi ve Ali Fuat Cebesoy", Ali Fuat Cebesoy'un Arşivinden Askeri ve Siyasi Belgeler, Temel Yayınları, İstanbul, 2005, pp. 14-15. (トルコ語)
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m 中本・服部訳『ヒクメット詩集』
  8. ^ Kubilay Dökücü, Çağrı Kıran, Bahriye Mektebi'nde Nazım Hikmet, Pusula, 66, 2010.
  9. ^ a b c 平凡社『世界大百科事典』
  10. ^ a b c "Nâzım Hikmet", Tanzimat'tan Bugüne Edebiyatçılar Ansiklopedi, Cilt II, K-Z, Yapı Kredi Yayınları - 1810, İstanbul, 2001, ISBN 975-08-0569-0, p. 710. (トルコ語)
  11. ^ a b c 草鹿訳『ロマンチカ』
  12. ^ a b 『ブリタニカ国際大百科事典』
  13. ^ memetfuat.com (トルコ語)
  14. ^ a b c d "Nâzım Hikmet", Tanzimat'tan Bugüne Edebiyatçılar Ansiklopedi, Cilt II, K-Z, Yapı Kredi Yayınları - 1810, İstanbul, 2001, ISBN 975-08-0569-0, p. 711. (トルコ語)
  15. ^ a b Nazım Hikmet resmen Türk vatandaşı, Radikal, 10 Ocak 2009. (トルコ語)
  16. ^ Kıymet Coşkun, Yurttaş Nâzım Hikmet, Nâzım Hikmet Kültür ve Sanat Vakfı (トルコ語)
  17. ^ Bakanlar Kurulu Karar Sayısı: 2009/14540, Resmî Gazete, Sayı: 27106, 10 Ocak 2009 Cumartesi. (トルコ語)
  18. ^ 集英社『世界文学大事典 5』


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