ビルマ政府公職
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 03:30 UTC 版)
1948年、ビルマがイギリスから独立した。初代ビルマ首相に就任したヌーは、タントを放送大臣に任命した。当時、国内では内戦が勃発していた。カレン族の反乱が始まると、タントは命がけでカレン族の兵営へ行き、和平交渉を行った。交渉は決裂し、1949年、進撃してきた反乱軍はタントの故郷を焼き払った。反乱軍は、首都ラングーンから4マイル以内にまで戦線を進めたが、政府軍に撃退された。翌1949年、タントは政府の情報大臣秘書官に任命された。1951年から1957年までは首相であるヌーの秘書を務め、演説原稿の執筆、外遊の手配、外国から訪問した要人との面会などを行った。タントはヌーの最も親しい側近であり、助言者であった。 また、多くの国際会議に参加した。1955年にインドネシアで開催されたバンドン会議の幹事を務め、非同盟運動を成立させた。1957年から1961年までビルマの国連常駐代表(国連大使)を務め、アルジェリア独立交渉に積極的に関与した。1961年、タントは国連コンゴ委員会の委員長に任命された。
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