ホーリネス弾圧事件
ホーリネス弾圧事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 17:20 UTC 版)
詳細は「ホーリネス弾圧事件」を参照 1942年6月26日早朝にホーリネス系の教職者が治安維持法違反で検挙された。日本基督教団で検挙されたのは、ホーリネス系の第6部(旧日本聖教会)の教職者60人、第9部(旧きよめ教会)から62人である。これを受けて教団は、「軽々しき行動を慎み、暫く成行きを静観すること」「皇国民たるの自覚に立ち、臣道の実践を志すことを求めた。」また、日本基督教団の幹部らは、当局のホーリネス検挙を歓迎した。第四部管谷仁主事は、「彼らの熱狂的信仰は我々教団では手の下しようもないくらい気違いじみているため、これを御当局において処断して下さったことは、教団にとり幸いであった。」と述べた。山梨教区長小野善太郎は、「大局的見地からいえば、こうした不純なものを除去することによって日基教団のいかなるものかが一段に認められて、今後の運営上かえって好結果がえられるのではないかと考え、当局の措置に感謝している」と述べた。 富田満統理は、ホーリネス事件の原因として部制の問題をあげ、「現今の時局に於いてなお部制を存続せしめる事は適当で無い。」「特に最近起こりましたある種の事件を思うとき真に我々の信仰が一つでなかった為に基因するのでは無いかと思います」と述べた。 1943年4月、文部省から教団に通知があり、富田満統理はホーリネス系の牧師たちに、自発的に辞任しなければ身分を剥奪する旨を伝え、辞職を勧告した。
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ホーリネス弾圧事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/28 14:47 UTC 版)
1942年第一次一斉検挙の時と翌1943年4月の第二次検挙あわせて、全部で134名、第6部からは60名が検挙された。134人の内75名が起訴された。最終的に7名が獄死した。そのうちの一人菅野鋭は1943年12月に肺結核で獄中死する。車田秋次と米田豊は実刑判決を受ける。1943年4月に文部省から第6部と第9部の教会設立認可の取り消し処分と、教師たちの辞職の命令の通達がなされ、日本基督教団はそれを獄中にある教師たちに通達して実行される。教会の解散命令によってホーリネス系の信徒たちは散らされた。空襲で淀橋教会は焼失した。
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