ヒ船団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/15 22:02 UTC 版)
ヒ船団(ヒせんだん) / ヒ号船団(ヒごうせんだん)は、日本(大日本帝国)が大東亜戦争において、日本本土とシンガポール間で運航した一連の護送船団である。主な任務は、日本占領下のオランダ領東インドから産出する石油を、日本本土に輸送することであった。大型高速のタンカーを中心に構成され、フィリピン方面へ増援部隊を送る軍隊輸送船も多く加入した。戦略的に重要な船団として優先的に護衛されたが、アメリカ海軍の潜水艦や航空機による攻撃で大きな損害を受け、沖縄へのアメリカ軍上陸が迫った1945年(昭和20年)3月に運航停止となった。
- ^ もっとも、軍令部が当初に計画した護衛空母の用途はヒ船団でなく、陸上機による航空支援が難しい横須賀港=小笠原諸島=サイパン島間の船団護衛を想定していた[10]。
- ^ 本来はマリアナ諸島方面の増援部隊護送船団である松輸送用に考案された制度であったが、竹輸送やヒ船団の指揮にも用いられた[13]。なお、臨時護衛船団司令部と呼ぶ文献もある[14]。
- ^ 輸送艦船は大型タンカー7隻のほか、航空機運搬任務の空母2隻、その他貨物船など8隻。護衛艦は、空母と軽巡各1隻を含む
- ^ タンカー9隻のほか、陸軍特種船3隻、その他貨物船など8隻。護衛は空母1隻を含む
- ^ ヒ99船団の編制はタンカー「第五山水丸」及び護衛の駆逐艦「朝顔」(護衛協力)[23]「欅」、「楢」ならびに海防艦「宇久」、「新南」からなる[22]。2代目のヒ01船団はタンカー「玉栄丸」、「さばん丸」(異説あり[24])および護衛の海防艦「竹生」ならびに「第40号海防艦」。「第102号海防艦」、「第106号海防艦」が六連泊地で準備中[22]。2代目ヒ03船団は、3月12日時点で護衛として第12海防隊主力(第14号・第46号海防艦)、第72号海防艦、第102号哨戒艇及び海防艦「久賀」(途中まで)が予定されていた[25]。なお、岩重(2011年)は、この時期のヒ船団参加予定タンカーとして、上記のヒ99船団・ヒ01船団予定船のほか「さんぢゑご丸」、「せりあ丸」、「橋立丸」を挙げ、待機中のタンカーを総数7隻程度とする[24]。
- ^ サイゴン行きで途中分離の3隻を除く。
- ^ a b c 岩重(2011年)、80頁。
- ^ a b 岩重(2011年)、70頁。
- ^ 岩重(2011年)、71頁。
- ^ a b c 大内(2004年)、309-310頁。
- ^ a b 大井(2001年)、204頁。
- ^ 駒宮(1987年)、383頁。
- ^ 岩重(2011年)、54頁
- ^ a b 防衛庁防衛研修所戦史室 『海上護衛戦』、343-344頁。
- ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 『海上護衛戦』、352頁
- ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 『海上護衛戦』、309頁。
- ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 『海上護衛戦』、311頁
- ^ 岩重(2011年)、82頁
- ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 『海上護衛戦』、321-322頁
- ^ a b 大井(2001年)、233-234頁。
- ^ 大井(2001年)、360-362頁
- ^ 大井(2001年)、210頁
- ^ 大井(2001年)、224-226頁
- ^ モリソン(2003年)、384-385頁。
- ^ 岩重(2011年)、94-95頁
- ^ モリソン(2003年)、390-391頁
- ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 『海上護衛戦』、470頁
- ^ a b c 第一護衛艦隊司令部 『自昭和二十年三月一日 至昭和二十年三月三十一日 第一護衛艦隊戦時日誌』JACAR Ref.C08030142200、画像17、28、32、36枚目
- ^ 第十一水雷戦隊司令部 『自昭和二十年三月一日至昭和二十年三月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』 JACAR Ref.C08030127900、画像39枚目
- ^ a b 岩重(2011年)、97頁
- ^ 第十二海防隊司令部 『自昭和二十年三月一日至昭和二十年三月三十一日 第十二海防隊戦時日誌』 JACAR Ref.C08030594800、画像29、36枚目
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