ベーリング海峡とは? わかりやすく解説

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ベーリング‐かいきょう〔‐カイケフ〕【ベーリング海峡】

読み方:べーりんぐかいきょう

シベリアアラスカとの間にある海峡北極海ベーリング海とをつなぐ。幅約90キロ


ベーリング海峡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 21:22 UTC 版)

ベーリング海峡(ベーリングかいきょう、英語: Bering Straitロシア語: Бе́рингов проли́в)は、アラスカスワード半島と、東シベリアチュクチ半島との間にある海峡ユーラシア大陸アメリカ大陸を分かつ海峡でもある。


  1. ^ "Lifting the Ice Curtain", Peter A. Iseman, New York Times, October 23, 1988
  2. ^ Smith, Martin. January 31, 1988. "The transcendent power of the solo athlete." Orange County Register, p.J1.
  3. ^ 最長海底トンネル実現へ 露が始動、日本企業も参加打診”. Fujisankei Business i. (2007年4月21日). 2007年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年5月1日閲覧。
  4. ^ 宮本武之輔、1941、『大陸建設の課題』、岩波書店 doi:10.11501/1884490 p. 261
  5. ^ 日下実男『もしもの世界』ジュニアチャンピオンコース学習研究社1973年全国書誌番号:45001358、pp98-101


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ベーリング海峡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 15:05 UTC 版)

リチャード・コリンソン」の記事における「ベーリング海峡」の解説

1848年には、サー・ジョン・フランクリンの捜索目指した3件の遠征送られたが、いずれも目的を果たすことはできなかった。1850年、コリンソンは、ベーリング海峡側から航行して捜索することを指示されたが、これはホレイシオ・オースティン(英語版)らがパリー海峡を通る通常のルート捜索を行うのに合わせたものであった。コリンソンには、エンタープライズ (HMS Enterprise) が与えられロバート・マクルアー中佐のインベスティゲーター (HMS Investigator) が同行した。2隻は1850年1月プリマス発ちチリ沖で別れてそれぞれ単独行動となった。マクルアーは先にベーリング海峡に達したが、バンクス島で氷に閉じ込められた。その後救出されイングランド帰還し北西航路通過した最初の人となった。コリンソンは遅れてベーリング海峡に到達し、マクルアーが先行していることを知って引き返し、ひと冬を香港過ごした1851年7月半ば、彼はベーリング海峡に入り沿岸東へ航行した8月29日バンクス島達し北東方向に向かう海峡発見したプリンスオブウェールズ海峡 (Prince of Wales Strait) である。コリンソンはこの海峡入り、これで北西航路発見したかもしれない考えたが、程なくしての上に旗が翻っているのを発見した旗竿の下には、前年にマクルアーがここで越冬したことを告げメッセージ残されていた。コリンソンはそのまま進み、マクルアーが進んだ位置少しだけ越えたところで、氷に行く手阻まれた。南へ帰路、コリンソンはまた別のメッセージ発見し、マクルアーがその僅か18日前に、その地点通過していたことを知ったが、そのメッセージは、マクルアーがバンクス島周航試みていたことを記されていなかった。コリンソンは少し南東進みミント湾(英語版)を越冬地決めた。ここでまた、マクルアー一行隊のひとりが残したメッセージ発見した1852年春、コリンソンは隊を北方メルヴィル島へ向かわせたが、彼らはそこで、未知旅行者たちの足跡見つけた(これらはマクルアーの配下の者たちによるものだったが、彼らはそこから少し西で凍死していた)。8月5日、コリンソンの艦は氷を脱しビクトリア島南岸沿ってコロネーション湾入り、ベーリング海峡側から入った船としては、最も東の位置到達した次の冬には、ビクトリア島南岸ケンブリッジ湾(英語版)で越冬した1853年春、コリンソンは自ら隊を率いて、島の東端ペリー岬:Point Pelly)に達したその後しばらくして地元のあるイヌイットが、この地域から東側地図を、コリンソンたちのために描いた。その地図には、船が描きこまれていた。もし、この時、コリンソンがこれを見落としてなければ、あるいは、適切な通訳がいたら、彼は隊を東へ向かわせてフランクリン隊の一部を、もし彼らがまだ生存していたらの話ではあるが、発見することもできていたかもしれない。しかしコリンソンは、ベーリング海峡を通って引き返し喜望峰経由して帰路についた1855年1月ケープ植民地で、コリンソンはジョン・レイ報告知りフランクリン隊の消息途絶えた場所が、自分たちが引き返した場所からわずかに東側位置していたことを知った。コリンソンの評判は、おそらくは本来あるべきものよりも劣ったものに留まっていた。問題は、コリンソンが行着いた場所には、常にマクルアーが先に達していたというところにあり、コリンソンは常々この件で配下士官たちや、運の悪さについての愚痴こぼしていた。ロアール・アムンセンは、自身小型船でも操船が困難であったこの海域を、コリンソンが大型船航行して回ったことを賞賛した。コリンソンによるこの航海記録は、その死の6年後に、弟の トマス・バーナード・コリンソン(英語版陸軍少将によって出版された。

※この「ベーリング海峡」の解説は、「リチャード・コリンソン」の解説の一部です。
「ベーリング海峡」を含む「リチャード・コリンソン」の記事については、「リチャード・コリンソン」の概要を参照ください。

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