ベミス高地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 01:50 UTC 版)
バーゴインは10月7日に次の戦いを仕掛けた(ベミス高地の戦い)。モーガンは大陸軍の左翼(西側)を受け持った。イギリス軍は1,500名の前衛でモーガンの翼を衝こうと考えていた。このことでモーガンの連隊は、再度フレーザー将軍の部隊と戦うことになった。 カナダの王党派兵士を通り過ぎさせた後に、モーガンのバージニア狙撃兵がディアボーンの連隊とイギリス軍の軽歩兵隊を挟み撃ちにし、十字砲火を浴びせた。イギリス軍の軽歩兵隊は崩れたが、指揮官のフレーザー将軍が彼らを鼓舞し続けていた。この時にアーノルドが戦場に到着して、「灰色の馬に乗っているあの男が指揮をしているのでやっつけなければならない。貴方のライフル銃隊から狙撃兵の何人かに狙わせろ」と告げた。モーガンはフレーザーを撃つよう狙撃兵に命令することを躊躇っていたが、ティモシー・マーフィーがそれを促した。 フレーザーが瀕死の重傷を負うと、イギリス軍の軽歩兵隊は総崩れになり、バーゴインの主力がいる砦に駆け込んだ。モーガンはこの時はアーノルドの指揮に従っており、イギリス中衛軍の反撃に対応していた。バーゴインはその日の朝のスタート地点に戻ったが、約500名の損害を受けた。その夜、バーゴインは約8マイル(13km)北西のサラトガ村に撤退した。 次の一週間、バーゴインは閉じこもったままだったが、モーガンは部隊を連れて北に回った。モーガン隊のいる方向に放たれた斥候が殲滅されたことで、イギリス軍は北への撤退が不可能であることを知った。
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