ポート‐ワイン【port wine】
ポートワイン
ポートワイン
ポートワイン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/01 15:37 UTC 版)
ポルトー・ワインとも。日本に初めてもたらされたワインとされており、その出荷港がポルト港であったためにこの名が付いた。ポルトガル北部のドウロ川沿岸が産地。原料となるブドウの品種は多彩で、全29種がポートワインの推奨品種となっている。発酵途中にブランデーを加えるため甘口となる。オーストラリアや南アフリカでもポート・タイプのワインが作られている。ポートワインには以下のタイプがある。詳細はポートワインを参照。
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ポートワイン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 08:10 UTC 版)
「ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョ」の記事における「ポートワイン」の解説
1720年代頃からポルトの商人たちはイギリスへのワインの輸出を行っていた。イギリスにとって、政治に影響されやすいフランスのワインは供給に不安があり、スペインのワインはポルトガルに比べて質で劣っていたため、代用品としてテーブルワインの需要があった。ポルトにはイギリス商人たちが買い付けに訪れたが、イギリス商人たちは自分たちの足で農家に出向き、直接舌で確認して買い付けていた。そのため、ポルトガルのワインはイギリスの需要を満たすために質が維持されていた。1730年代にイギリス商人たちは、ドーロ産の最高級ワインにイギリス産ブランデーを混ぜてアルコール度数を高め、熟成させたポートワインを作り出す。これにより、ワインに付加価値がつき、ポルトにおけるイギリス商人たちはより大きな利益を手にした。しかし、ワインのノウハウがないポルトガルの商人たちにポートワインの作成は不可能であり、原料のワインを長年にわたって供給するだけで利益は以前のままだった。1750年代に入ると、ポルトガルの安価なワインに付加価値をつけて利益を稼ぐイギリス商人の成功がカルヴァーリョの注意を引くようになる。 1756年、カルヴァーリョはワイン会社を設立し、自らの所有する葡萄園をドーロと無関係の土地でありながら指定原産地に加え、樹齢の高いブドウの木を伐らせることでワインの供給量を制限し、同時に質を高めてイギリス商人への販売価格を押し上げた。また、会社の運営費は都市や教会で高い地位にある者に無理に要請して投資させたものであり、その富の分配で中産階級を増加させた。しかし富を得たのはカルヴァーリョら指定原産地となった農家だけであり、イギリス商人が直接買い付けに農家を回って品質を確保することもなくなったので、かえって質の低下を招いてポルトガルワインの輸出は全体的に見ると低下した。また、強力にワインの専売化が推し進められ、一般大衆の安価なものですら対象となったため、民衆の暴動を招いた。カルヴァーリョは30名を絞首刑にすることで暴動を鎮圧した。
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